生かされているということを強く感じる2016/06/20 20:48:13

先週土曜日、AKBの総選挙が終わったばかり。社会現象になるほどとはいえ、さすがに年が離れているだけにファンになるというほどには思い入れがない。もちろんあの年でああいう注目のされ方をするのはたいへんなことであるのは言うまでもない。

おニャン子クラブがあこがれだったのだが、そのメンバーのひとり、新田恵利さんがご病気だったと。
http://ameblo.jp/nittaeri/entry-12172541836.html#cbox

脳動脈瘤が2013年のテレビ出演番組中で見つかったあと、経過を見ていたのが、先週手術を終えて退院されたとか。ネット上でも話題になっているそうだ。

芸能人であるないに関係なく、平等に誰にでもやってくるのは「老い」と「死」である。
以前も書いたように、とくに女優さんの容姿を「劣化」だとか書いている、その思考も書いている人も、自分もいずれは衰えていくことに気づかないか、気づいていてもネットだからとふざけた気持ちで書いているのか。
ともあれわたしは容姿を「劣化」だということに嫌悪を抱くし、そういうことを平気で書いたり言ったりしている人は自分が衰えていくとは思っていないのだろうか。

「メメント・モリ」という言葉がある。「死を思え」という意味だ。
いつかは誰もが死んでいく。中世ヨーロッパはペストやさまざまな死につながる病気が流行して、死が身近な存在であったといってもいい。
高度な医療を受けられる時代であるいまも、死から逃れられることはない。だからこそわたしたちは死を考えながら生を考えていくべきなのだともいえる。

新田さんがブログでこう書いていらっしゃる。

「死」というものとの距離が縮まった時、
そしてその時が過ぎ去った時、
改めて「生かされている」事に感謝です

ほんとうに生かされているということを強く感じる。
いつかはほんとうに死がすぐそこにやってくる。そのときまで、生かされていることを忘れずに生きていきたい。