依存せず寄りかからず2017/11/21 23:52:29

スマホやタブレットを否定はしません。ろう者であるわたしにとってNFLやCFL、手話やメールなどの情報を得られる発信できるツールでもあるからです。

しかし、こういったツールも使い方次第。
クリックすればなんでも得られる半面、自分で考えることSNSやネットサイトが言っていることをうのみにせず、自分で考えること。
そういう意味で、ネットにのみ依存せず寄りかからずにいたいと思う。

時代錯誤であり、女性をおとしめている2017/11/22 22:14:12

「子供4人産んだら表彰」自民・山東議員に、尾木ママ「女性をバカにした発言」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/22/ogimama_a_23284991/?utm_hp_ref=jp-homepage

わたしもこのご意見に全面的に賛成出し共感する。女性は産む機械ではないし、産むことで表彰される筋合いでもない。だいたいにして女性を馬鹿にしていないかとはっきり明言したい。

産む産まないはあくまでも人間としての権利であり、国や権力者から要求されたり、格付けされたりほめられるものでもない。
そういう考え方が時代錯誤であり、女性をおとしめているのだ。

はっきりとこういう発言には不快感を隠せない。

ふだんからのありようが大事2017/11/23 21:49:54

勤労感謝の日。

家族から感謝されることもいたわりの言葉もないのだけど(苦笑)、感謝というのはあたりまえのようでいてあたりまえではない。

わたしたち夫婦もそうで、長く一緒にいるとあたりまえのようになって「感謝」することもされることも忘れてしまう。することもされることも忘れないように、意識して日々を過ごすこと。

わざわざ祝日にするまでもないと言ったら身も蓋もないけど、祝日以前にふだんからのありようが、感謝の意味をより深いものにするとわたしは思う。

人としての大切な姿勢2017/11/24 22:10:30

「なんでも相手が悪い、ではなく、本当にこちらに非はないか、あるいはなにかできることはないか」

これはとても大事なこと。こういう視点がいまの世の中には足りないのではないだろうか。
たとえば家事を手伝ってくれないとか、頼んだことをしてくれない。お店に行って買い物をする。電車が遅れて、世の中のできごとについても不満やいらだちがあるとき、クレームばかり言う人もいる。

そういえば先日、つくばエクスプレスで「20秒の遅れを謝罪」したことが海外メディアで話題になった。

もちろん交通機関だから、トラブルが生じた時にはきちんと対処して事実関係を明らかにして責任を明確にすることが求められる。
しかし相手を責め立てて自分は安全なところに立っているか傍観しているだけでは、ことは何の解決にもならない。

もうひとつ。
慰安婦像の設置をめぐってサンフランシスコ市と大阪市が姉妹都市提携を解消するという話が出て、「サンフランシスコに行くな」という政治家もいるようだ。

フットボールファンであるわたしはひいきチーム、オークランド・レイダーズの試合を家族と観戦したいが、オークランド市に国際空港はあるけど日本からの直行便はないため、行くならサンフランシスコ行しかない。同じ西海岸のロサンゼルスから乗り換えで行く方法もあるけどサンフランシスコのほうが近くて便利だ。サンフランシスコからオークランドはBARTでわずか1時間ほど。
政治家や権力のある人から「行くな」と言われてもわたしは行く。人にあれこれと行動や自分の好きなチームの試合観戦を指示される筋合いはまったくないからだ。

こういう威勢良い耳触りのいい発言にあおられず冷静にいること。
サンフランシスコ市民にも日本人や日系人はいるし、韓国系の人もいる。威勢良い言葉で対立をあおり立てるのに乗ることなく、海を隔てた向こう側にいる人と、こういった問題を超えて分かり合えるために何ができるか、と考えること。

それが人としての大切な姿勢だ。

聴こえないけど、思い出すなあ。2017/11/25 15:36:36

わたしが子どものころの「土曜日の夜」といったら、テレビでたしか『おそば屋ケンちゃん』あたりをみて20時、夜8時から「8時だよ! 全員集合!」、そのあと「Gメン’75」……というスケジュールだった。当然、まだ聞こえていたころのこと。
わたしの父の兄のご自宅におじゃまして遅くまで観せていただいたことも忘れられない思い出だ。

と、こんなことをつらつらと書いたのは、先日久しぶりに「ドリフターズ」を観たことだ。といってもリーダーのいかりや長介さん、キレキャラの荒井注さんはもうこの世の人ではなく、ご健在のメンバーでは加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさん、志村けんさんだけ。
観たのはフジテレビ系バラエティ特番『三宅裕司と春風亭昇太のサンキュー歌謡曲一座~ナウなピースでこまっちゃうナ~だめだこりゃ編~』。志村けんさんはこの番組には出ていなかった。

ところが、世代も時間も超えてアイドルグループの「ももいろクローバーZ」佐々木彩夏・玉井詩織・高城れにの3人がこの番組に一緒に出ているのにあ然としてしまった。しかも「ドリフのズンドコ節」「いい湯だな」「誰かさんと誰かさん」などあのころわたしも歌った曲を彼女らも歌っているのだ。アイドルがああいう歌を歌ってはいけないという理由はないけれど、いまの若い人には新鮮に映るのだろうか。

たまたま今日のある新聞の朝刊別刷りに「ドリフのズンドコ節」が紹介されていた。
もとの歌は旧海軍で歌われていた「海軍小唄」で、娘と別れた元出征兵を歌ったのだというが、田端義夫さんや小林旭さんも歌ったこの歌。ドリフの場合はミュージックバンドだったこともあって、テンポが速い。この新聞別刷り記事では「民謡調の曲が多かった」。その理由は同じコミックバンドの先輩、クレージーキャッツとの違いを出すためだった、そうだ。

いい曲は長く歌われ歌い継がれていく、とは何度もここに書いたが、まさにドリフターズもそう。

もう聴こえないけど、思い出すなあ。「学校帰りの森かげでぼくに駆けよりチューをした……」

Grey Cup、NFL WEEK122017/11/26 23:16:59

早くも11月は今週で終わり。週末からは12月。

明日、もうひとつのプロフットボール、CFLカナディアンフットボールリーグのチャンピオンを決めるGrey Cupがある。

NFLは第12週。デンバー・ブロンコスとの対戦。

第105回グレイカップ2017/11/27 23:28:54

TORONTO ARGONAUTSのジャージ
昨日書いた続き。
まずCFLカナディアンフットボール・リーグの2017年チャンピオンを決めるGRY CUPが現地時間11月26日、カナダ・オンタリオ州オタワの TD Place Stadiumであり、TORONTO ARGONAUTSがCALGARY STAMPEDERSを27-24で下した。
このグレイカップ。実は今年インディアナポリスであったインディ500と同じ回数の105回を誇る。1909年、カナダの総督であったグレイ伯爵アルバート・グレイから寄贈されたのが名前の由来。1916~19年の中断をはさんで開かれ、今年の優勝でトロント・アルゴノーツが通算17回目になる。
雪中で行われたこの試合。獲得ヤードはカルガリーの447に対してトロントは313。ボール所有時間すなわち攻撃に費やした時間もカルガリーが上回っていた(カルガリー36:57、トロント23:03)。しかしターンオーバーがトロントはひとつもなかった。雪中の試合だからパスが通らない可能性を考慮してトロントはパス攻撃を抑えた。11回試投で16ヤードを稼ぎ、平均1.5ヤードのトロントに対してカルガリーは14回試投54ヤードを記録、平均5.3ヤード。けれどターンオーバーがあったのが痛かった。

もうひとつ、NFL第12週。
オークランド・レイダーズはホームでデンバー・ブロンコスと対戦。21-14で勝ち、今シーズン5勝6敗。

ランチ弁当をゆっくり味わう2017/11/28 21:10:55

妻がつくってくれたランチ弁当をゆっくり味わう。おかずにはいったスパゲティがなんとなく、昔風の幕の内弁当のようにみえる。けれど味は抜群においしい。みそ汁と豆腐を添えて、とても楽しく味わえた。

「楽しいね」2017/11/29 23:11:20

子どものころはまだ耳が聞こえていたことは何度かここに書いた。ふと「楽しいね」という出だしの歌を思い出して、ネットで検索してみたら……あった!

「楽しいね」という題名のこの歌。「楽しいね 両手を合わすと 楽しいね パチンと音がする」。山内佳鶴子 作曲:寺島尚彦作詞とある。

初めて聞いたのはたぶん幼稚園のころだったと思う。
それが中年のおじさんにも懐かしく感じられるのだから、歌の持つ力はすごいなあと。

誰のために何のために2017/11/30 23:40:03

明日からはもう師走。本当に早いものだとつくづく実感させられる。

日本のモノづくりって世界的にも評価が高い……はずなんだけど、どうしてだろう、ここしばらく伝えられている、さまざまな企業の不祥事。責任はいったいどうなってしまうのだろう。モノを作っただけではなく、使う人たちが長く使えるように、長く使えるに耐えられるものでなくてはならないというプライドや思いがあったはずなのに。

もしも伝えられているように、権力者や企業のトップの顔をうかがっているのだとしたら、それこそ本末転倒であろう。
モノをつくるのは誰のために?

わたしもまた誰のために何のために、仕事やいろんな活動にかかわっているのだろう。
問い続けていかなくては。