わたしが一番嫌なこと2015/08/11 23:40:09

それは「いやいややらされること」である。

今晩、手話サークルでの納涼会の曲目『心の瞳』の手話表現を「虹の手」メンバーが集まって検討を出しあった。
わたしがいろいろ考えてつくってみた手話表現だけど、だからといってそれが完璧だとか完全だとか絶対だとかいうのではない。メンバーも地域の手話講習会で学んでいる。ましてわたしはグループで唯一の男性でありグループリーダーを務めているからといって、メンバーを従わせよう、わたしの意見を押し通そうなどという気持ちも言動もしたくないし嫌いだ。メンバーがわたしの案に、ご自身で勉強したり考えたりした案を出していただいたものを今晩話し合って、ひとつのかたちになりつつある。

このグループは多様性、共存という目的特徴がある。グループ名に「虹」という言葉を入れたのも、障がい者と障がいがない人、違いがある者同士が集まって音楽をやるというところにある。加えて言えば、わたしは聴こえないのにギターをやり、メンバーのキーボードと合わせて手話と声で歌う。

手話も、人からいろいろ言われてやらされるだけだったらけっして長続きしないどころか、飽きられるだけだろう。
そうではなく、たとえ手話学習経験が浅く短い人を前にしたとしても、その人に意見や考えを求めて、一緒につくっていくことが大事だ。

今後もわたしは、やらされるのではなくすすんでやる、一緒に自由な意見を出し合いつくりあげていく、そういう姿勢で手話を教えたり学んだりしていきたい。
それが、聴こえる者も聴こえない者もともに生きられる、「虹の手」のネームの由来でありコンセプトである、多様性と共存の社会ということにつながる。