工夫次第2016/01/21 23:22:53

所用があって先週はお休みしたギターレッスン。
今日は、メトロノームのアプリを入れたタブレットを持参して臨んだ。

講師先生も同じようなものを使っていらっしゃる。
練習で何度も使っているが、レッスンで使うのは初めて。

針でテンポを知らせるのではなく、光で点滅するから、目で追いやすい。

曲のスピードと感覚はだいぶわかってきた。ミキサーをギターとつなぎ、首にかける磁気ループから、補聴器を通して音が聞こえる。
あとは練習あるのみ。

健康に注意しなくてはならない2016/01/22 23:45:58

50の坂を上り始めて、ほんとうに健康に注意しなくてはならないと感じる。
できるだけ階段は上下ともに3階くらいは歩くようにしているほか、駅のエスカレーターには乗らず、歩くことにしている。

夜の手話学習会のあと、九段下から小川町まで2000歩くらいか。
自宅について活動量計を見たら10000歩を超えた。
最低でも10000歩歩かないと、なんとなく機嫌が悪い。歳を重ねたら歩くこともおっくうになるそうだが、健康でいるためにも、歩くことを大事にしたい。

嵐の前の2016/01/23 23:40:37

嵐の前の、といったら大げさかもしれないが、あすからあさってにかけて日本はほとんど全土といっていいくらいの、強烈な寒波に覆われるらしい。

休日の今日、のんびり午前中まで自宅で過ごしたあと、近くの商店街まで二人で散歩と買い物をして過ごす。

歩く途中つまらない冗談を言ったりペットショップや100円ショップでかいものをして、妻が行きたいという海鮮料理店で遅い昼食をとって自宅へ。
夕食後に妻に散髪をしてもらう。

明日は今年最初の虹の手の練習だが、さてどうなるか。無事に外に出られるだろうか。

自分たちでつくっていくからおもしろく、やりがいがある2016/01/24 20:25:52

2016年最初の「虹の手」活動。
まず、活動方針と目標を出し合い、年2回の施設での演奏ボランティアと新しい曲をいくつか覚えるということに決め、手話通訳士先生が来てから新しい課題曲「川の流れのように」(美空ひばり)を、昨年手話通訳士先生がビデオで送ってくださったものや各自の意見を出し合って、手話表現を作っていった。

ろう者ではなく、手話がわからないご高齢の方を前にやる。ということは文章や歌詞に合わせてつくっていく日本語対応手話的なものがベストだ。その共通認識と理解に立って、「川の流れのように」の歌詞と歌の世界を各自理解していく。

意見がたくさん出てそれも否定するようなものではなく、こうしたらいいのではないか、というような積極的なものばかり。
たとえば「ぬかるんだ道」はべたべたした、という表現。「移りゆく季節 雪どけを 待ちながら」。雪どけの「雪」をはぶいて、雪がとけていくさまを表すように、「べたべた」を横に広げていく表現にする、といったように。

こういうふうに自分たちでつくっていくからおもしろく、やりがいがある。
やらされたり決めつけられたりするのはおもしろくもないどころかやりたくないだろう。仕事なら多少はそういう部分もあるけれど。

わたしもギター担当として「川の流れのように」に挑戦する。
発表できるときがいまから楽しみだ。

こころからお見舞いを申し上げます2016/01/25 23:30:16

24日の西日本。

長崎で観測史上最多の17センチの積雪

奄美大島で115年ぶりの降雪(前回は1901年。この年は足尾銅山鉱毒事件で田中正造が天皇への直訴を計画したり第1回ノーベル賞授賞式があった)

沖縄本島で観測史上初の降雪

東京は降雪がなかったが、まだまだ油断は禁物かもしれない。
わたしの故郷北海道とは違い、雪に慣れていない地域にとっては想定外どころではなかっただろうと思います。わたしは寒さには慣れているから、手袋をはくことはあっても耳あてはいらないと感じているこちらの寒さだけれど、西日本の方々は日常生活で経験がないだけに、多くの方にとってはとんでもない苦労と困難をお感じになられたのではないでしょうか。

被害に遭われた西日本の方々に、こころからお見舞いを申し上げます。

昔ながらの喫茶店2016/01/27 09:26:20

妻ハンナが「帰りが遅い」という予定をきいて、「もっけの幸い」と思ったわけではないが、たまにはいいだろうと、若いころ仕事帰りに一杯飲みに行った喫茶店へ足を運んできた。

地下鉄東銀座駅改札を出てビルの地下へ。『パウリスタ』という店名だ。ちなみに銀座にも同名の喫茶店がある。こちらとは関係がないらしい。
客席は5つもないだろうか、狭い店内だが、ホッとする空間である。
ここのマスターのお名前は知らないのだが、社会人になってまもないころから仕事前だったり仕事が早く終わったときだったり、ぐちともおしゃべりともつかない会話を交わしたものだった。

結婚してめったに寄らなくなって、お店が続いているのは知っていたけどなかなか時間がとれない。はじめに書いたように妻が帰りが遅いということを口実に立ち寄って久しぶりにココアを注文した。

わたしがおじゃましたころのマスターは3年前に脳こうそくで倒れたということで、若い男性に代わっていた。
昔話やら、彼がサッカーをやっているという話なので、今晩のリオデジャネイロ五輪サッカー予選などいろんな会話を交わした。

スターバックスやタリーズなどチェーン店だったり内装や店内が似たようなところがやたら増えた。それもいいけれど、おちついてコーヒーやお茶が飲めて、ほどよい店主とお客の関係を築ける、そんな昔ながらの喫茶店がまだあることがうれしい。

生活を守るためと言いつつ2016/01/27 23:25:53

わたしもスーパーで買い物をするとき、同じ商品でも、一円でも安いものをと考えている。わたしに限ったことではなく、給料が上がらないのに税金が上がる、こんな世の中ではだれもが生活を守らなくてはならない。
だからといって安いものばかりに飛びつくのも問題である。

長野・軽井沢で起きたバス事故はほんとうに悲劇である。残されたご遺族の思いにはわたしも胸が張り裂けんばかりだ。

バスを利用した学生たちではなく、規制緩和などでバス事業に参入した人たち、さらにはバス運転士の労働環境や待遇を考えず、一円でも安くと、バス会社への費用も削ったり法律違反で請け負わせた旅行会社。

食品の横流し問題も、全容がまだはっきりしないけれど、横流しした会社は食品を口に入れるということがどういうことか理解していなかったのだろうか。
さらにはわたしたちも問われるべきである。たくさんの食品が捨てられる一方で、一円でも安くと、血眼になっていることの矛盾を、わたしたちはどう考えているのか。

ちょっとずれるが、今秋にも犬を飼いたいと思っている。
だが殺処分される犬猫がいる。
ペットショップに行けば今日も多くの人が犬猫を求める。そのうちの何人が最後まで面倒を見てくれるのだろう。
わたしはもし飼うなら、最後まできちんと一緒にいてあげたい。

わたしたちは、生活を守るためといいながら、平気で自分たちの生活をこわしているのではないだろうか。

バス事故で亡くなった15人の尊いいのちとご遺族かかわりのあった方々に慰めといやしがありますように。
とてもつらい出来事が続く。

今日の手話学習2016/01/29 22:08:34

手話に限ったことではないが、学ぼうと思えば身近なところに思いがけないテーマがあるものだ。

今日の手話学習は、手話版「同音異義語」。
音声言語で「卵」「なまこ」「たばこ」が同じ口の開きをするために、聞こえないわたしにしてみればわかりにくい。
それと同じで、手話にも同じような、あるいは似たような表現がある。それを出しあってみた。

出るわ出るわ、けっこうあるものだ。
札幌と京都、帯広と博多。牛と城。
手の位置でも、前後の単語の関係をよく見ないと間違われることがある。

難しいテーマばかりではなく、身近なところからでも学べるものだ。

聴導犬について話した2016/01/30 22:44:52

今日は午後から「朗読のレッスン」、終わって妻と新宿区内で待ち合わせて自宅近くへ買い物に。

レッスン前に、聴導犬を飼いたいという話をちらっと講師先生、受講生と話した。
今日の新聞各紙に2015年「犬と猫の飼育実態調査」が出ていた。
ペットフード協会によると、推計で飼い犬が991万7000匹。飼い猫が987万4000匹だという。おととし、2014年がそれぞれ1034万6000匹、995万9000匹だったというから、そろそろ犬と猫の飼育数が逆転するかもしれない。

たしかに独り暮らし世帯の増加で散歩などの世話が必要な犬が減った一方、猫は日中、家を空けている家庭でも飼いやすいということが理由に上げられるかもしれない。加えて、飼育にかかる費用が、犬は7841円に対して猫は5087円。費用が安いということが挙げられるのだろう。
もうひとつ挙げるなら、人間と同じ「高齢化」という問題だ。
犬は高齢期が7歳以上だそうだが、54・6%。対して猫は6歳以下が54・4%と、若いのだそうだ。平均寿命はそれぞれ14・85歳。15・75歳。

レッスン前の講師先生と受講生仲間との話に戻す。
先生は聴導犬という存在を知っていらっしゃるようで、少しでも聴覚障がい者への理解につながればという話も出た。
来月妻と一緒に、聴導犬を育成している団体へ見学と話を聞きに行くことにしている。
もし犬が来ることになったら、生活もまた変わってくるだろう。それもまた楽しみだ。
とともに、妻にも言ったことだけど、犬もわたしと同じく生きている。
勝手な都合で処分だとか殺すだとかいったことはしたくない。最後まで一緒に生きていく。それを大事にしていきたい。

キリストを伝えるという基本に立っているかどうか。2016/01/31 23:18:57

雪が降ると言われていながら、雪どころか雨さえ降らなかった1月最後の日。
教会の礼拝後、わたしと牧師だけの「青年会」。もう50にもなったんだから青年もないだろうと思うのだが。それでも2014年から学び続けてきた「福音の再発見」(スコット・マクナイト著、キリスト新聞社刊)をあと1章で終えるというところまで来た。

行き過ぎた信仰の個人化、奇蹟や体験を重要視している聖霊派や福音派の信仰だが、ではわたしたちリベラル派はどうなのか。あくまでもキリストを伝えるという基本に立っているかどうか。

今日の説教は、イエスが生きた時代とその背景、当時の権力者とイエスの関係などを浮き彫りにしながら、イエスがなぜ、神殿で商売をする人たちを非難したのか、ということの本質を示していた。
とても学ぶことの多い説教であった。