社会に出てきた若者たちへ2016/04/01 23:26:50

新年度最初の日。そして入社式。
関係者ではないので行く必要はないのだけど、わたしのときを思い出した。

バブル時期に社会に出た仲間はみんな、たいへんな思いをしているはずだろう。同期が多いから出世競争も激しいし、その後のバブル景気崩壊やらいろんな出来事がたくさんあって。
えてみれば、ああすればよかったこうしたかったと言えるのも、それだけの様々な経験を積んだからだとも言える。

物事はいかようにも解釈できる。ということは、過去の出来事を後ろ向きではなく、前向きに捉えることで、違った角度から見ることもできるということ。

ということは、社会に出てきた若者たちもまた、わたしと同じようにいろいろな失敗や経験を積んでいくのだろう。
たくさんの失敗をやっても許されるのが若さの特権でもある。
失敗から大きな成功へいけるように、どんどんチャレンジをしていってほしい。

多様さがある社会2016/04/02 23:41:36

午前中に用事があって東京ビッグサイトへ、妻と足を運んできた。
目的地へ行く途中、なにげなしに館内の柱を見たら「祈祷室」とある。おそらくイスラム教徒、ムスリムのビジネスマンを対象に、メッカの方向にむけた祈祷室なのだろう。

以前も書いたことがあるけど、わたしの家から徒歩で30分くらいのところにムスリムのモスクがある。
ISに興味はないし、もちろんキリスト教からイスラム教に改宗しようとも思っていないが、同じ一神教でもあるムスリムについて知らないというのもどうかと思う。

日本人でムスリムという方はもちろん、イスラム教国から来られたムスリムのために、ハラールや祈祷室をつくっていくというのはとても大事なことだと思う。
いろんな人がいて様々な人たちがいて成り立っているこの社会。
自分とは相容れない信仰であっても、それを認めていくのは、本当に大変な困難なことだけど、こうやって少しずつ変わっていったらどんなに過ごしやすい社会になることだろうか。

あさの長セリフ ではわたしたちはどうなのだ2016/04/03 22:53:10

「戦争は銃や大砲で人を傷つけて、新聞や世論は人を悪ういうたり勝手な批評して人の心傷つけるばかり。みんなが幸せになるための武器は、銃でも大砲でも悪口でもあらしまへん。(頭と胸を指し)ココとココだす」

「そうだす。人の気持ちをおもんばかることの出来る優秀な頭脳と、柔らかい心、それさえあったらそれで充分なんだす」

半年間、泣いたり笑ったりして観た「あさが来た」。
昨日の放送で最終回を迎えた。もちろんわたしも妻もBSプレミアムの放送、地上波の放送、そして夜の再放送と全部ひととおり観た。妻はBSプレミアムでの放送でティッシュを何枚も使って泣いていたのは言うまでもない。

で、最終回。
あさが女学生を前に話す長セリフ。
いまの世にも通じるものであるのは当然のこととして、ではわたしたちは、広岡浅子なり、過去に生きた人たち、そして未来につながる人たちに対して、いまこう生きてきましたよと、未来に対しても過去に対してもしっかり言えるか。
みんなが幸せになるための武器というか、幸せになれる世の中をつくっていったと言えるか。

はっきり言いたい。
今の政治家はどうなのだ、メディアの人間はどうなんだと。そして名もない一市民であるわたしたちはどうなんだ、と。

まだ15年しかたっていないよ、と。2016/04/04 23:29:19

昨日書いた、「あさが来た」最終回の視聴率が平均23・5%、今世紀最高という。ちょっとまって。まだ15年しかたっていないのに、と言いたくなるが、それはさておき、たしかにこの作品は後世語り継がれる名作だろう。

季節が春になったとはいえ、日中と夜間の寒暖差がありすぎて風邪をひいてしまったらしい。
あすも最低は9℃、最高が20℃と、やっぱり薄いコートくらいは着ていかないといけないかもしれない。

なんとかおさまったけれども2016/04/05 22:46:41

鼻水が出るわくしゃみもあるわで、帰宅して妻に薬を出してもらった。のどの痛みはレモン果実ドリンクを飲んでなんとかおさまったけれども。

ギャンブルをめぐる事件に思う2016/04/06 22:29:21

社会に出て、周囲にそういうのをやっている人を知っているけどわたし自身はひとつもやったことがないもの……。たばことギャンブルである。
たばこはいっさいやっていない。ま、これはからだによくないことははっきりしている。

昨年からニュースになっているプロ野球の野球賭博といい、9年ほど前には大相撲でも賭博事件があった。

スポーツ選手、トップレベルになればなるほど、本能として負けず嫌いであり、他スポーツに興味をもつほどの選手もいるときいたことがある。むしろそうでないと、トップレベルでプレーし続けられないのだともいえる。
しかしことはギャンブルであり、社会的な影響を考えれば、看過できないものである。
ギャンブルをこの世からなくすことは、まず無理かもしれない。しかし依存しないように、ギャンブルとうまくかかわり、折り合いをつけていくことはできるだろう。隔離したり目をそむけたりするのではなく、いかに依存に陥らないような方策を考え、依存症に陥ってしまった人たちを救う、医療などのシステムが必要だとも思う。
カジノを誘致しようとか言う人たちは、経済効果を理由に挙げているけれど、こういう事件が起きることをどう考えているのか、聞いてみたいものだ。

手話を学ぶということ2016/04/07 23:32:21

桜はまだ満開のところもあるけど、ところどころで葉桜がみえるようになってきた。
早いものである。桜前線は北上してこれから故郷北海道でも観られるようになるのは、来月だろう。
今日は夜に入って関東でも強風が吹くなど天気が荒れた。
おそらく東京の桜はもって今週から来週初めにはもう散っていることだろうね。

妻が聴者を対象に開いている手話講習会の受講前に、ろう者聴者の試験官を前に実技と面接を受けたらしい。どのクラスを受講するかは来週にもわかるそうだ。
わたしと結婚してから、中途難聴者の手話サークルに参加しているけれど、そこでは音声言語の文章通りに表す日本語対応手話を学んでいる。しかし講習会では日本手話、ろう者が使う手話を学ぶ。
どちらがいい悪いとか正しいまちがっている、というのではない。どちらも正しい手話なのだ。
日本手話を学ぶことは対応手話を学ぶ上で生きてくるし、その逆もある。
つまり、ろう者と難聴者を区別したり対立するものとして考えるのではなくて、生まれつきあるいは生まれてまもなくにほとんど聴こえなくなったろう者と人生途上で聴こえなくなった難聴者を、それぞれ理解していくことになるのだ。

妻の学びに期待している。

難しいけれど大事なポイント2016/04/08 22:25:33

ゆっくり弾いていく、ひとつひとつの音を大事に弾いていく。同時に、楽譜で速くなりそうなところほど慎重に弾いていくこと。

難しいけれど大事なポイントでもある。

スリーフィンガーで弾ける好きな曲2016/04/09 21:42:37

休日に『心の瞳』を中心に練習をしている。
そればっかりだと飽きそうなこともあって、久々に海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』や『風景誌』『そんぐ ふぉあ ゆう』などを弾いている。独学でやって覚えたけど、プロギタリストに教えていただいたことをもとにやり直して弾いてみると、なるほど、音の出し方弦の弾き方などまるっきり違ってむしろ基本に忠実に弾くことできれいな音になる。

先日海援隊のメンバーのひとり、中牟田俊男さんが病気のため入院、活動を停止されたことを書いた。
海援隊のライブアルバムCDのなかで中牟田さんは、それほど大きな語りではないけれども、こころにしみるトークや歌を聴かせてくれていた。
『風景誌』や『俺の人生真ん中あたり』なんかはとてもいいなあと、とくに『風景誌』はスリーフィンガーで弾ける好きな曲なだけに、中牟田さんの全快復帰を願いながら、弾いている。

そのほかにもこれまで覚えた曲を復習したり弾いたり。
たしかにろう者としてはギターはめちゃくちゃハードルが高い楽器だけど、もっともっと弾けるようになりたいし曲を増やしたいと、意欲をかき立てられている。

家族2016/04/10 21:05:58

結婚したのが震災から2年後の2013年4月というつながりで、わたしと妻の共通の知人夫婦と東京に来ている妻の妹を交えて、午後からわたしの家でちょっと早い、結婚4年目のお祝いと交流をもった。

ホントに早いものだなとつくづく感じる。もちろんそのあいだもまったく問題がなかったわけではない。いろいろ言い合いもあったしお互いにかみ合わないこともあった。けれどもう後戻りはできない、お互いを必要としているという思いがあるから、これからもやっていけるだろう。

まあ、結婚もそうだけど生きていればいろんなことがあってつらいこともある。
そのつらさも含めて乗り越えられるというのが家族、ではないだろうか。