どんどん使っていって話をすること2014/12/01 23:41:52

時はもう師走。早いものである。

今日は夜からASLのレストランレッスンに行ってきた。

日本の手話もアメリカ手話も、共通している部分とそうではない部分がある。
単語で異なる部分があるのはいうまでもないし、言葉だからあたりまえである。
共通している部分は、名詞と動詞が重なることがある、ということだ。動詞の表現を動かすことで名詞になる。

たとえば飛行機という表現。
人差し指、親指、小指をまっすぐ伸ばして飛行機に見立てるのは日米同じ。前に出せばそのままフライトという意味になる。

ただし、飛行機に乗る、あるいは空港、という場合、日本の手話では飛行機に続けて、場所という単語をつけるが、アメリカ手話の場合は飛行機を前に2回出して表す。
船という表現も、単に両手で船の形にすればそのまま船という意味だが、船を前に出すと、船に乗るという表現だ。

なるほど。
こうやってアメリカ手話を実際に使って話してみると、徐々にだがアメリカ手話でも表現力がついたと思う。実際にアメリカに行ってろう者と会話をするのにはまだまだ時間がかかるだろうが、日本手話でもそうだけれど、どんどん使っていって話をすることでしか身につかない。

手話の学びがますます楽しいと感じる。

「それ以外の道もあるだろう」2014/12/02 23:36:02

仕事帰りに、御茶ノ水へ、妻と一緒に。

三浦綾子読書会
http://miura-ayako.com/

この会の存在は何年も前から知っていたし、独身のころに朗読会があってある女性プロアナウンサーの指導で朗読をしたこともある(コスモス朗読会の講師先生のお名前もご存知だそうだ)。耳が聞こえないことは事前に話していたけど、わたしが三浦さんの作品の一部を朗読で読んでみて、彼女と、そのとき一緒にいた女性が、びっくりしたように顔をみあわせていたのを覚えている。聞こえないから読めないと思っていたのだろう。

まあそれはどうでもいいこととして。
『続・氷点(上)』をプリントに従って講師を務めた牧師の解説を聞きながら最後に各自が語り合った。
やっぱりここでも聞こえないことが壁になった。妻が簡単ながら手話で参加者の自己紹介を手話通訳してくれ、講師先生の解説もメモを介して読み、まあなんとか過ごせたのが収穫だった。
読書会は妻も気に入ってくれたようで、来年も参加したいと考えている。

さて第47回衆議院選挙が公示され、12日間の選挙戦がスタートした。
テレビも週刊誌も新聞もネット上もこぞって取り上げているが、わたしは安倍内閣が「アベノミクスの成果を問う」と言っていることに疑問を感じている。疑問どころかその姿勢をおかしいとさえ思う。
たしかに、政権からすれば、「われわれの提示したもの、2年間の政策を問う」というのはありだろう。しかし提示される側にしてみれば、「それだけか。それ以外の争点はないのか」と逆に問いたいだろう。
まるで政権がすべてを決め、選挙の争点も提示するかのような、一方的な姿勢には疑問を隠せない。
まして師走のこの時期。なんでこんな時期にやるんだ、という思いを抱いている人が多いだろう。

「この道しかない」か、「流れを変える」か――。
「この道しかない」というのなら、国民から見れば「それ以外の道もあるだろう」と問いたい。
答えは12月14日に出る。

わたしたちはどこから来たのか2014/12/03 22:34:44

2年前、エンジン停止や通信途絶など、いくつものトラブルや困難を越えて地球に帰還し、多くの人に感動を与えた、小惑星探査機「はやぶさ」。
その後継機「はやぶさ2」が、今日13時22分30秒ごろに打ち上げられた。

「はやぶさ」の感動と実話をもとにしたいくつかの映画も作られたけどわたしは見ていない。なぜならそこにはフィクション、つくるうえでの創作も交じっているから。
とはいえ、広大な宇宙に思いをはせて、「はやぶさ」のフライトがどんなに困難だったかを想像すると、今回のミッションも興味を抱いている。

わたしたちは地球という星に住んでいて、ふだんは地球どころか身の回りのことを考えるだけで精いっぱいである。
しかし、夜空に目を向けてみると、地球以外のたくさんの星があり、そのどこかに、わたしたちと同じ生命が住む星があるかもしれない。もし近くにないとしても。はるかな遠くにいるかもしれない。
わたしたちはどこから来てどこへ行こうとしているのか。

高校時代、北海道の夜空で見た満天の星。
あまりにも数えつくせないほどの星をみて、言葉がみつからなかった。
30年以上たっても忘れられない光景である。

あと2回ある2014/12/04 22:24:07

いつものように、妻と一緒にギター教室へ。
今月13日、友人らと一緒に、生まれて初めて人前でギターと手話ソングを披露する。その曲の一つ「ふるさと」を練習している。

まだまだだが、だいぶ感じはつかめてきた。
先日も話したように、ろう者が楽器をやるのはかなりハードルが高いうえに、聞こえていない音と聞こえている音の聞き分けが難しい。聞こえていない音はないものとしてカウントしてしまう。そういえば、メトロ東西線沿線に住んでいたころ、聴こえにくい駅名があった。たとえば茅場町や門前仲町が聞こえにくく、「かあばちょう」とか「もんぜんあかちょう」などと聞こえていた。高い音と低い音の聞き分けが難しい。高い音ははっきり聞こえるが低い音はくぐもったり聞こえていなかったりして、わからない。だから、聞こえていない音はないものとしてカウントしてしまうのだ。

話をギターに戻す。
書いたように、だいぶ感じがつかめてきた。
コードの押さえ方、ホール側の弾き方。
来週土曜日が本番だが、そのまえにメンバーとの合同練習が1回。ギター教室での練習が1回ある。

ろう者と聴者のグループ。普通は聴者が楽器を、ろう者が手話をやるものだが、真逆というものもまたおもしろいかもしれない。
このあいだ「四季の歌」を一緒に合奏してみたらうまくできた。妻と一緒に弾けると、手話ソングの表現も豊かなものになるだろうね。

わたしのまわりでは景気が良くなったという実感があまりない2014/12/05 22:56:43

よく読まないと気づかない小さな記事だが、今日のある全国紙経済面に気になる記事があった。

「円安倒産 3カ月連続最多」

円安の影響による企業の倒産が、10月は42件。3カ月連続で過去最多だという。今年1月から先月までの円安倒産件数は301件。前年同期の2・7倍だという。

14日は総選挙の投開票日。
自民党は安倍政権は「景気が上向いてきた」「雇用も上昇してきた」と胸を張るけれど、はたしてそうだろうか。少なくともわたしのまわりでは景気が良くなったという実感があまりない。

目立たないところに、大きな記事がある。
よく目を凝らしていきたい。

はじめての披露2014/12/06 23:31:47

朝から妻と一緒に、埼玉県春日部市の認知症療養センターで妻の友人らが毎年取り組んでいるボランティア活動に参加した。

大学時代に老人福祉について勉強したけれど、当時と現在では高齢者施設のおかれた状況は異なっているだろう。しかし重度疾患をもっていたり認知症などを患っていたり、高齢者のためのケアに取り組んでおられる、施設職員や学生らには、本当に頭が下がる。もっと社会がこういった施設に目を向けてほしいものだ。

妻らはタンバリンダンスをやりわたしは手話落語をやった。人前でやるのは初めてだ。
認知症の人たちを前に落語というのは、難しい。けっして悪くはないのだが、いかんせん反応が薄い。
雲をつかむような感じだったが、まあなんとかできた。

いろいろ人の前でやってみて初めてわかることも多い。
次回は手話サークルの忘年会でやることになる。

すべてぴったり手話と伴奏が合った2014/12/07 22:22:21

午後から、今週土曜日13日に予定している、手話ソングのボランティアのための練習を、メンバーとともに行った。
実際の会場、カラオケや客席をイメージして、メンバー各人の立ち位置や動きなどを確認。曲目ごとに出だしと合図を決め、電子オルガンとギターでひと通り複数回歌ってみた。

やはり聴こえないことで出だしが分からないなどいくつか問題があったけれど、電子オルガンのスピーカーにマイクを近づけて音が聞こえる工夫をしたり、2回うなづいたら曲が始まるとルールを決めたりして、演目すべてぴったり手話と伴奏が合った。
当日午前中にもう一度合同練習をして午後からの本番に備える。

まったく、小中学生時代の音楽の授業といったら苦痛でしかなかった。聴こえないから楽しめない。楽器を弾いても合わない。アコーディオンだとかリコーダーだとかやったけどつまらないうえに楽しくない。
それがどうだ、40年近くたったいま、まさかギターをやり手話をやるなんて、思いもしなかったことだ。

聴こえないわたしに合わせてくれる聴者のメンバーに、こころから深い感謝を抱いている。

薬とマッサージで快復2014/12/08 23:24:09

先月3日の文化の日に体調を崩して、妻に大きな心配をかけたが、今日も激しい頭痛と肩こりで、きついありさまだった。緊張性頭痛である。

ロキソニンを処方してもらい70パーセントまで体調が戻ったがやむなくマッサージを受けてほぼ完全に戻った。施術後にマッサージ師にきいてみると、肩から首、背中までひどいこり具合だったらしい。

妻はもちろん周りにも大きな心配をかけてしまった。
年末年始はけっこう忙しい。まさに「師走」のとおりだ。
しっかり体調を整えておかなくてはと自戒している。

薬以外にできることもやってから2014/12/09 21:15:54

昨日の頭痛はひと晩たって、すっかりなくなった。
実は昨晩、軽い頭痛を感じて、処方してもらった「ロキソニン」を服用していたら心臓に負担がかかった。

アメリカ手話を教えてくださる知人にこの話をすると、アメリカでもごく少ないけれども肩こりと頭痛を訴える人がいるらしく、症状改善のための薬が販売されているらしい。商品名をAdvilというのだそうだ。
今日、薬剤師に相談してみたら、日本では「イブ」という名前で売られているという。詳しく聞くと、薬の成分はイブプロフェンだという。

ネット上でもこの薬は話題になっているらしい。アメリカ在住の日本人が買い求めたとか、日本で手に入る薬とどう違うのかなど、質問箱に書かれているようだ。

いずれにしても薬で治るならそれでいいが、できるだけ薬に頼る前に、からだを温めるとかからだのゆがみを治すとかいった、自分で出来ることをやる必要もある。
薬だけに頼るのはかえってよくない、とも言えるのだが。

時代背景や暮らし、文化を知る2014/12/10 22:27:21

手話落語「時そば」に挑戦している。

いろいろ研究したりものの本を読んだりして、この落語がどういう作品なのか歴史や、当時の食生活や数字の数え方まで学んでいる。

調べてみると、この落語のもともとの話は1726(享保11)年の上方、京都の『軽口初笑』のなかにおさめられている「他人は喰寄り」という話だそうだ。その後大阪で「時うどん」という噺になって、江戸にきたときには「時そば」に変わったらしい。そういえば関西はうどん文化だ。なるほど。
そばの値段も、「時そば」噺のなかでは16文と決まっているとなっているが、そもそも、二八そばのそば粉とうどん粉の配合比率からきているのか、はっきりしない部分もあるらしい。
ただ、夜鷹そばといって、いまでいうなら屋台ラーメンのようなものか、夜の町中を往来してそばを売っていた人たちがいたことは事実だろう。

もうひとつ興味深いのは、数字の数え方だ。
江戸時代、識字率は考えられるほど低くはなかったらしい。
現代日本語では「10」を「じゅう」と読むが、当時は「とお」と読んでいた。
そこで10以後の数え方を調べると「とおあまりひとつ、とおあまりふたつ」と読んでいた、という説を聞いた。
春風亭柳橋という落語家は「ひい、ふう、みい、よう」と数えていたが同じく落語家の桂三木助は「一つ、二つ、三つ、四つ」と数えていた。時刻を「よっつ」「ここのつ」と数える場面から、時刻については後者をとるとして、お金を数えるときは「ひい、ふう、みい、よう、なな、やっつ、ここのつ、とお」以後、「とおあまりひとつ、とおあまりふたつ」と数えるのはどうだろう。

手話表現を覚えるというだけではなく、時代背景やその時代の暮らし、文化、人々の息遣いなどを知るという意味でも、学ぶものの多い表現芸術である。
落伍はとてもおもしろいものだ。