今日という日は二度と帰ってこないのだから2016/09/11 22:17:52

朝からはーとふるはんどの稽古レッスンと夕礼拝へ。

聴導犬の歩行レッスンのときにも訓練士から言われたのは、顔の表情が怒っているように見えて犬はおびえる、という。しかも腕の振りがはっきりしないものだから、犬がユーザーに従いたい、ついていきたいという気持ちになれないのだという。

はーとふるはんどのレッスン稽古では指摘された欠点を改善しよう、よくしようと、普通に歩く、笑顔で、ということを意識している。

このへんは前にも書いたと思う。

今日のレッスンで、仲間から「いまの歩き方はいいよ」とほめられて悪い気はしないどころかうれしいと思ったものだ。誰だって出来ないとか悪いとかダメだとかマイナス点を挙げられるより、少しでも何かができる、収穫になったものがあると参加してよかったと思うもの。
帰りがけにメンバーと話をしたのだけど、この劇団に入っていろいろやりたいことがあるし、覚えたいこともある。ましてできるだけ続けられる限りは続けたいと思ってさえいる。
だから、一日のレッスンでもなにかが得られたと思えるものでありたい。

夕礼拝も手話通訳の手話が読み取れて、内容も理解できた。

昨日は朗読の練習を妻に立ち会ってもらって、ストップウォッチではかってもらいながらすすめた。
初めは10分台。2回目は11分ほど。そして最後は12分22秒。
長けりゃいいってものじゃないが、3部全部のトリを担当するのだから余韻をもって何かを伝えられるものでありたい。

今日という日は二度と帰ってこないのだから、なにか収穫得たものがあったといえる日にしたい。

NFL32チームのフランチャイズ都市名、チーム名2016/09/12 23:30:44

ASLレッスン。

ちょうど現地時間で昨日、NFLの2016ー17シーズンが開幕したことをテーマに、NFL32チームのフランチャイズ都市名、チーム名をASLで教えていただいた。

わたしの嫌いなチームを真っ先に挙げるなら、New England PATRIOTS。NEW+ENGLND+チームのロゴマークのかたちを。反対に好きなチームは、もちろんOaknand RAIDERSは日本の手話でいう「チ」+ロゴ、片目の眼帯のように、片目をふさぐ。

32チームもあるし、ニックネームの手話が訳されていないものもあるけど、そういう角度から教わるのもまた楽しい。

ちなみにその開幕戦。
激しい点の取り合いの末、1点リードで迎えた35対34、試合残り5秒の時
点でニューオーリンズ・セインツが託した61ヤードキックが失敗してオークランドは開幕戦を制した。

QBデレック・カーはパス38回中24回成功、319ヤード、1タッチダウン。
試合ではサイドラインへ抜けるダイブを見せたが、これはプロQBとしては大けがにつながるかもしれない危険なプレー。けれどこのさきのシーズンに期待が持てる内容だった。次週は9月18日、オークランド・コロシアムでのアトランタ・ファルコンズ戦。ホームゲーム開幕戦である。

なにかのときに思い出されることがあるのだろうか。2016/09/13 22:40:38

妻が用事のため帰りが遅い、というので、おいっ子と札幌ラーメンをつくって食べる。オトコだけのラーメンもまたいいものだ。

なぜかこのごろ、わたしが青春時代を送ったころの音楽が懐かしく思い出される。
「メモリーグラス」(堀江淳、1981)「待つわ」(あみん、1982)などといった80年代の曲ばかりだ。そのころはまだ補聴器をつけていてもどうにかこうにか聴こえていたので、かすかなりにメロディーが聴こえてくると「あ、あれね」と思い出せる。海援隊の「贈る言葉」(1980)もそうだし、「メモリーグラス」と同じ年の、132.7万枚を記録した「ルビーの指環」(寺尾聰)、「贈る言葉」と並んで同じ年のヒット曲の「異邦人」(久保田早紀)も。

そういうふうに思い出せるっていうのは、やっぱり耳のこともあるだろうけど、人のこころをひきつける魅力があって、誰もが思い出せる知っているというものだったからだね。

CD売上が伸びない、知っている歌が少ない、という声をよく聞く。
なんとなくだけどここ数年の歌はこのさき、誰もが知っていて、なにかのときに思い出されることがあるのだろうか。

どうにか楽になった2016/09/14 23:44:39

昨晩から未明にかけて腹痛。痛いのなんのってきつかった。

けさはどうにか楽になったが、つい一週間前までの猛烈な暑さほどではなくてもまだまだ暑さが感じられる。

体調維持をしっかりしないと。

それっておかしくないか2016/09/15 22:20:52

お月様が見えるかと思ったけれどぜんぜん見えません。

混迷が続いている築地市場の豊洲への移転問題。
2008年当時の東京都知事だった石原慎太郎氏が、土壌汚染対策として地下にコンクリートの箱を埋める案に言及していたという報道。その前の、盛り土の問題が表に出た直後の今月13日のテレビ番組では「(盛り土)問題は聞いていません、だまされていたんですね」と言っている。

仮にそうだとしても、その当時東京都のトップだったのだから「知らないだまされた」では、なんのために知事になったのだろう。知事になったのだから、知らなかったではなく、説明を求めるなりできたはず。言っていることが支離滅裂といたら言い過ぎだろうか。

どう考えてもつじつまが合わないどころか、信用できない。

今日はなんとか気合で乗り切りました。明日は手話の勉強。

みんなが等しく2016/09/16 23:11:42

妻から、便が出やすくなる薬をもらった。というのも大腸の検査の前に便を調べるため採取してほしいと言われたからだ。

年を重ねていって、大腸だけではないけれどいろいろな病気と向き合わなくてはならないということを実感する。
昨日妻と待ち合わせをした駅で、妻が遅れてきたがその直前、電車から降りたときにめまいを感じてぐるぐる回った。メニエール病だと分かっていたのであわてることはなかったが、もしこれがもっといのちにかかわる病気だったらと思うと、ぞっとする。

ともあれ年をとっていくことは、すなわち障がいなり病気なりのあるからだになることだ。

その意味で、わたしもみなさんも等しく、いずれは障がい者病人になる、ひいては死を迎えることになる。
そのことを忘れずに、日々を生きていきたいものだ。

2週間しかない日々2016/09/17 23:51:37

今日が本番前の合同レッスン。
子守唄の場面はわたしが歌うことなど説明して、自己紹介プログラムの直しも確認、あとは2週間しかない日々をどう過ごすかだけにかかっている。

そのあと、10月15日の難聴者協会手話サークルで、わたしが企画提案した防災災害についての2クラス合同手話学習会の打ち合わせ相談。
直前に千葉県沖で震度4の地震があったこともあり、みんなで学ぶ良い機会になればいいなと思う。

ジャンプとタッチダウンと両さん2016/09/18 21:48:27

2つの雑誌がある。

『少年ジャンプ』と『月刊アメリカンフットボールマガジン TOUCHDOWN』(以下「TOUCHDOWN」と表記)だ。この雑誌はわたしが小学校のころからよく読んでいた。
その『少年ジャンプ』に40年にわたり一度の休載もなく掲載されていた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(以下「こち亀」と表記)が連載を終えることになった。その直前に今年10月号をもって「TOUCHDOWN」が休刊した。今日、これまで購読のため契約をしていた書店に休刊のため解約をお願いしてきたばかり。

どちらも愛着があるなあ。
「こち亀」だけではなく、わたしが小学校のころの『少年ジャンプ』というと「ど根性ガエル」「荒野の少年イサム」「アストロ球団」「プレイボール」「はだしのゲン」「侍ジャイアンツ」「サーキットの狼」「リングにかけろ」「ドーベルマン刑事」「フォーエバー神児くん」などを覚えている。主人公・高嶺竜児の姉、菊と竜児のライバル剣崎順の恋には年上女性への思慕を感じるなど、多感な少年期にはいろいろ影響を受けたものだ。
「TOUCHDOWN」はアメリカンプロスポーツのひとつ、フットボールを切り口にアメリカの文化社会を紹介するとともにフットボールの魅力や激しさ、すばらしさを教えてくれた。社会人になっていまはもうなくなったプレシーズンゲーム「AMERICAN BOWL」も観たし、NFL、CFLなどにも視野を広げてくれた。編集発行人の後藤完夫さんとはフィールド上で何度かお目にかかったこともある。

これらの雑誌や漫画がなくなってしまうのは寂しい。
いくらインターネットだタブレットだといっても、プリントメディアに勝るものはないと思うのだが。

「こち亀」作者の秋本治さん、「TOUCHDOWN」46年間のスタッフ、編集者、ライター記者のみなさま。ほんとうにありがとうございました。

時代や洋の東西を超えて2016/09/19 22:11:40

妻、おいっ子と上野の国立西洋美術館に行く前に、わたしがよく行く銀座教文館で、みなみななみさんの展覧会、みなみななみ展「シャロームの畑」がひらかれているのをフェイスブックで知り、わたしだけであるが観に行った。

みなみさんは、昔からキリスト教系雑誌などでイラスト作品などを拝見していて、その絵柄にとてもひかれていた。今回はじめて展覧会を観て初対面であったにもかかわらずお会いして会話を交わして、ますます、絵画の数々にひかれてしまった。

そのあと妻、おいっ子と一緒に国立西洋美術館へ。
ここでは17世紀から19世紀にかけての宗教画や静物画など美術史に残る名作の数々を観ることができた。
ヨーロッパ文化や歴史を知る上でキリスト教を知ることが欠かせない、逆に言えばキリスト教抜きでは語れないことを知った。

信仰をもつもたないは個人の自由だから、わたしも妻も、おいっ子に押しつけようとは思わないし無理に信じなさいとも言わない。まあ周囲のなかには「それこそ伝道でしょ」という人もいるだろうが。
しかし、世界に目を向ければ宗教を抜きには語れないものがたくさんある。日本人は海外に出て交流するとき「あなたは何を信じていますか」と問われて答えられないことが多い、とよく聞く。それは信仰がないのではなくて、目標なり指針なりをもってはいるけれど、それと、大きな超越した存在を信じるということとが結びついていないのではないか。

ともあれみなみさんの展覧会から、17世紀、日本がやっと戦国時代を終えて平和になったかどうかのころのヨーロッパで描かれた宗教画などを観て、時代や洋の東西を問わず、ひとのこころになにかをもたらす信仰というものの深さをあらためて感じたものだった。

聴こえなかったから会話がスムーズに行かなかったけれどそれでも接してくださったみなみさんに、こころから深く感謝を申し上げます。

バターとチキンのカレー2016/09/20 22:51:53

ひさびさにバターとチキンのカレーをつくった。
トマトケチャップを足してコクのある味に仕上がった。