汝は我等を助くるか、はた我等の敵を助くるか2017/01/12 22:26:19

やっぱり昨日の疲れはいかんともしがたく、今日は終日自宅で休養にあてた。

さて久々に聖書、それも旧約聖書をひらいてみた。ヨシュア記5:13~14。

エジプトを出て放浪するユダヤの民のひとり、ヨシュアという人物が書いたとされる文書であるが、5章13節からの記事は、エリコにいたときにヨシュアが聖なる所へと足を踏み入れてしまい、サンダルを脱ぐよう「主の軍の将軍」に命令されるという内容である。
だが、ヨシュアの前に立った人物は、抜き身の剣を持っていた。それをみたヨシュアはこう語った。「汝は我等を助くるか、はた我等の敵を助くるか」と。それに対して彼は「否我はエホバの軍旅の将としていま来たれるなり」と答えた。
ヨシュアが「お前は敵か味方か」と自分を基準、自分を中心に相手を峻別し、選別したのに対して、剣を持った男は、自分は「主の軍の将軍である」と答えたのだ。どういうことだろう。
わたしは思う。自分を中心に自分を基準に置くごう慢な思い上がりではなく、「わたしのための神」「わたしの」ではなく、まず初めに「神が」おられ、「神のためのわたし」であることに気づくべきだ思いをいたすべきだ。

そこで思い出すのは、現地時間で11日、メディアの前で大統領選挙後初めての記者会見を行った、ドナルド・トランプのことだ。
そこでは「中国やメキシコや日本がアメリカに敬意を示すようになるだろう」「わたしがアメリカを偉大な国にする」など、「わたしが」「わたしが」のオンパレードというか、自分がアメリカを復活させるのだといわんばかり。これだけアメリカを分断させたことや、多くの人に支持を受けたことへの感謝や謙虚さなどはまるで感じられなかった。そればかりではない。メディアを分けて、ゴミだのと名指ししただけではなく、質問を受け付けないという態度まで見せた。

尊敬も敬意も、自分から口にするものではない。
ふだんの振る舞いや言動や何気ない行動からにじみ出るものである。
その前日にお別れ演説を行ったバラク・オバマ大統領は、登壇するなり多くの聴衆から拍手で迎えられ、拍手をやめるようにうながしたあとで「ごらんなさい。わたしがレームダック(死に体)だということがおわかりでしょう? だれもわたしの言うことを聞かないから」とユーモアを込めて演説を始めたのと比較すれば一目瞭然であろう。政策のよしあしや評価はともかく、どちらが人物として尊敬できるかというものだ。

トランプに話を戻す。
まさに「汝は我等を助くるか、はた我等の敵を助くるか」という反知性主義思考、二元論思考であり、敵と味方を分ける、自分に意の沿わないものは敵だ、ゴミだという自分中心である。こういう人物が権力を持つとどうなるか。過去の歴史がいくつも証明している。
アメリカ大統領というのはCommander-in-Chief、アメリカ軍の最高司令官であり、たしかに強大な権力を持つ。だからこそ自分に課せられた権力や職務の重みを自覚しているべきなのだ。だがトランプにはそんな姿勢や考えがないのだろう。あくまでもビジネスであり自分が中心なのだろう。

これから先のアメリカそして世界がおもいやられる。