前向きに考えたい2016/09/01 23:25:53

この世に生をうけてこのかたずっと「歩み」を続けてきた。
なのに意外と出来ていないのが「歩き方」である。

今日、全日本ろうあ連盟出版局から出ている『医療の手話シリーズ③ 手話で必見! 医療のすべて』という本に、ウォーキングの方法が手話表現付きで書かれてあった。

ウォーキングの方法……。

目線はまっすぐ/呼吸は自分のリズムで/ひじはやや曲げて。腕を大きく振る/ひざを伸ばしてかかとから着地/頭は揺らさずしっかりと!/肩は力を抜いてリラックス/腰の回転で歩幅を広げて/しっかり大地をキック

犬と一緒に歩く歩行訓練のときにも、歩き方がおかしい、リードを持った腕を大きく振っていないから自分の動きたいことが犬に伝わらない、加えて顔が怒っているように見えるらしく、犬から見るとおびえを抱くらしい。

犬と一緒のときでもそうではないときでも、歩き方を意識していくのはたやすいことではないが、お芝居や犬との生活にも反映できたら、もっといい歩き方ができたらいいなと前向きに考えたい。

『名もなく貧しく美しく』『典子は、今』2016/09/02 23:40:02

今日からさっそく、昨日書いた歩き方を意識してやっている。
意識するとしないとではまるで違う。意識するから動きも変わってくる。

映画監督の松山善三さん死去 「名もなく貧しく美しく」
http://www.asahi.com/articles/ASJ926292J92ULZU009.html?iref=comtop_list_obi_n01

『名もなく貧しく美しく』はわたしたちろう者難聴者の苦悩を知らしめてくださった名作である。
そのあと、高校時代に観た『典子は、今』も評価の高い作品である。
社会的弱者をお涙ちょうだいではなくヒューマニズムという視点で取り上げてくださった。

もうこんな時間だからできないけれど、あらためて松山さんが作詞をされた『典子は、今』の主題歌をギターで弾いてしのびたい。

こころからご冥福をお祈りいたします。

プレッシャーを感じる。2016/09/03 23:30:31

第11回コスモス朗読会 2016年10月1日 13:30~18:00(予定)
長野から帰ってきていよいよ9月。
今日は「朗読のレッスン」、来月に迫った第11回コスモス朗読会の練習とご指導をいただいた。

その前に参加者の出番出演順が講師からアナウンスされた。
なんと、今年は第3部の最後、つまり第1~第3部全体の大トリを担当することになった。

過去10回は、第2部や第3部の冒頭トップであったり、第2部や第1部の最後であったり、聴こえないわたしが出番に迷わないように配慮してくださったのだと思う。そしてわたしも自分の出番が終わったらほかの出演者の舞台を、聴こえないなりに観ていたけれど、今回はとてもそんな余裕も気持ちもなく、全体の最後ということは、締めがしっかりしていないと、それまでのみんなの舞台や雰囲気が全部台無しになってしまうというプレッシャーを感じる。妻に冗談めかして、「屠り場に引いていかれる羊の心境」でもある。

1630が第3部開始だが、おそらく17時、午後5時から1時間ほどのあいだに舞台に立つだろう。
 
みなさまのお越しを心からお待ちいたしております。

 第11回コスモス朗読会 2016年10月1日 13:30~18:00(予定)
 小田急線・井の頭線 下北沢駅 「しもきた空間リバティ」
 入場無料です。

劇団メンバーにもご紹介した2016/09/04 23:13:54

台風の影響で天気が悪くなるかも、という予報に反して、朝から暑い一日。
昨日いただいた「コスモス朗読会」の案内ハガキを、劇団のメンバーにお渡ししてみた。

出演順が確定して全体の最後に決まり、今後はさらに手話と声のブラッシュアップに力を入れなくては。
そして、例年のように、演出方法についても劇場のスタッフと相談してみたい。
さきにも書いたように劇団のメンバーにも紹介して、今年は例年以上にろう者難聴者が多くいらっしゃるかもしれない。ろう者であるわたしは同じろう者にも見ていただきたいと思っている以上、彼らが観て理解できない楽しめないようなものにはしたくない。
いろいろ工夫をしていきたい。

厳しい暑さが続く2016/09/05 22:46:08

まだまだ残暑厳しい日が続くようで、今日も仕事中の職場内はエレベーターの中もうちわをあおぐ人がいたり渡り廊下にいても空調がないから暑さが強く感じられたりと、大変な一日だった。

こわいのはこの残暑が終わったころにからだに疲労がたまり体調を崩しやしないかということ。
昨日のNHKスペシャル、「MEGA CRISIS 巨大危機」を観たが、2020年、北極の夏の氷が全て溶けてゼロになる可能性が指摘されていたり、東京や大阪でも気温が40℃を超える日が続き、集中豪雨や雷などの多発が予想されるなどという内容に、驚きを隠せなかった。

こんな暑さが来年以降も続くとしたら、はたして五輪などやっていられるのだろうか。

また台風がやってくる2016/09/06 22:35:55

仕事を終えて妻の妹の息子、つまり甥っ子と都内のスープカリーレストランで夕食を一緒にした。

最近の北海道新聞の記事の中に、札幌市内で主婦や子ども向けのプロによる料理教室があって、人気のスープカリーをつくってみようというプログラムがあったらしい。
甥っ子も初めてのスープカリー体験に暑さを感じながらしっかり完食した。

さてまた、週の半ばの木曜日あたりに台風がやってくるらしい。
わたしの故郷北海道に大きな爪痕を残した台風は、カレーの材料であるじゃがいもやたまねぎなどの収穫量が少ないなど大きな影響が出ていると伝えられている。
そうなると、今後はカレーだけではなく野菜全体の価格も上昇し、ひいてはレストランの野菜を使った料理も値上がりするかもしれない。

自然災害の多発が今後も予想される。
はたしてわたしたちの生活はどうなるのだろう。

ほうとうを食べてみた2016/09/07 23:28:22

うどんの平麺よりも太い麺
手話サークルから帰って遅くなったけど、先日長野からの帰りにパーキングエリアで購入した、甲州山梨県ではよく食べられている「ほうとう」をつくってくれた。

武田信玄がみずからふるまったという言い伝えのあるほうとう。漢字では「宝刀」とも書くときく。
ラーメンに似た香りだけど、本来の「ほうとう」は札幌ラーメンのちぢれ麺とも、九州ラーメンの硬い麺とも違う、小麦粉を練ってうどんの平麺よりも太くざっくりと切った麺を野菜と一緒に味噌仕立てで煮込んだ料理であるのだそうだ。

妻はちくわを入れてくれて、野菜こそないけれど味噌仕立ての味はとても辛く、おいしかったのはいうまでもない。

いつか機会があったら本場山梨に行ってみたいものだね。

優勝まであとひとつ2016/09/08 23:16:28

昔、独身時代に広島へ旅行に行ったことがあるが、彼の地のプロ野球熱といったらそれはもう半端なく、試合がなかった旧広島市民球場だったけれど、そばを通り過ぎていても熱気が感じられるだけでなく、広島市内がカープ一色というかカープへの愛情で満たされているような、そんな感覚だった。

日本のプロ野球とメジャーリーグだけではなくフットボールやバスケットボールなどのメジャースポーツの違いは何かというと、市民に愛されている市民のあいだに根づいているということではないだろうか。トロントに行ったときもブルージェイズだったり、メープルリーフスであったり、アルゴノーツであったり、トロント市民に愛されているのだということが強く伝わってくる。妻と新婚旅行で訪れた、妻にとっては初体験のオークランドでのフットボール観戦は、ブラックとシルバーのコスチュームであったりボディペイントがショックだったようだけど、それもオークランド市民がチームを愛しているから。
アメリカのプロスポーツは、企業の宣伝ではなく、あくまでもどこそこの街のチームという意識でいる。
日本のプロ野球はだいぶ地元に根づく努力をしてきたけど、サッカーやアメリカのプロスポーツに比べたらまだまだ。

そんなことをつらつら書いていって、25年ぶりのセントラルリーグ優勝まであと1つに迫ったカープ。
地元に愛され育てられているという思いが選手とファンに共有されている。
優勝したら広島はものすごい盛り上がりになることだろう。

In this case, as equals.2016/09/09 22:12:11

パラリンピックの「パラ」の意味 障害者の苦難と希望の歴史がそこにある
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/08/paralympics-origin-story_n_11902588.html

The Paralympics’ Origin Story Is A Moving Lesson In Caring For The Forgotten
http://www.huffingtonpost.com/entry/paralympics-origin-story_us_57d01cbce4b0a48094a6b119

パラリンピック・リオデジャネイロ大会が始まりました。

相前後して、相模原事件、先日の「24時間テレビ」とNHKの「バリパラ」という2つのテレビ番組ひいては、マスコミや社会がわたしたち障碍者をどう取り上げてきたのか取り上げたいのか、それに対するわたしたちのいろんな意見も出ました。

「パラ(Para)」はギリシャ語の前置詞で、「並んで立つ」という意味があり、ここでは「対等」という意味を持つ。と上の記事に書かれています。

But in truth, it means something much more in line with Guttman’s vision. “Para,” in this instance, comes from a Greek preposition, which means “to stand alongside.” In this case, as equals.

24時間テレビもそれなりの存在意義があるから、視聴者も多く、NHKが問題提起をしたことで議論が活発になったともいえます。

わたしは24時間テレビに対してはあまり好意的ではありません。実際ここ10年ほどは見ていません。
感動が悪いのではなくて、感動を与える存在としての見せ物、モノ扱いされるのがおかしい、いやだと言いたいのです。

コスモス朗読会もはーとふるはんどの舞台も、わたしは手話と声で表現したい。ろうでありながら普通に話せる、まれかもしれないけどやっかいなものでもあるからこそ声と手話で語ることで、聞こえない人にも聞こえる人にも楽しんでもらえる、共に生きる存在でありたい、舞台を楽しんでもらえたら、という思いなのです。

25年ぶり7回目2016/09/10 22:34:48

朝は久しぶりに休息にあてて午後からギターや朗読ダンスのレッスン。

夜に夕食をとりながら3人でプロ野球広島ー巨人戦をテレビ観戦。
広島の25年ぶり7回目のリーグ優勝。