利己的個人主義????2015/08/03 22:35:59

昨日の、礼拝後の集会は「平和を考える」という内容で戦争体験者2人がご自分の体験談と思いを話された。

自民党の若手議員の一人、滋賀4区選出の2回生、武藤貴也氏がツイッターで、国会前で安保法正反対の声を上げている学生たちについて「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」と発言したという。このツイッターがネット内外で話題になっている。

戦争に行きたいと思っている人など、はたしてどれくらいいるだろう。逆にこの人に問うてみたい。では、ご自身は「行け」と言われたら真っ先に行くのでしょうか? まさか「自分は議員だから」といって逃げることはしないでしょうね。国会議員だけではないけれど、高い身分や地位を与えられているというのは、それだけの責任があるというものです。

もうひとつ、利己的個人主義という言葉。
個人主義にはたしかに利己的な部分もなくはない。むしろ利己的だからこそ個人を主張し個人を尊重するということも言えるのだけれど。しかし「戦争に行きたくない」というのは、はっきり言って当然の主張であり、当然のことである。誰が好きで人のいのちを奪いあるいは自分が奪われることを望んでいるのだろうか。

彼のブログにはこうあるらしい。「『基本的人権の尊重』について。私はこれが日本精神を破壊した『主犯』だと考えている。国家や地域を守るためには基本的人権は、例え『生存権』であっても制限されるものだというのがいわば『常識』であった。もちろんその根底には『滅私奉公』という『日本精神』があったことは言うまでも無い。だからこそ第2次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである」

滅私奉公というけれど、あの戦争からの生還者の体験談を聞くと、どんなに口では天皇のために、と言っていた兵士でも、死に際には「おかあさん」と叫んだ人もいた。みんながみんな滅私奉公であったのではない。

基本的人権が制限される? 生存権であっても? 冗談ではない。はっきり言おう。そんな権利を持つ人はどこの世界にもいない。国や政治体制がどうであっても、基本的人権は尊重されるべきだ。もちろん現実社会として、ロシアや北朝鮮などといった、悲しいことにそれらが尊重されていない国はあるけれども。しかし国家や地域を守るために基本的人権、生存権が侵害されてもいい、国家や地域が人権より上、という考え方はとても恐ろしいどころかまったく人のいのちを考えていない。あなたがそれを主張する自由を認めつつ、わたしはそれに断固反対する。どんな国家であれ人権がなかったらもはや、国家の体をなしていない。恐怖で人を縛りつけるだけの、生きづらいものでしかない。

「『基本的人権の尊重』という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の『基本的人権』は守られるべきだという、身勝手な『個人主義』が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった」

これも恐ろしい考え方である。
身勝手なというが、当然の、人としてのあたりまえの主張、殺したくない殺されたくないという主張を「身勝手」と言い切るだけの理由があなたにあるのか。身勝手な個人主義ではなくて、大衆をそのようにし向け、引っ張っていこうとした政治家や政党がいたからではないか。

結局、彼は敵をつくりだし憎しみをあおりたいのだということだ。
昨今いわれている「反知性主義」にも通じるようにも思う。

わたしはこの若手議員がこういうことを平気でいうことに、安倍内閣の本質を見た思いである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
今年のスーパーボウル優勝チームは?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://todaywesonghands.asablo.jp/blog/2015/08/03/7723866/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。