新しい年度の始まりに思う2014/04/01 23:05:26

今日から新しい年度に入る。いろんな出来事があった。まず消費税が8%に上がった。給料が上がるわけでもないので、これからの生活にどんな影響が出てくるのか不安が募るが、できる限り自分たちの生活を守るしかない。

もうひとつは新しい社会人を迎えたこと。
何度も書いたように、会社員生活は25年目に入った。計算するとあと11年くらいしか残されていない。まだ、かもう、か、受け取り方は人それぞれだろう。
けれどわたしはまだ、よりはもう、の思いが強い。だからこそ、残された時間をしっかり見つめていかなくてはいけないと。11年間でなにができるのか、いまの職場以外に自分のタラントを生かしあるいはキャリアを積む場があるのかどうかわからないが、少なくともわたしはろう者に近い重度の聴覚障がい者であり手話ができて普通に話せる。ややこしいからだだからこそいま、ここにいて少なくとも生かされている場があるのだから、そこで全力を尽くしていくしかない。
あとにどんな人が来るのかわからないが、その人にバトンを渡すことができるように、残された時間をしっかりみつめていかなくては、と思う。

わたしにとってのタモリさんといえば2014/04/02 23:00:13

あまり知られていないようだけれど、タモリさんというとわたしはバラエティー番組や音楽番組の司会者というより、BCLや海外ラジオ無線に詳しい、という印象が強い。

まだ耳が聴こえていたころ、そう、小学校4年生から中学校のころ、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)で「BCLワールドタムタム」という番組があった。同じラジオたんぱで放送されていた「子門と照子のQSOジョッキー」というアマチュア無線家向け番組とともにわたしにとっては、海外無線や海外ラジオを知る機会となっていた。いまはもう年に一度行くか行かないかになってしまった秋葉原だけれど、小学校のころに訪れた秋葉原は、AKB48やアニメでもヲタクでもなくましてパソコンでもなく、アマチュア無線やBCLラジオという、世界を知るという大人の仲間入りへの入り口だった。父に連れられて、「角田無線X-1」というラジオショップで、ナショナル(現パナソニック)の9万円もするBCLラジオを前に、ほしいなあとせがんだことも今では懐かしい。

タモリさんに話を戻す。
ほとんど番組内容は忘れてしまったのだけれど、彼は番組の中で海外短波ラジオ局の放送開始シグナルや放送局名、国名などを紹介しながら海外短波ラジオの魅力を語ってくれたものだ。

世代やファンにとっては思い入れも思い出もさまざまだろうけれど、わたしにとってはタモリさんというと、どうしてもBCLブームと切り離すことはできない。

ともあれ、30年以上、たいへんおつかれさまでした。

津波注意報とギターレッスンと2014/04/03 22:28:31

ピンボケでごめんなさい
チリ北部で現地時間1日午後8時46分(日本時間2日午前8時46分)ごろ、マグニチュード8・2の巨大地震が起きた。
南米から遠く離れたここ、日本にも地震による津波が到来し、けさから夕方までNHKテレビは画面すみに津波注意報や津波が予想される太平洋沿岸の日本列島画像を出すなど、報道を続けていた。
わたしのスマホにもけさから津波注意報が出ていて、画面をタップすると情報が出てきた。

地球は生きていることをまざまざと感じさせる。災害は忘れたころにやってくる。東京も含めて、いつまた大きな地震がやってくるかはわからない。備えをしっかりするとともに、注意を怠らないように。

話は変わって。
今日はギターのレッスン日。
「バラが咲いた」はどうにかリズムやテンポが合う。
今日から「思えば遠くへ来たもんだ」(海援隊)を教えていただく。
独学で覚えた部分もあるから、それらをすべて帳消しというかなしにして、基本――スリーフィンガーのテクニックから――教えていただいた。
聴こえない上に説明がわからないけれど、忍耐が大事。
夏の納涼会で手話をつけてやりたい、と妻や手話通訳士に話した。このギターレッスンを始めたのも海援隊の曲に始まっていろいろアルペジオやスリーフィンガーで演奏、手話をつけて歌ってみたい曲がたくさんあるからだ。
いったんやると決めたら絶対にやめない。
しっかり覚えたいし、いい演奏と手話ができるようになりたい。

手話を使おうという人が増えて手話が広まってほしい2014/04/04 22:42:01

「歯科医院で使う手話読本 やってみよう! 手話で簡単コミュニケーション」
仕事の合間に会社内の歯科医で30分間の治療を受けてきた。
治療の前に、手が空いていた歯科医スタッフらにある本を紹介してみた。

「歯科医院で使う手話読本 やってみよう! 手話で簡単コミュニケーション」

わたしの手元には何冊かの手話関連本や手話単語辞典などがある。紹介したこの本は、どちらかといえば医療従事者向けの手話テキストだ。編集は歯ブラシや歯みがき粉はじめ、洗剤などで知られる「ライオン」の財団法人 ライオン歯科衛生研究所。発行は一般財団法人 口腔保健協会。さすがにお値段は4000円と、ちょっとこの手の本にしては高い。2000年に出された本だが、2012年の3月で第4刷にもなっている。

とてもわかりやすい。
歯医者にかかるときに医師が問診したり歯の具合を教えたりするには、どうしても専門的な言葉が出てくる。歯は小さいから説明しづらい部分もあるだろう。
けれどたとえば「歯肉」という場合、左手で歯を指さし、あるいはこぶしを握って歯のかたちをつくり、右手で左腕の手首からひじのあいだを表す。左腕の手首からひじのあいだが歯の下、肉部分を表す。

で、今日の治療前にこの本をもっていってスタッフに簡単な手話を教えた。そうしたらさっそく「おつかれさまでした」を表してくれた。

職場でも手話を広めたいと思う。でもなかなか難しい。なぜならわたしは話せるから、筆談で済んでしまう部分もある。ろうに近い意識を持っているわたしとしてはジレンマがある。
とはいえ、徐々にでいいから、こういう本を広めたり自分で手話を使うことで、妻や手話通訳士、サークル以外に手話を使おうという人が増えていって手話が広まってほしいとこころから願う。

週末の浜離宮庭園2014/04/05 23:20:55

「朗読のレッスン」を終えて妻が『桜が見たい」と言ってきた。
そこで待ち合わせて都内は浜離宮庭園を、1時間ほどだが一緒に回ってきた。

ビルからの風などで少し肌寒く、肝心の桜もところによっては満開だったり一分咲きだったり五分咲きだったりとまちまち。それでも家族連れやカメラを持ったカップルなど、たくさんの人々をみた。

明日は気温が下がるようだが、週明けからまた暖かくなるだろう。本格的なお花見は来週いっぱいかもしれない。

肌寒い天気だったが2014/04/06 23:13:55

礼拝のあと、自宅のフローリングになっている床を、ワックスで磨く作業をした。テーブルや棚を移すまえに掃除機をかけるなど大がかりな作業だったけれど、まあ見違えるようにきれいになった。

明日は今日よりは暖かくなるだろう。
徐々にだが春が近づいているのを感じる一日。

一緒に取り組んで一安心2014/04/07 23:46:04

昨日床フローリングをワックスがけしたのに続けて、帰宅してから居間の棚内を整理する。40分ほどかけて取り組んだが、あるわあるわ、メモ帳だの便せんだの封筒やらいろいろ出てきた。聴こえないとどうしてもメモ帳が増えてしまうから自然とたまってしまった。

妻と一緒に取り組んで一安心。

明日はギター練習などに取り組む予定でいる。

突然の出来事に驚いている2014/04/08 23:49:24

北海道在住者や在住経験者ではない人にはなんのことやら、とおもうだろうが、今晩、あるラジオDJが亡くなったというニュースを聞いてたいへん驚いている。

時事通信社

 8日午前11時40分ごろ、札幌市南区常盤三条の路上で、フリーアナウンサーのジャンボ秀克(本名佐々木秀克)さん(62)=同区真駒内=があおむけに倒れているのを近所の女性が発見、119番した。ジャンボさんは病院に運ばれたが、死亡が確認された。

 わたしも北海道にいたころなんどもジャンボ秀克さんの番組を聞いたことがある。高い声と元気なしゃべりが好きだった。もともとはHBC(北海道放送=TBS系)の局アナウンサーだったのだけど、フリーとして活躍していらした。
 まだこれからという若さ。
 こころからご冥福をお祈りいたしますとともに、いままですてきな放送をありがとうございました。

きれいに話せることと補聴器を外すとまったく聞こえないこと2014/04/09 23:36:04

夕方からの手話勉強会のあと、手話通訳士と居酒屋へ移動して、社会時事問題やらテレビ番組やらいろいろ話題が広がった。

いつも感じていることだけれど、わたしはろう者だという意識で動いている。ところが周囲はかならずしもわたしの思いとは同じとは限らない。話せるからいい、という人もいれば、聴こえないとは思えないという人も。
手話通訳士先生から「なぜ朗読をやりたいと思ったのか」と聞かれて「きれいに話せるからそれを生かしたい」と、取り組んだのだと説明した。
ジレンマなんだね。きれいに話せるというのと補聴器を外すとほとんど聴こえないということがなかなか分かりにくい。

仕事としてはできなかったけれども、ライフワークのようなものとして、聴こえない人と聴こえる人をつなげる橋のような存在になりたい。声と手話で表現する、手話漫才だとか手話朗読だとか。

できるならもう一度やってみたいものだ2014/04/10 22:01:57

無線免許
居間にあるたなを妻と整理していて、懐かしいものに出会った。中学時代に受験して合格したアマチュア無線技士の免許状である。局免許と従事者免許の2つがあり、QSLカードも中に入っている。

有効期限が切れているのでたぶん再申請が必要だろうと思うけど、もしまたやるとして、はたしてこのキーボードをたたく音もかすかにしか聴こえない耳ではどうだろうねえ。雑音を聴き分けることも相当難しいだろうし。
遠い昔、まだ湾岸戦争なんて起きていなかったペルシャ湾を航海中の日本籍のタンカーと交信したのは驚きであり喜びだった。冬の昼、札幌の藻岩山から青森とつながったのも新鮮だった。

インターネットというのは瞬時に世界とつながる。つながるゆえの楽しみ喜びももちろんあるだろう。だが玉石混交のなかでたしかな情報を得るのは難しい。へたをするととんでもないものをつかまされる。
昔アマチュア無線をやっていたころは周波数を合わせてコールサインを呼び合ってやっとつながったのだけどいまは呼び合わなくてもすぐにつながる。向こうから勝手に入ってくるのがネット時代だ。
雑音の向こうの見知らぬ世界とつながるというアマチュア無線の体験は何にも代えがたい感動と喜びを、コミュニケーションとは何かを教えてくれる。

人と人の出会い、コミュニケーションというのは、本来そういうものなのではないだろうか。