セナ2008/05/01 23:13:21

あれからもう14年か。1994年のこの日、F1サンマリノGPの決勝レース中にアイルトン・セナが事故死したのはこの日だった。スーツにセナのヘルメットをデザインしたバッジをつけて彼をしのぶ。
あの日の出来事、あの日をどう過ごしたかはいまでも鮮明に覚えている。仕事が終わって古い友人と一緒に、近くの食堂でそういや、今日はレースがあるんだったねといいながら、帰ってテレビを見ると、セナが事故にあったと。まもなくして死んだという続報が飛び込んで、血の気が引いたのを覚えている。その後の、事故をめぐる裁判に関する報道なども雑誌や新聞を通して何度も聞いたり関心を抱いたりした。1997年2月20日にウィリアムズF1チーム・FIA ・SAGISの6人を被告として始まった「セナ裁判」と呼ばれた裁判は、結局、事故原因はセナが要求した、ハンドルの軸を加工する作業の強度不足だと言われたが、責任が誰なのか、メカニックなのかチーム監督にあるのか、サーキット関係者なのか、 うやむやなままに6人を無罪とする判決を下して1997年12月16日、終わった。

14年前は、セナと同じサンマリノGPの予選中に事故死した、ローランド・ラッツェンバーガーまで、12年間死亡事故がなかった。セナとラッツェンバーガーまでは「二度と死亡事故は起こらない」と断言する人もいた。だのに事故は起きた。
セナが310キロから210キロに急減速した速度で激突したあのタンブレロ・コーナーは1989年のサンマリノGPでも、クラッシュ事故があった。高速コーナーに加えて、コンクリートウォールがあり、タイヤバリアなどがない危険なところのため、一歩間違えると取り返しがつかない事故が起きる懸念があった。実際、セナの事故のあとにタンブレロ・コーナーは大きな改装が施された。さらにマシンも、セナ当時とは比べ物にならないほど安全な設計になっている。たとえばドライバーを保護するコクピットがそうだ。写真で比較するといい。いまのマシンは首から上を囲むようにつくられている。あれからF1における安全性は事故前以上に高くなり、死亡事故はなくなった。しかし、セナがかえってくるわけではない。人間のすることに絶対はないし、人間が操る、あれほど高速で走るマシンが、事故を起こさないとは言い切れない。

今日、会社に行く前に幼稚園児とお母さんと立ち話をした。男の子の胸につけられた名札には「せな」とあった。おそらくお父さんかお母さんがF1、セナのファンなのだろう。あの子が大きくなったとき、F1はどうなっているだろう。地球環境を考えるとモータースポーツの未来は明るいとは言えない。

写真は、セナの最後のマシン、ウィリアムズ・ルノーFW16と、インディカーのテストに招かれたときに乗った、ペンスキー・インディカーのミニチュアである。セナのヘルメットのデザインが異なるのは、それぞれのマシンに乗った年によって違うからだ。けれどブラジル国旗をイメージしたヘルメットは見るたびどれも懐かしくそして悲しみを覚える。なぜならあの事故のとき、タイヤとボディーをつないでいた、折れたサスペンションアームがヘルメットを貫通してセナの脳を直撃したのが、死因だったからだ。あんな速度と4Gともいわれた衝突だ。普通の人以上に強じんなセナでもひとたまりもなかっただろう。飛んでくるサスペンションアームをかわす余裕もなかったはずだ。あっというまだったのだから。……でもわずかでもいいから、ヘルメットをかすめてほしかった。

今年のF1ではセナとチームメートだった中嶋悟さんの息子、一貴がウィリアムズ・チームで走っている。セナの最後のチームだった。お父さんがF1でデビューしたのはセナにとって2つ目のチームだった。
これも何かの縁だろうか。

あなたが人生に絶望しても2008/05/02 23:25:51

先日の手話サークルの日帰り旅行はとても楽しい思い出がたくさんできた、こころに残るものだった。
その一方で、わたしのこころに重苦しい石がのしかかっている思いもあった。

いうまでもなく、ここ最近起きている、硫化水素による自殺のニュースである。先日はとうとう、これを使った殺人未遂事件まで起きた。毒性が強力なために、それと知らずに部屋に入った家族や救急隊まで硫化水素を吸いこんで死んだり気分が悪くなるなどの巻き添えがあるだけではなく、マンションなど集合住宅では、多数の人たちが避難するなどの騒ぎにまでなっている。
事態を重くみた警察は、ネットで硫化水素を使った自殺などを書き込んだサイトを削除するよう、プロバイダ会社などに呼びかけた。化学薬品を扱う業界も、硫化水素を含む洗剤や薬品などの販売に注意をはらうようになった。

自殺はわたしも考えたことがあるし、実行しようと思ったこともある。
けれど他人を巻き添えにしたいとまで思ったことはない。ましてや、自殺をしてリセットしたつもりでいるかもしれないが、リセットではなくどれだけ多くの人が苦しみ悲しむか。たしかにいまはつらいかもしれないが、やがては明けない夜はない。どんなに苦しいことがあっても、いつかは希望がみえてくる。

ヴィクトル・フランクル(1905~97)の著作は、彼が亡くなった10年後のいまもなお、静かに読まれていると聞く。
「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたへの希望を捨てない。どんな人にも、固有の生きる意味がある」

聞こえなくても、人には生きる意味がある。
自殺をした人たちは自分に絶望したのだろう。やりきれない苦しみや悲しみをリセットしたいと思ったのだろう。けれど、死を選ぶ前に、その生死を分かつほどの苦しみのさきに、自分を待つ何かがある。それは死ではない。死ぬことではない。

死とか死ぬとか、簡単に口にしてしまう。けれど、本当はとても大変なことなのだ。その人がそれまでに生きてきた人生の最大かつ最高の、すべて、生きてきた生きざま、考え方、もろもろが如実に表れるのだと思う。だからとても軽々しく死とか死ぬとか、口にしたり願望を抱いたりすべきではない。死を考えたら、もしまだ、自分を待っているものがないのかと問うてみてほしい。あなたは絶望しているかもしれないが、あなたに希望を抱いている人もまた、必ずどこかにいるはずだ。

連休を前に、これからのわたしの歩むべき道、どうしたいのかどうありたいのかを考えてみた。
自分のためではなく、誰かのために生きたい。それが回りまわって自分のためになる。手話も朗読もそう。相手を理解したい、相手のためになりたいと思う。

ま。こんなものだろう。2008/05/03 23:02:10

連休で、からだを休める。
……。肩のこりがひどくて、おまけに頭までいたい。

ま。こんなものだろう。

疲れたからだね。ゆっくり休めばまた明日から戻りますよ。

きついなあ2008/05/04 23:42:38

うーん、やっぱり今日も居眠りしてしまった。
昨日の肩こりと頭痛はかなりとれて楽になった。けさは日曜日にしては珍しく朝7時の起床。けれど案の定というか、礼拝説教では眠気に襲われてしまった。

そのほかにも礼拝でのアナウンスが聞こえないなど、正直フラストレーションがたまりにたまって、そんなそぶりは微塵も見せなかったけれど(あたりまえだ)教会員の方、それもごくわずかの方にお話ししてみた。
来週もちょっと説教を読むのが苦しいかもしれない。

おまえはこれを読みたいか?2008/05/05 23:11:13

今日はあいにく夕方から雨が降って、せっかく楽しみにしていた、難聴者仲間との都内散策は、天気に恵まれない結果に終わってしまった。

しかし、それでもやっぱり行ってよかったと思っている。
というのは、この5月5日は毎年、教会関係の行事が行われているのだが、例年ならわたしもこれに参加していただろう。だが、聞こえないわ要約筆記や手話などの情報保障が足りないわ、分科会という話し合いの場に参加しても内容が分からないわ、話しても後れてしまうわ、楽しいというか参加している充実感を味わうには至らない。今回難聴者仲間と都内を回ってのめないけれどお酒の場につきあい、行ってよかったとあらためて思う。

写真は、カメラを渡した難聴者仲間が撮影した、六本木ミッドタウンそばの草花。
なかなかいい写真だと思う。はっきりいってわたしなんかより、ずっとセンスも構図もあるね。……ちょっと悔しいくらいだ。

この会に参加する途中の電車内で、2つの本を読み始めた。9月の朗読舞台の台本に使うテキストについてである。
まず、ヴィクトル・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」(春秋社、1993年)。次に、映画にもなった、こうの史代さん原作のコミック「夕凪の街 桜の国」を脚本家の国井圭さんが小説にした「小説 夕凪の街 桜の国」(双葉社、2007年)。国井さんは映画化された「夕凪の街 桜の国」の脚本家でもある。

映像をどうするか、BGMは何を使うかなど、また手話訳をどうするか、どこを読むかなど決めなくてはならないことがあるが、まずこの2冊を読んでみて、自分の真っ正直なこころに聞いてみたい。おまえはこれを読みたいか? と。

水鳥2008/05/06 22:15:10

昨日の難聴者仲間との都内散策で、六本木ミッドタウンそばの池で泳いでいた鳥。
都内にもまだまだ自然が残っているんだね。生き物を見て癒されたのはいうまでもない。

自分の内側から燃えるような情熱がかきたてられるものに2008/05/07 23:15:48

連休が終わってにぎやかであわただしい、いつもの生活が戻ってきた。

朗読のテキストをと、本を読み続けているのだが、「アンネの日記」ほどに読みたいという気持ちがわいてこない。昨年は眠りから目が覚めて「アンネの日記」はどうだ? という声がしたのだけれど。
うそだとかオーバーだとか思う人もいるだろうけれど、たしかにあのとき、声がしたのだ。

もう少し待ってみよう。
自分が本当にやりたいもの、やって楽しいとか情熱をかきたてられるもの、どんなに難しいテキストであっても、演じるわたしがやりたいと思うものが、本当にやりたいものなのだろう。昨年のときは本当に、やりたいと思ったし、そのための取材旅行も、まったく苦にならなかった。
今年も同じように、自分の内側から燃えるような情熱がかきたてられるものにめぐりあいたい。

真夜中の地震2008/05/08 23:28:22

今日午前1時に、2度の地震が起きた。
最初は午前1時2分。このときはパソコンでウェブやメールを読んだり書いたりしていた。地震発生時、揺れをすぐに感じ「いやに大きいな」と、テレビをつける。1分くらいして震度3だと伝えられた。
その後、就寝について携帯のサイトで地震報道をみながら眠りに就いたと思ったら……。1時45分、前より大きく強い揺れを感じた。テレビをつける前の室内の暗闇から窓を見ると、高速道路が揺れているように感じた。いや、部屋が揺れているのだ。
目覚めて携帯に目をやると、地震発生、揺れに気を付けてくださいと、テロップが。昨年買い換えた携帯電話には、通信社系の臨時ニュース報道とは別に、災害発生時にバイブレーターとテロップで知らせるように設定しているのだが、早くもやってきたか。

報道では今回の2つの地震は、震源の深さ約50㌔、規模はマグニチュード7.0と推定される。昨日夕方から震度1以上の前震があったらしく、午前1時分の揺れのあとの45分の揺れが本震だったらしい。

話はアジアに移る。
軍事政権下にあるミャンマーでは、サイクロンによる被害で犠牲者が2万5千人にものぼるという。多数の遺体があるとも伝えられ、マラリアなどの伝染病が発生するおそれがあるほか、衛生状況の悪化も伝えられている。
軍事政権としては救援のための外国人を受け入れるのは拒否したいだろう。外国人が来ることで国内の状況が表に出ることもいやがるだろう。サイクロンによる直接の被害だけではなく、政治家や政府の対応が新たな犠牲者や被害者を生む「人災」につながるのではないか。

自然の前には人間の存在や知恵など、もろく小さいものでしかない。
軍事政権であろうが、科学であろうが。

朝方に起こされた2008/05/09 23:44:07

けさまた、地震があった。午前7時43分、川崎市川崎区で震度3、都内は震度2。
まいったね。

こころまで沈んでしまいたくなる2008/05/10 22:25:39

木曜日から天気が崩れて、今日も午後は雨。明日も雨らしい。北海道は雪が降っているとか。

天気の悪い日が続くとこころまで沈んでしまいたくなる。


手話サークルのため出かけるまで時間があったので、久しぶりにベートーベンのピアノソナタ第30番、31番、32番や映画「スーパーマン リターンズ」のサウンドトラックなどを聴く。

物言えば唇寒しというところではないけれど、たったひとりわたしだけが難聴者という状況では、正直自分の苦しさしんどさは言いにくい。というかかえって「それがどうした」と反論されかねない。
けれど何も言わない言えないのも困る。

地球上のすべての人がわたしを見ていないとしても、神さまはわたしをちゃんと見ていてくださる。そう確信する。