In this case, as equals.2016/09/09 22:12:11

パラリンピックの「パラ」の意味 障害者の苦難と希望の歴史がそこにある
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/08/paralympics-origin-story_n_11902588.html

The Paralympics’ Origin Story Is A Moving Lesson In Caring For The Forgotten
http://www.huffingtonpost.com/entry/paralympics-origin-story_us_57d01cbce4b0a48094a6b119

パラリンピック・リオデジャネイロ大会が始まりました。

相前後して、相模原事件、先日の「24時間テレビ」とNHKの「バリパラ」という2つのテレビ番組ひいては、マスコミや社会がわたしたち障碍者をどう取り上げてきたのか取り上げたいのか、それに対するわたしたちのいろんな意見も出ました。

「パラ(Para)」はギリシャ語の前置詞で、「並んで立つ」という意味があり、ここでは「対等」という意味を持つ。と上の記事に書かれています。

But in truth, it means something much more in line with Guttman’s vision. “Para,” in this instance, comes from a Greek preposition, which means “to stand alongside.” In this case, as equals.

24時間テレビもそれなりの存在意義があるから、視聴者も多く、NHKが問題提起をしたことで議論が活発になったともいえます。

わたしは24時間テレビに対してはあまり好意的ではありません。実際ここ10年ほどは見ていません。
感動が悪いのではなくて、感動を与える存在としての見せ物、モノ扱いされるのがおかしい、いやだと言いたいのです。

コスモス朗読会もはーとふるはんどの舞台も、わたしは手話と声で表現したい。ろうでありながら普通に話せる、まれかもしれないけどやっかいなものでもあるからこそ声と手話で語ることで、聞こえない人にも聞こえる人にも楽しんでもらえる、共に生きる存在でありたい、舞台を楽しんでもらえたら、という思いなのです。