ますます学習したいという思いがふくらむ。2016/07/12 21:34:20

あまりの暑さに閉口する。

昨日のアメリカ手話のレッスン。数字を覚える内容だったが、アメリカンフットボールのファンであることから、フットボールでよく出てくる数字、たとえばタッチダウンとTFP(タッチダウン後のキック)の点数を足して計算するとか、興味あるテーマから入っていった。
こういう学びも楽しいものだ。

そうだよね。自分の関心あるトピックスやテーマから入っていくことでますます学習したいという思いがふくらむ。
次回のASLレッスンも楽しみにしている。

挑戦チャレンジの気持ちを失わずに2016/06/27 22:48:31

短期間だけど、アメリカ手話をインターネットで学ぶプログラムを受けることになった。
まだ慣れないことだらけだけど、しっかり学びを積み重ねていきたい。
昨日も書いたように、まだまだやれることできることがある。

挑戦チャレンジの気持ちを失わずに、続けていくことが大事。

この世界は、本当はもっとすばらしいはず2016/02/25 22:53:28

耳の不自由な男性に、スターバックスの店員が渡したメモが感動を呼ぶ
http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/25/starbucks-barista-learns-sign-language-_n_9313388.html?utm_hp_ref=japan

細かい内容はリンクしたサイトをみていただくことにして。

I’ve been leaning ASL just so you can have the same experience as everyone else.

なにも大きなことでなくていい。
ごく普通に、接してもらえるだけで、この世の中はずっと過ごしやすく素晴らしい世界になるだろう。

もともと神がお造りになられたこの世界は、本当はもっとすばらしいはずなんだ。それを壊しているのもまた人間なのだけれど。

手に表情や気持ちを込めて2015/03/30 23:11:20

週明け。夜に入っても暖かい。朝着ていったジャンパーを脱いでバッグにしまうほど暖かい。衣替えの予定を早めてもいいかもしれない。

手話は音声言語とは異なり、イメージで表すとは何度も教わってきた。
今日のアメリカ手話レッスン。
日本語でいうなら「繰り返し」「強調する」という表現と「動作が続いている」という表現。
顔の表情も込めて、たとえば怒るという表現なら強く力を込めて表したり、手前から向こう側に回したりというように表す。

聴こえないからこそ、手に表情や気持ちを込めて表す。それが手話というもの。
来週は今日やり残したものを教わる。復習もやっておくこと。

向こうで話ができたら楽しいだろうな2015/03/23 23:24:00

仕事後にアメリカ手話の学びのため移動。寒の戻りと聞いていたけどそうでもない、帰りの地下鉄車内はけっこう暑いくらいだった。

アメリカ手話も日本の手話も共通しているところとそうでないところのふたつがある。単語は違うものもあれば同じものもある。たとえば太る、という単語は共通している。しかし走るという単語は日米で違う。レストランという単語もそう。フィンガースペル、日本の指文字に相当するアルファベットの読み取りは慣れないと難しい。なんとか読み取れるまでになったが慣れるしかない。

今月で1年が過ぎ、アメリカ手話を表そうとだいぶ意識して表現するようになった。継続はまさに力なりだね。

在米生活が長い妻の妹は、最近、近くにあるろう者の集まりで、仕事や勉強の合間に徐々にアメリカ手話を学んまりでいるらしい。
会った時にアメリカ手話で話ができたら、また楽しいかも知れない。
妻も刺激を受けてアメリカ手話を学び始めたらうれしいのだが。

過去を見つめること2015/03/16 23:08:48

毎週月曜日はASLレッスン。
日系3世の彼とは、真理子さんがご存命のころに一度お会いしたっきりで、まさか昨年レッスンをお願いするときに「どこかで会ったよね」と話が弾むとは思わなかった。それほどろう者難聴者の世界は狭い。

ふたりとも年が近いこともあって共通の話題がとても多い。いまはフットボールはオフシーズンだが、フリーエージェントで移籍する選手の話や4月にあるNFLドラフトの話など、いつも盛り上がっている。

そんななか、3月ということで自然発生的に大震災と東京大空襲、8月にあった2つの原爆投下の話が出た。
大震災当時、彼はアメリカに帰っていた。正確には日本を出発直後に大震災が起きた。アメリカでも大きく伝えられた大震災。日本に戻ってくるときはとても心配だったそうだ。
今年は第2次世界大戦終結日本とドイツの敗戦から70年目。
3月の東京大空襲、広島と長崎の原爆投下、いまも混迷と戦闘が続いている中東。
東京大空襲と原爆投下について、なぜ東京と広島・長崎が狙われたのか、知っている限りの知識と学んだことを、ASLと日本手話を交えて彼に説明した。先日シブヤン海で見つかった戦艦武蔵についても。

この時期、学生はスキーツアーなどによく行くらしい。試験やレポート提出を終えたり、就職活動を終えたりして時間があるのだろうか。この日もレストランにはスノーボードやスーツケースを入り口において食事に興じる大学生と思しき若い人の姿を多く見かけた。
それはそれでいい。わたしももし若かったらスキー旅行に行っていただろうし、彼らが遊んでいる一方でわたしたちは働き学びと交わりをしているのだから。彼らを非難するつもりはない。
けれど、いまこうして食事をしたり会話をしている一方、世界のどこかでは食事どころかその日の暮らしもままならない人たちがいる。宗教や戦争の暴力で抑圧され、明日も知らぬ暮らしの中にいる人がたしかにいる。
彼とわたしはほとんど同世代だからおぼろげながら戦争を知っている。
スキー旅行に行く若者が悪いというのではない。いまこうして幸せな暮らしができていることを感謝しつつ、幸せな暮らしをおくることができない人たちがいて、かつて日本もそういう時代があったことを知る。目を向ける必要があるのではないだろうか。

いろんな学びができた。いつもASLの学びはとても楽しく充実している。

いろんな話題が出て話は弾んだ2015/03/09 23:19:23

毎週この日夜はASLレストランレッスン。
この日もいろんな話題ができた。徐々に慣れてきて日常会話でもついついASLが出てしまう。
 
日本でいま話題のひとつが、大塚家具の経営権を巡る親子騒動。
ことの是非良し悪しはここではふれないが、アメリカでもたしかに同族企業は存在する。フットボールでも例外ではなく、ピッツバーグ・スティーラーズはルーニー一家がオーナーだし、オークランド・レイダーズも亡くなったアル・デービスがオーナー(形式的にはほかにも何人かとの共同所有権だが、あまりにもデービスが有名になった)、ベースボールでも、東西の強豪チーム、ナショナル・リーグのロサンゼルス・ドジャースは有名なオマリー一家、アメリカン・リーグのニューヨーク・ヤンキースはスタインブレナー一家、というように(断っておくが現在、ドジャースはオーナーはオマリー家ではなくGuggenheim Baseball Managementがオーナーだそうだ)。

そんな話も出た。
意外とアメリカ人は好きなスポーツチームの親会社について知らないようでいて、知っている人もいる。
そこで出たのが、サッカーのユニホーム。
わたしもそうだが、そでや肩や腰回りなどあちこちにベタベタ広告がついている欧州のサッカーユニホーム。
どうもあれが嫌いで、いまひとつついていけない。
2007年シーズンまで存在していたNFLヨーロッパはまさにそうで、ジャージの肩や腰などに広告が縫い付けられていた。

ASL講師もわたしも、ああいうのはどうかなあとまゆをひそめてしまう。

肝心のレッスンは、日本語で言えば「まだ」「できない」という表現を教わった。
時間が遅くなったので半分で切り上げ、来週に回す。

ますます世界が広がっていく2015/03/06 23:01:45

金曜日、手話レッスン。
例文を学びながら、これを英訳してASLでもあらわしたら? といわれて突然戸惑いながら、どうにかこうにかASLでもあらわしてみた。

手話は国ごとで異なる表現があったり共通の表現があったり、学びを続けると、とても興味深いことがたくさんある。
たとえば「一週間後」という表現を例にとってみよう。
日本の手話では数字「7」を手前から向こう側へ向ける。アメリカ手話では、片手を横にして、もう一方の手、数字の「1」を横にした手をはさんで手前から向こう側に出す。なぜかと聞くと、カレンダーをイメージしなさいという。横にした手はカレンダーの日曜日から土曜日までの欄だという。なるほど、そういう考え方もあるね。いかにも欧米らしい表現だと納得。

手話を学んでいっていろんなつながりができ。世界が広がっていく。
これは聴者が外国語を学ぶのと同じ、とても得がたい楽しみだろう。
いつの日かフットボール観戦でアメリカ手話でナショナル・アンセムを歌って楽しめたらいいなあ。プレーヤーと同じフィールドに立って手話で歌えたら、これ以上の喜びはない、と言ったら大げさだろうか。

ともあれますます世界が広がっていく。とても実感している。

「ちょっと待て。冷静にならないか」2015/03/02 23:21:26

今日も夜にASLレストランレッスン。
学びが進むと、教わったり覚えたりした手話表現を使ってみたくなる。これは日本手話でもろう者でも共通して言えることだが、仮に間違った表現だとしてもみんな、頭ごなしにしかったり指摘したりはしない。むしろ「こうこうだよ」と教えてくれることが多い。なぜならみんな、多かれ少なかれ「通じない」苦痛をどこかで経験してきたから、お互いにわかり合おうという気持ちが、たとえ間違った表現だとしてもそれを指摘するにしても、いい意味で愛情をもって教えてくれるから。

1週間前、1カ月前という単語を交えて、わたしも講師もフットボールファンだから、共通のフットボールを交えた話題やら、いろいろ話ができてあっというまに2時間を超えるレッスンだった。座学のようなまじめなレッスンもいいけれどこういうのも楽しい。

川崎で起きた13歳少年殺害事件は、容疑者少年3人がようやく事件について供述を始めたことで一歩真相が明らかになりつつある。
けれど、やりきれない思いを感じるのは、わたしたちの側の問題だ。
インターネットが生活の中に入り込んで切っても切れない関係になってしまった現代は、事件を起こすと、加害者や事件を起こした本人はもちろん家族も、ターゲットにされ、社会の好奇の目、悪い言い方をすればスケープゴートにされ、実名も家族構成もいっさいすべてネットに出されてしまう。

スケープゴートを辞書でひいてみよう。
【scapegoat】(聖書に見える「贖罪の山羊」の意)
民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる   (広辞苑 第5版から)

ネットは便利である一方、一度掲載されてしまったら半永久的に消えない。書く方はそれ相応に責任をもって書かなくてはならない。汚い言い方だが、壁に落書きをするのとはわけが違う。落書きは上からペイントするなり消したりできるが、ネットはそういうわけにはいかない。だからうっぷん晴らしやその場の感情で書くのは危険すぎるものだ。

以前から少年が起こした事件が報道されると、少年法の問題が議論される。「少年法によって守られていると勘違いしているから凶悪事件を起こしても加害者は名前も学校も家族もさらされず、平気でいられる。なのに被害者が一方的に顔も氏名も出されるのは不公平だ」「これだけ少年事件が凶悪化しているのだ。民法や投票権を18歳に引き下げるのなら少年法も改正してはどうだ」「ネットに実名や家族構成がさらされるのは、少年法で守られているという加害者への罰だ」

たしかにそういう側面はあるだろう。
けれど、スケープゴートをつくって、われわれが事件や加害者に対する不満義憤にかられて、不平や怒りや憎悪をかきたてていくのはどうだろうか。それを政治家や権力者が悪用しないとはいいきれない。権力者も政治家も、支持者がなければならないのだから、民衆や社会の声に敏感であるし、だからこそ民衆の声に便乗して社会を息苦しい方向へ変えようとしないとも限らない。過去の歴史上いくらも例がある。

だからどんなに非難されたとしても、熱に浮かされた浮かれたような状況のなかで、どこかで「ちょっと待て。冷静にならないか」とストップをかける役割や存在が必要ではないだろうか。それがなくなれば、社会はいったん悪い方向へかじを切ってしまい、戻ることは難しくなってしまうだろう。
昨今の熱に浮かれたような状況を見るにつけ、こころのどこかで「ストップ!」と言わなくてはいけない、と思う今日このごろだ。

豊かないろんな表現がある2015/02/23 23:19:16

列島ポカポカ、神奈川で22.9度 26日からまた寒く
http://www.asahi.com/articles/ASH2R570RH2RUTIL035.html

朝から暖かい一日、手袋がいらないどころか、着ている分厚いジャンパーもかえって暑いくらい。
小田原で22℃というからまるで4月並みの暖かさ。とはいえまだまだ寒さを感じる日は続く。木曜日からまた下り坂になるようだ。

1週間ぶりのASLレストランレッスン。
ASLも日本手話も、共通しているのは、できるだけ短く簡潔に表すということだ。
ASLでは一週間という単語を、片手を横にして片手で数字を表し、数字を表した手を、横にした手の指から前に出す。ところが両手ではめんどくさいというか疲れるものだから、熟練したろう者は片手だけ、数字を表す側の手だけで表現する。数字を表す手を左から右へ流す。これは理にかなっていて、日めくりカレンダーではなく、日記や手帳のカレンダーを思い出してみよう。横に日付が書かれているはずだ。だからカレンダーを思い出せばすぐにわかる。

昨日の難聴者例会でも、おしゃべりという単語の使い分けが出ていた。
口でおしゃべりをするときは両手の人差し指と小指を伸ばし、中指、薬指、親指の先をくっつけて突き合わせる。口を向かい合わせてしゃべるという意味だ。
ところがろう者は人差し指と親指を「L」のかたちにして耳元で揺らす。手話でおしゃべりをするという意味だ。

こうしてみると手話という世界は、豊かないろんな表現があることに気づく。
手話の世界は、ほんとうに奥が深く、どれだけ学んでも学び尽くしたとは言えない。
ろう者になってよかったなと思った、昨日今日の学びである。