一緒に笑ったり楽しんだり2013/07/25 23:51:54

やはり家族がいてホッとする。結婚してよかったと思うのは、いろんな感動やら喜びやら楽しみやらを分かち合えることだ。
代わりに失ったものがあるとすれば、自由気ままにあちこちを出歩いたり遅くまでテレビを観たりといった、自分でコントロールできるものだろう。実際、結婚してからコンビニで立ち読みをすることがなくなった。写真週刊誌さえ「買わないで」と厳しく命じられている(笑)のだから。

今晩のメニューは焼きそば。
わたしがつくり、妻は蒸しめんをほぐすだけ。

山盛りになった焼きそばは3人前だ。野菜炒めとお肉の上に焼きそばを盛りつけたものだから、まるで焼きそばの山。食べていくと野菜と肉が現れるという感じになって妻から笑われた。

終わってからブルーレィディスクで映画『しあわせの隠れ場所』(2009年)を一緒に観た。
はじめに書いたように、妻と一緒にいろんなものを観たり楽しんだりしている。料理の前にも買い物をしてきた。
この映画はフットボールがメーンではなく、悲惨な境遇に育った黒人青年と裕福な白人家族の交流であり、家族として成長していく物語である。
妻に原題『The Blind Side』の意味を、アメリカンフットボールのルールやポジション説明を交えながら教え、悲惨な状況のなかから抜け出そうとしている、主に黒人選手が多いということも話した。
一緒に笑ったり楽しんだり、ひとときを過ごした。

明日はカレーライスの準備に夜からとりかかる。

今年観たなかでとてもすばらしい映画のひとつに2013/07/23 23:58:19

「25年目の弦楽四重奏」
仕事中に突然の雨が降るなど、大気が不安定だった一日。

妻と有楽町で待ち合わせて、この夏に観る予定の映画3作の、ます1作目『25年目の弦楽四重奏』を観た。

世界的に有名な弦楽四重奏楽団「フーガ」の結成25周年を祝った矢先、メンバーでチェロ担当のピーター(クリストファー・ウォーケン)がパーキンソン病と診断される。楽団からの引退を口にしたのを嚆矢に、楽団内にさまざまなあらしが吹き荒れる。第2バイオリンのロバート(フィリップ・シーモア・ホフマン)は第1バイオリンのダニエル(マーク・イヴァニール)と交代で第1バイオリンを弾きたい、と。ロバートと夫婦でつながれているジュリエット(キャサリン・ターナー)はロバートがジョギング仲間のピラール(リラズ・チャリ)と一夜の肉体関係をもったのを知り、彼に不信感を抱く。
ダニエルは、ロバートとジュリエットの娘、アレクサンドラ(イモージェン・プーツ)にバイオリンを指導しているが、ふたりは愛の関係に結ばれていく。音楽家として育てられた半面、娘より音楽を優先したひどい母親、とアレクサンドラがジュリエットをなじり、母娘の関係が冷えていく。
嫉妬や怒り、恋愛や思惑がからみあったまま、演奏会は2日後に迫る……。

ストーリーもさることながら、流れているのはベートーベンの弦楽四重奏第14番作品131。彼は全7楽章を途切れることなく演奏すべきだ、と書き残している。専門家によれば、この曲は演奏途中でチューニングすることが不可能で、狂っていく音程のなかで演奏するという、画期的な曲なのだそうだ。
だが弦楽四重奏楽団「フーガ」はいくつもの亀裂をかかえている。ほんとうに調和ができるのか? 演奏も楽団のまとまりも。

妻と深い味わい、余韻を残したまま、劇場を出た。妻の目はこころなしかいくぶんうるんでいた。

余談だが、原題の『A Late Quartet』も味わい深い。
演奏会のシーン、演奏途中でピーターが演奏を止め、聴衆に向かって「テンポが速すぎてついていけない」と語ってステージを降りる。まさにテンポが速いことの裏返しで「遅い四重奏」としたのだろう。

ともあれ、今年観たなかでとてもすばらしい映画のひとつに挙げたい。

Trouble with the Curve2012/12/02 23:54:41

「Trouble with the Curve」 パンフレットとチケット
クリント・イーストウッドというとオールドファンなら『ダーティー・ハリー』、最近のファンなら『許されざる者』などが印象に残るだろう。
今日、最新作『人生の特等席』を観てきた。

ガス(イーストウッド)はメジャーリーグ、アトランタ・ブレーブスの老スカウト。かれこれ長いあいだ、若い選手を発掘してはメジャーへ送り込む仕事をしてきた。だが、からだにしのびよる老いは隠せない。小用をたしてもうまくいかない。試合を見ても選手や球の動きが見えにくくなった。
時代は、目と足、そして経験で選手の力量をはかるより、コンピューターで打率などの能力をはかるようになってきた。そんなおり、ガスにも引退すべきだという、ブレーブス首脳陣。ガスには、弁護士の娘がいた。妻は他界している。だが娘とはしっくりいっていない……。

たしかに現実のメジャーリーグでも、オークランド・アスレチックスがそうであるように、コンピューターがはじき出した数値で選手の能力や価値を決めるようになってきた。
けれど、スポーツは人間がやるものであり、あくまでもコンピューターはその補佐でしかない。

この映画には野球シーンは出てくるけれど、メジャーリーグの試合シーンはまったく出てこない。あるのはマイナーリーグか、ノースカロライナ州の高校野球と州大会くらいだ。そして野球を知っているファンなら先刻承知だろうが、審判がメジャーのように4人制ではなく、2人だとか3人だとかである。よく観ないとわからない場面にもアメリカ野球がきちんと描かれている。

原題は「Trouble with the Curve」。人生の転換点とでもいえばいいのだろうか。それを「人生の特等席」と訳したのは、父と娘という関係を意味したのだろう。

スカウトという仕事は、わたしたちのまわりではまったく表に出てこない。ワールドシリーズの優勝チームを知ることはあっても、そのチームのスカウトが誰でどこの地区を担当しているのかさえ知っている人はいないだろう。
だが発掘した選手が能力を生かしてマイナーリーグからメジャーに上がっていけば、その選手を発掘したスカウトの眼力が高く評価される反面、まったくダメだったりマイナーどまりだったりすると、スカウトも同じくらい評価されなくなる。高級ホテルではなく、安モーテルに泊まったり年に90回も飛行機に乗ったり。そして他球団に出し抜かれまいと懸命になって選手を追いかける。自分の家族のことはほったらかしにしてまで。

そうまでして野球が好きなんだなと思う。好きでなくてはやっていられない仕事だろう。

父と娘、仕事、野球。
いろんな角度から観ることができる、珠玉の名作だ。

観たいような 観たくないような2012/11/02 23:54:50

久々に映画の話題です。

ディズニーが、『スター・ウォーズ』シリーズなどで知られる、ルーカス・フィルム社を買収したという。報道によれば買収額は40億5000万ドル(約3200億円)。ケタが違い過ぎるというかスケールが大きすぎるというか。

たしかにディズニーシーのアトラクションで『スター・ウォーズ』をテーマにした「スター・ツアーズ」というのがあるくらいだからわからないでもないが、1977年の第1作以来、関連グッズや本、DVDなどビジネスの効果は大きい。

2015年に『スター・ウォーズ』新作を公開する予定だという。
うーん。
当初、『スター・ウォーズ』サーガは9作だと言われていたのが、6作で終わった。スピンオフノベライゼーションなど発表されてはいるけど、実際に映画化されるのかどうか、まだなにもアナウンスがない。
個人的には6作でいいのではないかという気がする。というのはアナキン・スカイウォーカーがなぜダース・ベイダーになったのかという物語が最後に来たことで、前の3部作の意味がわかったからだ。
前の3部作以後、つまりルーク・スカイウォーカーのあとの世代の話にもっていくよりは、アナキンがダース・ベイダーになったあとの話が観たいと思う。

いずれにしても。
正直いうと、この『スター・ウォーズ』シリーズに出た俳優でその後もビッグネームになった人が少ない。マーク・ハミル、ヘイデン・クリステンセン、キャリー・フィッシャー。いずれもその後はパッとしない。あえて挙げるなら、ハリソン・フォード、ドロイド役を演じた2人(ケニー・ベ-カー、アンソニー・ダニエルズ)だろうか。そのハリソン・フォードは『スター・ウォーズ』には触れたがらないらしい。
亡くなったアレック・ギネスもファンからのサインを求められても「『オビワン・ケノービ』としてのサインは断った」というほど、あまりいい印象をもっていなかったと聞く。

ファン心理としては観たいような、観たくないような。
でももし観られるのなら3年後。
オークランド・レイダーズがスーパーボウルで勝つのと、『スター・ウォーズ』新作が出るのと、どちらが先だろう。

複雑な気持ちだね。

苦境を乗り越えていく、希望を描いている2012/06/12 00:57:36

『Soul Surfer』パンフレット
映画『Soul Surfer』公式サイト    http://disney-studio.jp/movies/soulsurfer/

実在する、女性サーファーを描いた作品『Soul Surfer』を、仕事のあとに観てきた。

サメに片腕を食べられてしまい、さらに血液の60㌫を失いながらも一命をとりとめ、その事故から一ヵ月後にはサーフィンに戻ってきた少女、ベサニー・ハミルトン。
その事故から、全米選手権に出場するまでを描いた作品は、同じ障がい者としても、キリスト者としても、とても強い影響を受けた。

障がいということではわたしの聴覚障がいと、ベサニー・ハミルトンの肢体不自由は異なる。だが障がいは不便ではあっても不幸ではない。たしかに食事を運んだりギターを弾いたりするのには、片手ではバランスがとれなかったりうまく弾けなかったりするかもしれない。

けれども障がいがあることで生きる意味、ひいては「誰かが希望を見いだす手助け」になること。しかしその前にしっかりと神さまをみつめて祈り、神さまにゆだねている。家族全員がともに祈り、神さまをみつめ委ねている。その強さにうたれた。この作品はベサニーひとりを描いたのではなく、ベサニーを通して、信仰、家族が苦境を乗り越えていく、希望を描いているともいえる。

パンフレットにあった、ベサニーの言葉から。
「いちばん大切なことは、どんな心を持っているのか。そして他人とどのように関わることができるかということ」

この映画にはサーフィンシーンが何度も出てくる。そのシーンのリアルな迫力はさすがだ。

もうひとつ、出演者のなかに魅力的な俳優がいた。
デニス・クエイド――1954年4月9日生まれ。
1988年の『熱き愛に時は流れて』でプロフットボール選手を演じた彼は、『オールド・ルーキー』(2002)では高校教師からマイナーリーグをへてメジャーリーグに出たジム・モリスを演じた。彼自身は初挑戦だそうだが、今作品でこれまた初心者とは思えないサーフィンシーンをこなし、スポーツ万能という印象を強く残した。

とてもいい映画だ。
DVDが出たらまた観たい作品のリストに加わることだろう。

『アンネの追憶』2012/05/04 22:57:53

連休後半中日の今日。映画『アンネの追憶』を観てきた。

Millie Perkins主演の『アンネの日記』(1959)を観たことがあるし、アンネが隠れ家で過ごしたアムステルダム、逮捕後に一時送られたアウシュビッツ強制収容所跡を訪れた。手話つき朗読で『アンネの日記』をやったこともある。
いろんな思いを込めて、この『アンネの追憶』を観た。

原題『Memories of Anne Frank』は、『~日記』に描かれなかった、つまりゲシュタポによって逮捕され強制収容所に送られてからのアンネと家族の足取りと強制収容所でのアンネを中心に描いている。端的に言ってしまうと、『~日記』のその後だ。

劇中で描かれるアウシュビッツ強制収容所跡。収容された人たちから取り上げたメガネ。散髪された毛髪。かばん。いくつあるのかわからない、たくさんのメガネを、実際に強制収容所跡でみたそれらと重なって、それらメガネの一つひとつにはたしかにその人の歴史があり営みがあった。いくつもの人生があった。だのに戦争で、憎悪で断ち切られ奪われていった。

「さらば凡て人に爲せられんと思ふことは亦その如くせよ」(マタイによる福音書7章12節)。
だのになぜ、想像を絶する悪が行われたのか?
劇中にこんな場面が出てくる。
ユダヤ人教師((ラビ=Monni OVADIA)がアウシュビッツでナチスの軍人に聖書や哲学を教えている。『自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい』という聖書の言葉をあなたはどう理解するのか? その問いに答えきれず、怒りを込めて銃を向けようとするナチス軍人に、ラビは良心と善意が試されていると語る。人間の尊厳を否定する強制収容所という状況下での深い問いである。
イエス様以後、数多くの哲学者や宗教家、神学者、科学者がこの問いを問い続けた。だのにいまだに争い憎しみが絶えない。

またひとつ、何度でも見たい映画に加わった作品。

日本独特の文化2012/04/27 23:49:24

先日、アカデミー賞に輝いた映画『アーティスト』を紹介したが、この映画は無声、サイレントムービーであった。
外国の無声映画は映像途中に文章が挿入されるのがほとんどで、『アーティスト』もやはりそうだった。

日本でも第2次世界大戦前にはサイレントムービーがたくさん作られた。
だが、活動弁士(活弁)と呼ばれる、無声映画に合わせて俳優の声や映画場面を描写したり語ったりする人たちがいた。
驚いたことに、いまでも活弁は存在していて、15人ほどが活動しているのだそうだ。

今日読んだ毎日新聞朝刊、都内面に、来月2日~6日にドイツ・フランクフルトで開かれる日本映画専門の映画祭「ニッポン・コネクション2012」に、活動弁士の片岡一郎さん(34=練馬区在住)と三味線や尺八などの伝統和楽器バンド「音和座」が招かれて無声映画の上映会に出演する、という記事があった。

こういうサイレントムービーと、日本独特だという活弁と。
わたしはこういうものをやってみたかった。アナウンサーや俳優のほかにも、活弁という表現方法にも興味があった。
手話つき朗読に取り組んでいるのも、どこかでつながっているのかもしれない。
この記事にこうあった。「同じ映画でも、語りと音楽で雰囲気はがらっと変わる」。としたら声だけの朗読と、手話と音楽を組み合わせた朗読では雰囲気は変わってくるのかもしれない。

フランクフルトには行けないけれど、とても興味を抱かされた記事であった。

「ニッポン・コネクション2012」公式サイト(ドイツ語)
http://www.nipponconnection.com/benshi-brilliance/articles/benshi-brilliance.html

ただひたすら脱帽するしかない2012/02/29 23:08:33

昨日、「明日は関東で朝から雪」という天気予報があった。けれど昨晩は気温も低くなかったし、たいしたことがないだろう、と思っていたのが、けさ外を見ると、真っ白な雪。みごとに予想が外れてしまった。おかげで今晩の手話サークルは、いつもより人が少なかった。

さて、今週もいろいろ考えさせられるニュースがあったが、週前半でわたしの興味をひいたのは、映画だ。
現地時間26日(日本時間27日)、カリフォルニア州ロサンゼルスで第84回アカデミー賞授賞式があり、、サイレントからトーキーに移り変わる時代のハリウッドを舞台に、スター俳優の転落と若い女優とのラブ・ストーリーから再生を描いた『アーティスト』(ミシェル・アザナヴィシウス監督)が、作品賞・主演男優賞・監督賞・衣装デザイン賞・作曲賞を獲得した。

朗読をやっているから言うのではないが、若いころのわたしは、アナウンサー、声優、そして活弁士という職業に就きたいと思っていた。中学生か高校生のころ、「アナウンサーになるには」という職業紹介の本を何度も読んだことがあるし、高校の放送部ではミキシングよりアナウンスをやりたかった。いまの母校はどうだかわからないがわたしのころは、アナウンスを担当するのは女子生徒と決まっていて、男子生徒はミキサーだった。それがいやでねえ。聴こえないからミキシングのタイミングがわからず先輩によく怒られた。反対に声を出していると楽しくて、女子生徒のアナウンスや発声練習をみてやりたいと何度も思ったものだ。

話を映画に戻そう。
この『アーティスト』という作品は、さきにも書いたようにサイレント映画である。つまり音声がまったくひとつも出ない。
昨日手話通訳士や手話仲間と話していて、昔の活弁士、たとえば徳川夢声さんといった名前を挙げたけれど、19世紀後半から太平洋戦争直前の1930年代まで、サイレント映画が一般的だった。戦争にはいって従軍カメラマンなどが記録した映画などにトーキー、発声映画がみられるようになった。

いまの若い人には、音や声のない映画はピンと来ないかもしれない。
しかしわたしのようなろう、補聴器をはずすとほとんど聴こえない人間からみると、声や音があるということは想像力や考えイメージする力を奪っているような気がするのだ。サイレントムービーは実生活でほとんどサイレントの世界に生きているわたしには無縁ではない。声や音がないからこそ、言っている内容、場面、雰囲気、心情といったものを想像したり推測したりするしかない。そして活弁があるということは、活弁を聴きながら聴衆もまた映像の世界を自分の思うままに想像していく。

近々『スター・ウォーズ』シリーズが3D映像として公開されるそうだ。聞くと映像の迫力ははじめに公開されたときの比ではないらしい。
もちろん最新映像技術を否定はしないし、3D映画も観たいなと思うけれど、今回のアカデミー賞でサイレントムービーが賞に選ばれたということは、アメリカの映画界で、そういった技術に走る志向、ひょっとしたら人間が本来持つ、想像やイマジネーションや、いろいろな能力を阻害していることへのアンチテーゼではないかと思ったのだ。

この『アーティスト』という作品、ハリウッド製ではなく、フランス映画だそうだ。そしてフランスという国は、アメリカ文化に距離を置いているときく。
たしかにアメリカ映画のなかには暴力的であったりやたらドンパチやアクションがあったりする。そういう「なんでもあり」の世界には少しまゆをひそめてしまう。
しかしそれだけがアメリカ映画ではない。
そしてこういった外国の映画であっても時代から遠く離れたような映画であっても受け入れようとしている。
その包容力というかおおらかさには、ただひたすら脱帽するしかない。

字幕がなくなると困る2012/01/19 22:32:19

そういえば、と思いあたったのは、テレビ放送やDVD、スクリーンで映画を観るとき、字幕ではなく吹き替え版が多くなったなということだ。ここ4~5年、いやもっと前からのことかもしれないけれど。

「スター・ウォーズ」が日本で劇場公開されたのは1978年のことだが、そのころは劇場公開後3年間はテレビで放送しない、という不文律があったと聞いたことがある。だが最近は3年どころか、1年たってテレビ放送されるのがあたりまえになってしまった。DVD化されるのも早くて半年後というケースもある。

わたしがまだ補聴器なしでも聴こえていたころは、テレビで放送される洋画にはきまって吹き替えがあった。たとえばクリント・イーストウッドさんなら山田康雄さん、エディー・マーフィーさんなら富山敬さん、というように。
わたしがいまでも印象強く残っているのは、「チャーリーズ・エンジェル」(1976-82)のジョン・ボスレー役のデビッド・ドイルさんの吹き替えだった富田耕生さん。ややだみ声っぽい高い声が好きだった。ほかにも「バイオニック・ジェミー」(1977年1~10月、1978年3月~8月)でジェミー・ソマーズを演じたリンゼイ・ワグナーさんの吹き替え(田島令子さん)、スティーブ・オースティン役のリー・メジャーズは広川太一郎さんが吹き替えを担当された。そして科学啓蒙番組「コスモス」(1980年11月)でカール・セーガン博士の声を担当した横内正さんも忘れられない。先日放送が終了した「水戸黄門」を彼の代表作に挙げる人もいるだろうが、わたしにはカール・セーガン博士の声を知的な落ちついた穏やかな声の吹き替えで演じたほうが印象深い。いまこうして朗読をやっているのは、彼ら、声だけで表現するという世界に魅力を感じたから、ともいえる。

ここまでは、聴こえていたころの話。
いまではもう、補聴器で聞き取るのにさえ苦労しているのだから、映画を楽しむならやっぱり字幕があったほうがいい。
なぜ字幕が少なくなっているかというと、映像の切り替わるテンポが速くなって字幕が見づらくなったという映画関係者の話があるほか、めがねをかけて見づらくなった、子育てや家事の合間にみる「ながら視聴」ができなくなった、という視聴者の意見もあるそうだ。

でもやっぱり音声では楽しめない人たちもいる。少数者かもしれないが、映画という文化を楽しめるためにはやっぱり字幕もあってほしい。というかなくてはならないものだ。世界的には字幕をつけるという国は日本くらいで、ほとんどは字幕がないのだそうだが。
できればスクリーンでもテレビやDVDでも、字幕を残してほしい。これは聴こえない者の一方的なわがままだろうか?

ただただ「すごい!」2011/12/09 23:41:02

エピソード5『帝国の逆襲』から 「スター・エグゼグター」艦橋にはりついた「ミレニアム・ファルコン」
仕事の後に秋葉原へ足を延ばして、あるショップへ入ってみた。このお店のイベントで、映画『スターウォーズ』に出てくる宇宙船や戦闘機のモデルやジオラマが展示されているのだという。

一見してすぐに映画のシーンが思い出されただけではなく、あまりの精密さとリアルさに、ただただ驚くばかりだ。展示されているものをもしルーカス・フィルムのスタッフが見たらなんというだろう。

わたしも昔、少しだけプラモデルをやったことがあるけれど、とてもこんなのはできない。
いやあ、ホントに驚かされた。