普通の言語として書店や図書館に置かれる日2011/03/08 23:54:27

今日の朝刊 中央が手話通訳士
夜から図書館の一室で日本手話の学び。手話通訳士検定3級に出てくる単語を学んだ。

さて。
今日の朝刊をひらいておやっと思った方がいらっしゃるだろうか。
日本人がひとり亡くなったという悲しい知らせを伝える、ニュージーランド・クライストチャーチの対策本部記者会見を撮影した写真に、中央に黒い服を着た男性が映っている。
彼はニュージーランドの手話通訳士だ。地震発生後、対策本部の記者会見の場面でいつも見るようになったが、テレビをご覧になったかたは、なぜ、手話通訳が? と疑問に思われたことだろう。ニュージーランドでは手話も英語と同じく言語として認知されているのである。しかも職業としても認知されているのだ。そして男性も手話通訳士を務めている。男性の手話通訳士が少なく、ほとんどが女性でしかも薄給である日本とは大きな違いだ。

図書館でなくても書店を回ってみてもわかるだろうが、手話に関する本を探そうとすると、日本では残念ながら福祉のカテゴリーである。だがカナダやアメリカやオランダを訪れて書店をのぞいてみると、手話は日本語や英語、アフリカやアジアの各国各地方の言葉と並んで言語のカテゴリーに分類されているのだ。旅行関係の本と並んで各国語の本もあり、そのなかにちゃんと手話に関係した本が置いてある。

中東の革命を伝える、たぶん中東のテレビ局だろう(なぜなら映像が日本や欧米ほど鮮明ではなかったから)ニュース番組でも、男性の手話通訳士が画面の隅に映っていた。
こうしてみると手話が文化や国を超えて、言葉として確立されているのだ、とあらためて感じざるを得ない。

ひるがえって日本だ。
以前にも書いたように、手話を日本語や英語と同じように、言語として認めてほしい。できたら手話を学校教育の中で教えるプログラムも設けてほしい。普通学校で育ったわたしは、親の考えもあってろう学校に通わず、聴こえる人のなかで育ってきた。だが、手話を学んでいたら、もっとコミュニケーションが楽しく感じられたに違いない。わたしの会社で手話を教えている同僚のひとりは小学校で手話を学んだことがあったという。うらやましいとさえ思ったほどだ。

手話はなんだろう。聴こえない人だけの特別な言葉だろうか。聴こえる人には必要ないのだろうか。
そうではない。英語を学んでカタコトでも話せたら世界が広がり楽しくなるのと同じように、手話も聴こえない人と聴こえる人を結ぶ言語だ。
福祉のカテゴリーではなく、みなさんが使う言葉と同じく、普通の言語として書店や図書館に置かれる日が来ることを、切に待ち望んでいる。