ひとくくりにしてまとめて不利に扱われることへの怒り2018/12/15 22:43:29

順天堂大学が医学部入試に際して、「女子の方がコミュニケーション能力が高く、男子を救う必要がある」と、女子に対して不利な扱いをした問題についてこう説明した。
いまもなお「?????」の連続である。

医師は診察で患者と問診をするし、患者がうまく症状や病状を説明できない説明しきれない場合も、過去の症例や学んだことや経験から推察したり検討したりしながら診断を下していく。そこにはある程度高度なコミュニケーション能力が必要だと思うのが当然だろう。
たしかに「communication」と言われても「これが「コミュニケーションだ」と説明するのは簡単ではない。たとえばわたしたち手話でも、表現できれば読み取れればいいというような単純なものではない。表す人の心理や状況、内容によっては受け取り方が違ってくる。そこまで深く考えていく必要がある。

この問題で強く批判されるべきことがあるとしたら、第一に大学側に「差別」という自覚がない、欠落していること。次に女性という集団をひとくくりにしてまとめて不利に扱ったこと。それが差別なんだということに思いが至らない。大学という最高教育機関にしてこうだとしたら、日本社会は差別が根深いともいえる。

わたしたち聴覚障がい者も、千差万別。これをして「聴覚障がい者」といえるものがない。聴力検査や障がい者手帳などである程度聞こえの程度を示すことができるし、感音性難聴や伝音性難聴、混合性難聴などと医学的な分類は可能であっても、聞こえないことという意味では同じであっても一人ひとりで異なる。わたしはやっかいなことに、補聴器を外すとまったく音が聞こえないろう者なのに普通に話せるため、初対面の人ほど「ホントは聞こえているんでしょ」などと言われてトラブルになりやすい。

「女子の方がコミュニケーション能力が高い」というのなら、なおさら医療現場で女性のコミュニケーション能力が生かせるはずだ。男性も、もちろん女性と協力して医療にあたり、診察や検査などで患者の声に聞くことが可能だろう。つまりは順天堂大学の言い分は、言い訳でしかないということだ。女性を活用しようという気持ちはありませんよ、ということをはっきり言わないだけであって。女性を聴覚障がい者と置き換えてみたら、この問題はひとごとではない。

女性をひとくくりにして不利に扱ったという客観的事実、その事実に向き合おうとしない限り、順天堂大学への不信感はぬぐえない。