秒単位でどこまでできる?2007/10/01 23:32:56

もう10月か。今年はいつも以上に月日のたつ早さが感じられてならない。
街行く人は衣替えをすませた姿もちらほら。

で、10月に入って、新しいできごとがいくつかあった。
そのなかから、「緊急地震速報」をテーマに考えてみたい。

緊急地震速報は緊急地震速報地震の発生直後に、震源に近い地震計でとらえた観測データを解析して震源や地震の規模(マグニチュード)を直ちに推定し、これに基づいて各地での主要動の到達時刻や震度を推定し、可能な限り素早く知らせる情報です。
(気象庁ウエブサイトhttp://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/EEW/kaisetsu/Whats_EEW.htmlから)

ただし、緊急地震速報にも限界がある。
気象庁のウエブサイトによれば
①情報を発表してから主要動が到達するまでの時間は長くても十数秒から数十秒と極めて短い
②震源に近いところでは情報が間に合わない
のだという。
ほかにも大規模地震においては推定精度の限界があることなどを挙げている。

ここで10秒から長くても1分という極めて限られた時間について考えてみる。

普通の日常生活で、10秒から1分で判断を迫られるということはあるだろうか。みなさんはどうだろう。
わたしはちょっと思いつかない。たとえば料理をしていてゆで具合の加減をみる、あるいはエレベーターを待っていて扉が閉まりかけたときに急いで走る、というくらいだろうか。

秒単位でものを考えるとき、わたしはいつもアメリカンフットボールをひきあいにだす。
フットボールでは作戦を立てる、ハドルと呼ばれる時間が25秒与えられ、25秒以内に作戦を立ててプレーを始めなければならない。わずかな時間である。

25秒よりも短い、ほんのわずかな時間しかないのに、どうしたら地震の被害を最少に食い止められるだろう。
緊急地震速報のシステムは始まったばかり。実際にどう対応できるか、未知数の部分もある。
このようなシステムの一方で、わたしたち一人ひとりの地震に対する備えが必要なのはいうまでもないだろう。

人のこころの痛みを知らないのだろうか2007/10/02 23:28:47

中学から高校時代にかけてわたしはいじめにあった経験がある。
といってもいまの子どもたちのそれとは違うのだろうね。いまのほうがより陰湿でたちの悪いものだときくが。

体育系部活動の経験がないのだが、そこには経験した人にしかわからない世界があるのだろう。しごきがあったり、先輩から往復ビンタや殴られたという経験をもつ方もいらっしゃるだろう。そういった痛みをとおしてチームの連帯感、人間関係を育てていくという理屈論理も、わからないではない。

とここまで書いてきて察しのつく方はすぐにわかるだろう。大相撲の名門部屋で入門3カ月の少年が暴力にあい、いのちを落としたというニュースだ。
新聞テレビなどの報道では、当初「けいこによる」と言っていたのが、ビール瓶でたたいた、暴行後の異変に気づいたにもかかわらず、部屋の親方がすぐに救急車を呼ばなかった、事件が公になってから、弟子に口止めをした、など伝えられ、写真週刊誌でも相撲部屋のしごきの実態について取り上げられたり相撲の人気低下につながるのではないかという声があったり(実際今回の事件の影響だろう、新弟子が集まらないという)社会問題になっている。

わたしも先輩から殴られた経験がある。また買い物の使い走りをさせられたこともある。最上級生になってから「後輩にしめしをつけろ」と、下級生に暴力をふるうことをすすめられたこともある。いまだからいうと、いささかカチンときて怒鳴りつけたことはあったけれど、理不尽な暴力はけっしてしなかったし、使い走りを命じたこともない。ま、からだが小さいし耳が不自由だから、下級生から見れば、先輩として迫力もないと思われたかもしれないけれど。でもそんな、威圧するだけの先輩面なんてしたくないし、無理やり先輩面をしても薄っぺらだと思うんだけどね。

旧日本軍、海軍予科練と陸軍の新兵に対する暴力は、経験者の話をきくといまの相撲部屋、学校のいじめの比ではなかったらしい。米軍でも、新兵に対するいじめや暴力は時折ニュースになる。いま話題の「ビリー・ブートキャンプ」も、もともとBootcampの意味は新兵教育であり、厳しい規律とトレーニングを課して鍛え上げられた軍人になるためのプログラムである。だからだろうか、あのプログラムを始めてまもなくはもつけれど、次第に厳しさについていけなくなって、やめたりあきらめたりする人が多いらしいね。「ビリー・ブートキャンプ」をお持ちの方で最後まで続いた方がいらっしゃいますか? 続けてみていかがでしたか?

でも、殴るけるというのは、殴る側も痛みを覚悟していなければ、ただの残酷な暴力でしかない。昔オヤジから思いっきり殴られたことがある。だが、そこにはきちんとした理由があった。わたしが悪いことをしたから、正しくないことをしたから怒られたのであり、殴る方も痛かったに違いない。本当はやりたくなかっただろう。なぜなら家族だから。あのころは憎たらしかった(笑)けれどいまは懐かしささえ感じるほどだ。それは理不尽な暴力ではなく、愛情があったことを感じているから。年をとった家族を見ていると、長く生きてほしいなといたわってあげたいとつくづく思う。

殴るけるという痛み。家族でさえとてもいやな思いをする。まして他人のからだを傷つけるというのは、どんなに苦しいことだろう。
理不尽な暴力と愛のこもったしつけとの見えない一線をみつめながら、昨今平気で人のいのちをあやめたり傷つけたりする事件を見聞きするにつれ、人のこころの痛みを知らないのだろうかと、暗たんたる思いにかられる。

あちらでもヌードル2007/10/03 23:14:00

オランダ・スキポール空港内で売られていたチキンとヌードル
昨年秋に、オークランド・サンフランシスコ旅行から帰る途中のユナイテッド航空機内で、カップヌードルがでた。きちんとはしまでついていて、懐かしくうれしかったのだけれど、このあいだの欧州旅行でもヌードルを2回ほど食べた。
写真はオランダ・スキポール空港でチェックインをしたあとで腹ごしらえに食べたチキンとヌードル。いくらだったか忘れたけれど、5~6ユーロくらいだったろうか。

ヌードルというにはめんがゆですぎたような気もしないではない。贅沢いうなかれ、まあそこそこは食べることができた。

アムステルダム市内でもヌードルを食べさせてくれるところがあり、入ったあるお店でははしもあったけれど、あちらの人はやはりというべきか、フォークのようにして、つまり突き刺すかかきまぜるかして食べる。見た目には汚いなと思い、笑ってしまったけれど、慣れていないのだからしかたないね。彼らの名誉のために付け加えておくと、なかにはちゃんとはしを使いこなしてきれいに食べている人もいた。誰かから教わったのだろうね。

逆に今回の旅行ではわたしは前半、ドイツ滞在中に何度かおなかが下痢をおこしたこともあった。さすがに毎晩のウインナーやピザではねえ。たいしたことにならなかったからよかった。

そういう食文化の違いを楽しめるかどうかも、旅を成功させる上で大事なことなのだね。

秋のひとときを楽しんで2007/10/04 23:49:31

25℃近い暑さとは一転して夜は涼しい天気。

風邪がいくぶん治って少しはひと安心。
けれどこれからが大事。週末には朗読の新しいクラスが始まるし、手話サークルもあるからね。

秋のひとときを楽しんで過ごしたい。

美しいと感じた風景や場面を逃さずに2007/10/05 23:22:23

けさ、家を出て雲の切れ間から差し込んだ太陽をとらえてシャッターを押したのが、これ。
以前羽田空港でも、太陽と雲を題材に何枚か撮影したことがある。

写真に興味を抱いてから、自分に機材も技術もあるわけではないけれど、美しいと感じた風景や場面を逃さずにシャッターを押すようにしている。

自分のこころを常に、美しいものへの関心と興味を失わないように保つこと。

明日という一日。どんなできごとがあるのだろう。
朗読の新クラスのスタート。夜の手話サークル――。

あきらめずに続けていけば、きっといつか実を結ぶと信じる2007/10/06 23:44:54

土曜日ということで、手話サークルと朗読クラスに久々に出席。
朗読クラスは欠席者が何人かいた一方で、久しぶりにお会いした方も。先日のステージを見に来てくださった方だった。前回のクラス最終日を欧州取材旅行のため欠席したのと、今回このような初めての取り組みをゆるしてくださったことへの深い感謝を込めて、クラスの仲間と先生へお礼を差し上げ、また感謝を申し上げた。

先生はみんなの前でわたしのあのステージについていろいろ話してくださったらしい。らしいと書いたのは、そのとき先生はワイヤレスマイクをつけていなかったために、どんなことをお話しされたのか内容がわからなかったから(^^;)。でも仲間から手紙で言葉をいただいたし、あまり神経質になる必要はないと思う。見ている人は見ているし。今回はもう終わったこと。次回、もっといい舞台にしたいと思う、それだけを考えていけばいいから。

手話サークルでも小時間、報告のひとときをいただいた。
いつか難聴者仲間の前でもステージをお見せできたらと思うけれど、まずその前にもっともっと練習をしなければ。いまの自分に甘んじてはいけないね。

野茂英雄。Hideo NOMO
わたしにとって勇気と希望を抱いている、日本人メジャーリーガーの一人だ。彼が今冬、ベネズエラのウインターリーグに参加するという。けがで低迷し、1年間の実戦なしのブランクを越えて来年、またメジャーのフィールドに立つために。

わたしも今回の件であらためて、演じること表現することが好きなのだと気づいた。ライフワークとして取りくみ続けたい。
あきらめずに続けていけば、きっといつか実を結ぶと信じる。

肩こりと頭痛2007/10/07 23:53:46

補聴器を着けているから、慢性の肩こりに悩まされている。その上に、半年に一度は激しい頭痛がくる。吐き気をおぼえることもあれば、肩こりとあわせて猛烈な痛みを感じることもある。

主に首の後ろ、首筋がひどく痛いというかこっているというか。

午後に一眠りしたあとで夕食を取りに行ってからも、肩こりがやまない。
う~ん。
もしいらないもの、捨てることができるなら、肩こりと頭痛だけはなんとかしてゴミと一緒に出したいくらいだ(>_<)。

星くずから人類の長い進化の旅へ2007/10/08 23:20:47

とても興味深い記事を今日の新聞各紙に、みつけた。

イギリスの冒険家が13年かかって世界一周を成し遂げたというニュースである。
ジェイソン・ルイスさんというイギリスの冒険家は、1994年7月12日にグリニッジを出発。マウンテンバイクやインラインスケート、足こぎボート、カヤックなどを使い、つまりエンジンのつかない乗り物を使って4大陸を横断、大西洋と太平洋を渡ったという。その総距離は7万4842㎞、赤道(約4万㎞)の約1・8倍にあたる。

ひとくちに13年というけれど、その苦労はたいへんなものだったらしい。
記事によると、友人とともに出発から1カ月後にポルトガルに到着。1994年秋に足こぎボートを使って大西洋へ。転覆などの危機に見舞われながら、1995年2月に横断に成功。アメリカ横断の方法をめぐって友人と対立、別れて単独、インラインスケートを使ってマイアミからサンフランシスコへ向かう途中、コロラドで交通事故に遭い、足を複雑骨折。1998年に友人が横断旅行を断念して離脱、2000年にオーストラリアに到着したあとに、父親のがん手術のため帰国。オーストラリアではワニに襲われ、スマトラ島ではマラリアにかかり、2007年6月にスーダンからエジプトに入ってスパイ容疑で逮捕され危うく禁錮40年の刑をうけそうになったことも。

総費用は40万ドル(約4600万円)というが、スポンサーもなく資金難にも直面して、滞在先でアルバイトをしたと別の報道にはあった。
彼はインタビューにこう答えている。「体力の限界に挑戦するだけだったら、途中で絶対に飽きただろう。何年も続けるうちに、『人力』で世界一周を続ける意味が変わった」と。冒険や地球の気候変動などに関する講演活動を始めたいという。

だがこの記事を読んで。わたしは別の意味があると思ったのである。
人類の長い旅のあとをふりかえる意味がある。
人類がいつ、どこから誕生して進化してきたのか。いまだにはっきりした結論が出ていないのだが、アフリカにルーツをたどる説もある。
人類は発祥の地から、さまざまなルートをたどって世界へ散っていったのだろう。その旅と足跡は、気の遠くなるほど長く、苦難に満ちたものであったに違いない。いまのように交通手段がない。動物に襲われたり未知の病原体に冒されたり。はるかな、長い旅のあとにいまのわたしたちがある。ジェイソンさんは13年かかって世界一周をなしとげたが、遠い昔の人類、わたしたちの祖先はたどり着くまで、13年どころではなかっただろう。

故カール・セーガン博士(コーネル大学惑星研究所所長)の『COSMOS』という本の最後の部分を思い出す。

「私たちは、宇宙の片すみで形をなし、意識を持つまでになった。私たちは、自分たちの起源について考えはじめた。星くずが、星について考えている。100億の10億倍の、そのまた10億倍もの原子の集合体が、原子の進化について考え、ついに意識を持つまでに至った長い旅のあとをたどっている。」

気の遠くなるようなはるかな旅をへて、いま。
宇宙の片すみから生まれた星くずが、意識を持って、自分たちを何度も滅ぼすことのできる強大な力をもつに至った一方で、自分たちの起源について考える人たちもいる。
これから後、未来のわたしたちの子孫に、なにを遺すことができるだろうか。
滅亡と破壊か。誕生と創造か。

遠い過去から未来へ、問われているように思えてならない。

もはや純粋とはいいがたいが2007/10/09 22:31:15

仕事の打ち上げに、同僚上司と、都内にあるしにせの料理店へ行ってきた。豆腐料理が実においしかったのだが、ここで初めてワインを口にしてみた。小さじに直すと5~6杯程度だろうか。それでものんでいくにつれて軽い頭痛があった。酔うのはあたりまえだから先刻承知だけれど、慣れないというか体質的に合わないことを再確認したのだった。

けれども、こういうお酒の場はけっして嫌いではないよ。ほとんどのめないから、しらふでいるしかないけれど、会話の雰囲気を味わったり、みんなが酔っぱらって無礼講だの、言いたい放題めちゃくちゃを言っているのを見ながら食事をする、と。要するに雰囲気を壊さない、空気を読んで合わせることだね。そういや女子高校生のあいだで使われている言葉。「KY」。つまり「KUUKI GA YOMENAI」、空気が読めない人を指すらしい。いまの若い人もそれなりに、周りに気を使っているんだねぇ。

下戸である、純粋なからだだ、とある人がわたしを評してくださった。う~む、この年齢ではもはや純粋とは言い難いのだけれどねえ。
のめなくたってのまなくたって、人生を楽しむすべがないわけではないから、お酒のみの飲んべえさんから「不幸だね」と言われたって全然気になりません! 人それぞれだからね。

あんまりはやり言葉は使いたくないし、こういう言い回しは特に嫌いな言葉のひとつだけど、たまには使ってみますか。

わたしはお酒がまったくのめません。「……それが、なにか?」

もうそんな時期になったか2007/10/10 22:57:59

雲天の新宿で
10月になってもうそんなにカレンダーがすすんだかと思っていたら、コンビニではもう年賀はがきの受け付け注文が始まった。来年は干支で言うと何年だったっけ? 不チューイなことのないように、いつもバカばかりやっているからね、と自分に言い聞かせてしまうのだった。

で、年賀状。
う~ん。いろいろ使えそうな絵がたくさんあるし、仲間に見せたらたぶん驚くようなものもあります。このあいだのドイツとオランダ旅行でみつけたおもしろい(?)ものを写真に撮ったと言ったら、「え? そんなのあるの?」と、驚いた返事がかえってきた。さ~て、証拠の写真をお見せしたらもっと驚かれるだろうな。

こういうネットやメールであいさつをすませるのもいいけれど、遠方にいる友人やなかなか会えない、あいさつさえ交わせない大切な人に、たった一枚のはがきで近況やメッセージを伝えることができる。
いまのネットメール社会だからこそ、こころのこもった年賀状や手紙を交わしあいたいものですね。