いかにうかれず自分のこころを保つか。2006/09/01 00:59:24

好んでなりたがる人となりたくもないのにそうなってしまう人とがいる。

なにっていま世間の話題になっている、高校野球で久々の「スター」、ハンカチ王子のことだ。

しかし、スター扱いされたはいいが、手のひらを返したように奈落の底へたたき落とすのもまた、世間のなすこと。いかにうかれず自分のこころを保つか。これがスターである以上に難しいことであり、またそれができてこそ長く人から愛されるゆえんなのではないだろうか。

たとえ有名になぞならなくていい。なろうとする必要もない。
あるのはただ、無名、地に落ちた一粒の麦でいいから、こころを高く上げ、笑顔で人と接し、人を愛していきたいということだ。

こころを高く上げて2006/09/03 23:09:20

今日の礼拝で歌われた賛美歌から。

こころを高く上げて自分を保ち、自信を失わずにいよう。そして周りにも笑顔と愛と感謝を忘れないで。
きちんと神さまが見ておられるのだから必要な時が必ず来る。

きっと必ず!2006/09/05 23:39:03

まだまだ蒸し暑い日中が続く東京。今週からわたしはカナダのトロントとアメリカのオークランドをまわる。フットボール観戦が主な目的だが、カリフォルニアは猛暑だと聞く。どうなるやら。

話は変わるけれど、いろいろ悩んだり迷ったりして、自分だけではないなと思うようになった。さらには自分の抱える問題や苦しみや周りとの関係も、主観的であり相対的であり、絶対といえるのはただひとり、神さまとイエス・キリストしかいないのではないかと思う。

やはりいつかは家庭をもちたいと思うし、愛する人と結ばれたい。有名になぞならなくてもお金持ちにならなくてもいいから、一粒の麦が豊かに実を結ぶような生を遺したい。

自分が変わりたいと信じ続けること。それがいつかはきっと必ず実を結ぶ。
神さまは自分を助けたいと思っている者を必ず助けて下さるお方なのだから。

聞こえないことを除けばわたしにできないことはない 自分が変われば周りも変わる。信頼を得られる2006/09/07 23:05:17

 会話で聞こえる人と話をするとき、いつもわたしはみなさんに対して「わかりました」「OK」と返事をすることがある。
 しかしこれはどうだろうか。
 わかりました。OK。自分では何気ないつもりでも、聴く側にしてみたら「どこまで分かっているか不安」「もう結構です、勘弁してください」というニュアンスにとられないだろうか。さらには「もう話したくない」という、まったく違う方向に受け取られてしまいかねない。それがいままでの人間関係に(意図していなかったにせよ)マイナスのイメージを与えてきたのではないか。

 いつまでもいまのままでいたいとは思わないし、いたくない。
 最終結果として人生を終えるとき、ひとりのままであったなら仕方ないと思うけれど。

 自分が変われば周りも変わる。信頼を得られる。そして新たな道が見つかる。

 コミュニケーションに気をつけて。
 自分ではなく周りを愛して。相手の身になって。

 聞こえないことを除けばわたしにできないことはない。不可能ではないのだ。聞こえないことは不便だけれど不幸ではない。

 ひととしての誇りを失わず、よき敗者からよき勝者へ。人生を終えるときによく生きたと言えるように。

主が先立って導かれる2006/09/17 23:41:24

久しぶりのブログ。
トロント・サンフランシスコ、オークランドのフットボール観戦ツアーから帰って最初のブログになる。

たくさんの思い出話やエピソードがあり書ききれないが、移動の機内でいろいろなことを思いめぐらした。

ひとことでいえば、主が先立って導いてくださると言うことなのだろう。

わたしにこの聞こえない耳と普通に話せる口を与えてくださった。ということは、なにかをなすべき道を備えてくださるということであり、これからさきの人生の歩みも、苦難といばらのような険しい道だろうけれども、主が備えてくださるのだと信じよう。

神の国と神の義を求めなさい。そう聖書にある。
神さまはわたしをロボットのように支配されるお方ではない。また命令従属を求めてもおられない。ただあるのは神さまにつながっていなさいということ、正しいおかたである神さまを信じ、生きている歩みが神さまをあかしするようでありなさいということ。自分の正しさではなく神さまの正しさを。神さまにおこたえするように。そうすればあとからすべてはついてくる。

来月は生涯最初の朗読の発表会。
仕事も手話ソングダンスも、神さまにつながっているための大切な道だ。
しっかりゆっくり、確信を抱いて歩いていこう。

アメリカよ!2006/09/19 22:54:14

今回数年ぶりに北米旅行で2都市を回った。カナダとアメリカ。しかしどうだろう、語学力の足りなさを別にしても、空港の入国手続きでほとほと疲れたのはカナダではなくアメリカだった。

あれこれ聞かれたり不手際もあったけれどカナダではそんなに不愉快な思いはしなかった。不手際というのはなぜ注意されたかわかっているから、こちらも納得できるしなるほどと思える。
しかしアメリカでは、カナダからサンフランシスコに入ってすぐ、空港内の別室に連れて行かれ、米国市民以外の他国籍の人たちとともに調べられた。両ひとさし指の指紋を採取され、カメラで目の光彩を撮影された。これらは人物データに登録されて、不審と思われる人物が入国すると照合されるという。データを採取されたあとにまた、靴を脱ぎ、貴金属類を外すように命じられ、人間ドックのような機械で体内に爆弾などを隠していないか厳重にチェックされる。

昔もたしかに入国は厳しかったしある程度の制限はあったが、今回はやりすぎというか不愉快きわまりない思いを味わった。トロントのピアソン国際空港での出国手続き中、ふたりの老婦人と並んでしつこく検査されたが、彼女らも不満そうな顔をしていたのを覚えている。顔を見合わせてお互い苦笑していた。

今回の旅行でわたしは、アメリカ国歌をアメリカ手話(ASL)で覚えることを目標のひとつとしていた。
アメリカ国歌の歌詞に出てくるふたつの言葉。自由と勇気。

アメリカ国歌は歌詞をみても戦争が背景にあった。イギリスからの独立戦争などで多くの犠牲を出した。それが建国の礎となっている。多くの犠牲をへて新しい開拓の国をつくり、そこにいかなる制約も束縛もない自由な国をつくる、はずだった。実際の歴史はそんなバラ色ではなく、アフリカンアメリカンを奴隷として扱い、ネイティブアメリカンを迫害して土地を収奪してきた。あとからやってきた日系人などを差別してきた。しかしこころある人たちによって真摯な運動が続けられて、先住民やアフリカンアメリカン、移住者の権利が認められてきた。

わたしはアメリカンフットボールが好きだしアメリカ手話も覚えたいと思っている。それほどにアメリカが好きだ。アメリカ人だって同じ人間だ。スタジアムでもストリートでもホテルでも、笑顔で接してくれた多くのごく普通のアメリカ人を忘れることはできない。
しかし今回の旅行で味わった不愉快な思いとアメリカ国歌にある、自由と勇気と、民主主義をみるとき、あの忌まわしい9月11日のテロでハリネズミのように自国を守ることに汲々とし、テロを防ぐと言いながらイラクにいまだ自由をもたらせていない矛盾を強く批判する。

また訪れたいアメリカというすばらしい国を思う。
いまもなおテロの恐怖にさらされている、行ったことのないイラクの人たちを思う。

いつになったらこの星に住む人たちに真の平和が訪れるのだろうか。

神さまにしっかりつながっていよう2006/09/21 22:35:51

今年もはや9月が終わろうとしている。まだ一度もステージに上がっていないけれど、朗読の舞台が迫ってきた。通常のレッスンとはまた違った、豊かな学びになればと思っている。

だんだんまたからだが戻り、こころが安定してきた。
 
あらためて思うのは、わたしを見ている人は必ずいるということ。わたしを見ている人をも、父なる神さまは見ておられるのだ。

そう、神さまにしっかりつながっていよう。

祈り、希望と確信を忘れずに。
信仰と希望と愛、そのなかでもっとも大きいのは愛である(聖書)。

若かりしころの過ち2006/09/23 22:58:28

といってもたいしたことではないのだけれどね。

大学を卒業する直前、就職活動のための旅費稼ぎでアルバイトをしたことがある。札幌の大通り公園で毎夏にひらかれているビアガーデンのジョッキ洗いだ。これはこれでけっこう危ない仕事である。まずガラスで指や手を切ってはいけない。実際、切断とまではないが、切り傷や手当てを要した事故もあったらしい。水で洗うだけではなく、ビールの残りが入ったままになっていることもあるからビニールの手袋を着けていても用心に越したことはない。

で、最後の勤務が終わったあとで仲間たちとのんだ夜。
かっこつけて(女子学生の前でいいところを見せようとして)のみ慣れないのに一気にのんで、へべれけどころか全身アルコールが回ったまま、大通公園から地下鉄で帰ったのはいいが、そのあと親せきの家に留めてあった自転車に乗って自宅へ帰ろうとしたら、あらら、千鳥足ならぬ蛇行運転で、電柱にぶつかりそうになるわ、車道にはみ出さないかと親せきの人はハラハラしたらしい。

なんでそんな思い出を書いたかというと、飲酒運転事故に関する報道がここ半月、やたら目につくのだ。
福岡市で起きた、3人の乳幼児が犠牲になった衝突事故が、公務員の飲酒運転によるものだったことをふまえて公務員は各自治体、役所とも飲酒運転はもちろん飲酒を知りながら同乗した者も懲戒解雇という厳罰で臨むようになった。一般企業でも同様のところが増えている。

わたしはたばこもお酒もまったくのめないしやらないけれど、酒を飲みたがる、飲みたいという気持ちは理解でも、やっぱりどうしても飲んだあとでハンドルを握るということは理解できない。正常な状態でも判断ミスが起こりうる。酒を飲んだあとでは、大丈夫という確信はあっても絶対に大丈夫とは言い切れない。
そのことをしっかり認識できるかいないか。結局は「のんだら乗るな」ということなのだろう。

わたしは自転車でああいう経験をしただけではなく、もともとのめない体質だから、どちらかというと飲酒のこわさを身にしみて感じる。
たまたま自転車だから笑い話にもできるけれど、これが自動車だったらと思うとぞっとする。一瞬にしてひとのいのちを奪いかねないだけではなく、周囲に有形無形の迷惑や悲しい思いを与え、人生を変えかねない。

ありきたりの言葉かもしれないけれど、やっぱり悲しい思いはしたくない。
のめないから関係ない、ではなくいつどんなときどういう状況に陥るかわからないけれど、わたしもまたどこかで誰かの人生を奪い変えてしまう可能性があることをこころに刻んでいこう。

いのちが一瞬にして2006/09/25 23:13:52

前回飲酒運転を取り上げたばかりだというのに、また悲しいできごとが起きた。埼玉県で、朝登園中の保育園児の列に自動車が突っ込み、園児2人が死亡したというのだ。朝元気に見送ったあとでこんな事故を聞かされた親の気持ちはたまったものではないだろう。だから言わんことではない、一瞬にして人の人生を未来を奪ってしまう。それがこわいのだ。

話は今度は中東へ飛ぶ。
あのいまわしい9月11日のテロから5年が経ち、いっこうに解決の兆しが見えないイラク。
ニューヨーク・タイムズ紙は「アメリカ情報機関が『イラク戦争でかえってテロが悪化した』と分析した」という記事を掲載した。しかし政府高官は「現状を正確に捉えていない」と記事を批判するコメントを出した。だが事実としていっこうにイラクは平和への道がみえない。アフガニスタンとイラクでの米軍兵士の犠牲者数が9月11日のテロによる総犠牲者数を上回ったと数日前に報道されたばかりだ。テロで二桁、しかも50人60人といういのちが一瞬にしてこの世から消えている実態は、いくら強弁しても現実として残る。

61年前の日本の占領とイラクに対する米軍のやり方は、似ているようでまったく異なるのではないか。イスラムという文化を尊重するべきであり、土足で踏みにじるようなやり方ではけっして尊敬されない。伝えられる報道では無理やり家屋に入り込んでテロ掃討を試みたが、いたのは女性や子どもらばかりだったというケースもあったときく。
すべてが正しかったとは思わないし正当化されないが、少なくとも日本占領下の米軍でも、良識ある人がいて、異なる文化である日本への敬意も少なからずあったはずだ。昨日まで敵だった国に対する敬意をもった良識あるアメリカ人がいたおかげで、日本も少しずつアメリカに対してこころをひらいてきたのではないだろうか。

自己を正当化し、あたかも神の代理人であるかのようにふるまういまのやり方では、泥沼に陥るだけでけっして理解も尊敬もされない。

自分たちが正しいと思うなら、相手も認め受け入れていくしかない。たとえこちらが正しいとしても相手にも言い分がある。

一瞬にしていのちが消えていくいまの状態は、けっして神さまの望んでおられる姿ではない、とかたく信じる。

地元チーム2006/09/27 23:46:03

久しぶりのスポーツの話題。

日本ハムファイターズ、というとわたしは旧後楽園球場~東京ドーム時代のころを思い出す。1946年の東京セネターズ、東急フライヤーズ(47年)日拓フライヤーズ~急映フライヤーズ(48年)~東映フライヤーズ(54~72)日本ハムファイターズ(73~2002)と、パシフィックリーグで地味なチームという感じだった。ほかのパシフィックリーグ球団が専用球場を持っていたのにくらべて、日本ハムは後楽園で東京読売ジャイアンツとフランチャイズを共有していた(1953年に世田谷区の駒沢球場をホーム球場にしていた時期を除く)から、なんとなくどっちつかずという気持ちを抱いていた。

わたしの故郷、北海道札幌市にできた札幌ドームに移転して「北海道日本ハムファイターズ」と名称を変えてから地元に密着した球団として、野球教室やチケット販売など営業だけではなく、実力もついてきた。

東京にいると一極集中で東京だけがすべてであるかのような印象を受けるけれど、札幌という、冬が長く夏が短い地域でも、やればできるのだね。

NFLをみても全国レベルの人気があるチームがないわけではないけれど、基本的には都市あるいは州に密着したチームだ。オークランドでも、スタンドのほとんどはブラック&シルバーのジャージばかり。ビジターのサンディエゴのジャージを着た人はごくわずかだった。

やはり地元に密着したチームがあってはじめて、愛されているというかファンも選手もチームもお互いに力をつけていくのだろう。

1981年以来の優勝を目指して、故郷のチームにはがんばってほしい。