今日という日は二度と帰ってこないのだから2016/09/11 22:17:52

朝からはーとふるはんどの稽古レッスンと夕礼拝へ。

聴導犬の歩行レッスンのときにも訓練士から言われたのは、顔の表情が怒っているように見えて犬はおびえる、という。しかも腕の振りがはっきりしないものだから、犬がユーザーに従いたい、ついていきたいという気持ちになれないのだという。

はーとふるはんどのレッスン稽古では指摘された欠点を改善しよう、よくしようと、普通に歩く、笑顔で、ということを意識している。

このへんは前にも書いたと思う。

今日のレッスンで、仲間から「いまの歩き方はいいよ」とほめられて悪い気はしないどころかうれしいと思ったものだ。誰だって出来ないとか悪いとかダメだとかマイナス点を挙げられるより、少しでも何かができる、収穫になったものがあると参加してよかったと思うもの。
帰りがけにメンバーと話をしたのだけど、この劇団に入っていろいろやりたいことがあるし、覚えたいこともある。ましてできるだけ続けられる限りは続けたいと思ってさえいる。
だから、一日のレッスンでもなにかが得られたと思えるものでありたい。

夕礼拝も手話通訳の手話が読み取れて、内容も理解できた。

昨日は朗読の練習を妻に立ち会ってもらって、ストップウォッチではかってもらいながらすすめた。
初めは10分台。2回目は11分ほど。そして最後は12分22秒。
長けりゃいいってものじゃないが、3部全部のトリを担当するのだから余韻をもって何かを伝えられるものでありたい。

今日という日は二度と帰ってこないのだから、なにか収穫得たものがあったといえる日にしたい。