時代や洋の東西を超えて2016/09/19 22:11:40

妻、おいっ子と上野の国立西洋美術館に行く前に、わたしがよく行く銀座教文館で、みなみななみさんの展覧会、みなみななみ展「シャロームの畑」がひらかれているのをフェイスブックで知り、わたしだけであるが観に行った。

みなみさんは、昔からキリスト教系雑誌などでイラスト作品などを拝見していて、その絵柄にとてもひかれていた。今回はじめて展覧会を観て初対面であったにもかかわらずお会いして会話を交わして、ますます、絵画の数々にひかれてしまった。

そのあと妻、おいっ子と一緒に国立西洋美術館へ。
ここでは17世紀から19世紀にかけての宗教画や静物画など美術史に残る名作の数々を観ることができた。
ヨーロッパ文化や歴史を知る上でキリスト教を知ることが欠かせない、逆に言えばキリスト教抜きでは語れないことを知った。

信仰をもつもたないは個人の自由だから、わたしも妻も、おいっ子に押しつけようとは思わないし無理に信じなさいとも言わない。まあ周囲のなかには「それこそ伝道でしょ」という人もいるだろうが。
しかし、世界に目を向ければ宗教を抜きには語れないものがたくさんある。日本人は海外に出て交流するとき「あなたは何を信じていますか」と問われて答えられないことが多い、とよく聞く。それは信仰がないのではなくて、目標なり指針なりをもってはいるけれど、それと、大きな超越した存在を信じるということとが結びついていないのではないか。

ともあれみなみさんの展覧会から、17世紀、日本がやっと戦国時代を終えて平和になったかどうかのころのヨーロッパで描かれた宗教画などを観て、時代や洋の東西を問わず、ひとのこころになにかをもたらす信仰というものの深さをあらためて感じたものだった。

聴こえなかったから会話がスムーズに行かなかったけれどそれでも接してくださったみなみさんに、こころから深く感謝を申し上げます。