押しつぶそうとしても踏まれても踏まれても2017/08/13 22:21:18

昨日のEテレ「ろうを生きる 難聴を生きる」のなかで、ろう乳幼児を対象にした絵本の読み聞かせや手話を教えるプログラムとともに紹介されていたのが、石狩市にある道立石狩翔陽高校で今年度から手話を言語として学ぶとともにろう者の差別されてきた歴史なども含めて総合的な学習を行うプログラムが始まったことが取り上げられていた。
石狩翔陽高校のプログラムについては、ほかにもさまざまなメディアなどで紹介されている。

「手話は言語」「手話は文化」。石狩市の先駆的な取り組みを霞が関の勉強会で発表していただきました!
http://ameblo.jp/takenakanami/entry-12181781164.html

「手話語」授業、スタート 北海道・石狩翔陽高校、今年度から 差別された歴史も学ぶ
http://www.asahi.com/articles/DA3S12949458.html

射水市聴覚障害者協会
http://blog.goo.ne.jp/imizu-city/e/19560f017b380a946dc497cb97b81e38

どこの世界にもこころない人はいるもので、石狩翔陽高校のプログラムがヤフーニュースで紹介された今年4月、「JKを狙った商売だろう」などというコメントがあった。
いったいどういうところからこういう意見が出てくるのか理解できないと同時に、障がい者をなにかあわれみの対象としているか、障がいを商売か何かに利用していると勘違いしているのか、ともあれこころないこういうコメントは当事者であるわたしにとっても、言いようのない不快感しか感じられない。

いちいち反論するのも疲れるだけだが、聞こえないことはけっして不幸ではない、ということ。不便であるかもしれないが、聞こえないけれどひとりの人間としての誇りを持って生きているということをはっきりさせておこう。
こころない言葉は無視するか聞き流して、自分らしく生きていくこと、それだけを大事にしていこう。つまらないこころない言葉に押しつぶされるかもしれないが、押しつぶそうとしても踏まれても踏まれても、麦のようにまた立ち上がる。