なんとも寒気がする2016/08/01 19:48:44

フェイスブックで知ったのだが、視覚障がい者が白つえをついて歩くのを見た高齢者が「うるさい」と怒鳴ったという新聞投書が、ある全国紙に載ったそうだ。

なんとも寒気がする。
こんなにも社会がギスギスした、息苦しいものになるなんて。

この社会はいつまでたっても幸せにはならない2016/08/02 23:31:54

多くは語りたくないと思いつつ、やはりあの事件が頭から去らない。ショックは大きく、いまも続いている。

日本障害者協議会サイトから
相模原の障害者施設での殺傷事件について
http://www.jdnet.gr.jp/opinion/2016/160803.html

お読みいただければお分かりと思う。
ポイントは4つ。

容疑者が抱いていた考えがナチスの優生思想を思い起こさせるものであり、現在の社会に引き合わせると、社会や経済のひずみがしわ寄せとなって弱者へやってきている。いろんなひずみを社会全体で問い直すべきだ。

容疑者が措置入院歴があるということが、かえって措置入院の強化をまねくものであってはならない。精神障がい者への偏見や差別という政策手法が繰り返されてはならない。

防犯策の強化はむろん言うまでもないが、それのみにこだわると、地域社会と福祉施設の断絶につながりかねない。それはかえって「施設から地域へ」の逆行になりかねない。

犠牲者の氏名を伏せるのは、一人ひとりの死を悼みにくい。

もしいま、容疑者だけではなく、彼と同じ考えを持った人と向かい合ったなら、わたしはこう言おう。

「生きていることが不幸だというのはあなたたちが優れているという思い上がりである。生きていることが不幸なのではなく、障がいがあるわたしたちを不幸だと決めつける社会の側こそが不幸なのだ。その思い上がりがある限り、この社会はいつまでたっても幸せにはならない」

血を吐きながら続ける、悲しいマラソン2016/08/03 22:58:58

まもなく71回目の原爆記念日がやって来る。
今日、北朝鮮がまたミサイルを発射した。

国内にも「核武装を」という人がいる。
その気持ちはわからないでもないが、向こうが持つからこちらも、というのでは際限がない。もし仮に日本も核武装をということになったら、はっきりいってアメリカは黙っていないだろう。当然中国、ロシアも強硬になる。

なにより核は、持つだけでも人類を破滅に陥れる可能性があるのだ。弓矢や剣とはわけが違う。アメリカも口に出さないだけで、1945年8月に落とした2つの原爆の威力とその後の自分たちがつくった核兵器の威力、それらが使われたらどんなことになるかわかっているから、71年のあいだ使わなかったのだ。

昔見た『ウルトラセブン』のセリフを思い出す。ウルトラセブン26話「超兵器R1号」におけるモロボシ・ダンのセリフだ。
「それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ…」

「侵略者は、超兵器に対抗してもっと強烈な破壊兵器を作りますよ!」
「我々は、それよりも強力な兵器をまた作ればいいじゃないか!」
そして上のセリフが出てくる。

核兵器を、という人たちに言いたい。
あなたたちは、未来の人たちに、このいま生きている星を託したいのですか? それとも壊滅させたいのですか? いっときの感情で未来を壊す権利は誰にもありません、と。

「待つ」「急がない」ことに徹して2016/08/04 23:52:23

聴導犬と行動する、ということは、単に同伴するという意味にとどまらない。ペットとは違い、わたしの耳であるとも言えるのだから、犬を守るという責任も伴うのだ。

今日の訓練では、エレベーターやドアに立ったとき並んだときの訓練のほか、タイマーを知らせるときの訓練も。
まず前者は、ドアに並行して立つ。慣れたらいらないと思うが、ごほうびで集中させる。人が先にエレベーターに乗るが、ドアが急に閉まらないように押さえて犬が入りやすくする。コーナーかドアそばに立って両足で犬を守る。

後者は、タッチした時にごほうびをあげることと、タイマーを止めるのはごほうびをあげてから。

逆に言えば、わたしがしっかり「待つ」「急がない」ことに徹していけば、犬も自然と行動してくれるのだと思う。

あらためて気づかされたこと2016/08/05 22:31:52

6日間の訓練を終えて自宅に帰ってきた。

昼食を、前日1時間かけてつくった、9人分のやきそばをかこんで協会スタッフやみなさんと一緒に交流をもった。

1507に出発して帰宅は2050。
帰宅して改めて気づくのは、地下鉄や電車の、乗客のマナーの悪さと混雑だ。
ドアが開いて車外乗り口わきにお客さんが降りて、並んでいる人の前に立ちふさがる。乗ったら乗ったで、車内ドア入り口わきに、これまた居座るかテコでも動かないぞ、おれの席だと言わんばかりのお客さんがいる。そしてご存じのようにタブレットやスマホに一心不乱で周りに注意を払わない。

こんな状況下で聴導犬を同伴して、はたして犬に何かされないか暴力とは言わないまでも、じゃまモノ扱いされないかと不安になったし、車内マナーにはわたしも気をつけなくてはと反省もさせられた。

これを読んで下さるみなさんに、お願いがあります。
みなさんも、ちょっとでいいから周りに気を配って、妊婦さんだとか障がい者やお年寄りに気をつかっていただきたいと思う。
わたしたち障がい者、大人ももちろんだけど、大人子ども問わず、スマホに夢中な人にこそ知ってほしいことです。

路上では歩きスマホだったり、路上喫煙だったり。これもまた危なくてヒヤヒヤさせられる。

まったく、こんなんで大丈夫か。

互いを思いやるようになったら2016/08/06 23:03:20

今年最多の113地点で猛暑を記録した。
あまりの暑さに、夜に入っても寝苦しくなりそうな気がするほどだ。

朗読のレッスンから手話サークルへと足をのばして、妻と一緒の夕食をとる。
まだ1日しかたっていないが、訓練でいろいろ考えさせられたこともあって、電車内のマナーなどに気をつけたり、弱者や座席を必要としている人たちのことを以前にもまして意識するようになった。

みんながちょっとでいいから互いを思いやるようになったら、ずっとこの国はすばらしいものになる。

チャレンジをするのは楽しい2016/08/07 23:33:18

何ごともそうだけど、新しいことをやろうとするのはたいへんなチャレンジだ。
さらにそのやろうとしていることが慣れないことであったり未経験のものであったりしたらなおさらだ。

しかし、チャレンジをするのは楽しい。ちょっとでもできるようになったらもっともっとやりたいという気持ちになる。

今日のはーとふるはんどの練習もそう。
新しい曲のダンスを教わったけど、ステップがなかなかうまくいかない。しかしメンバーに教わっていろいろ発見があったし改善できた。
そういうことの積み重ねはいくつになっても大事なことだ。

noblesse oblige 厳しさを自らに律しているか?2016/08/08 22:42:11

どんな立場の人にも言えると思うのだけど、とりわけリーダーと言われる人は、その任についたあるいはつかされたというのか、任じられたということの重みと責任を絶えず自覚し問い続けていくことが求められる。

<ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige)とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す>

仕事にあってもそうだし、そうではなくてもボランティアであっても義務と責任ということを問われる。まして高貴、権力者、極めて高い社会的地位にある人なら、なおさら。

この国の為政者、高い社会的地位にある人のなかで、自分に厳しい姿勢をもっているか、と自らに問いかけている人はどれだけいるだろうか。

わたしもまた、自らに問いたい。たとえ会社の仕事で高い地位についてないとしても。あのような厳しさを自らに律しているか? と。

手のひらが熱い2016/08/09 23:52:50

こうも暑いと、寝苦しさでたいへんきつい。
仕事のあとに妻と帰りを一緒にして、途中駅で買い物を済ませた。
アスファルトに手をあててみる。19時というのに手のひらが熱い。人間の手が熱く感じるのなら、犬にとってはもっと過酷に感じるだろう。

人間とは異なり、言葉で言えないだけに、ユーザーがしっかり犬を守っていかなくてはならない。

正直に言って、こんな暑さが4年後もやってくるなら、とても選手も観客も耐えられないのではないだろうか。4年後の今日は五輪が終わるころだときいている。

ああでもないこうでもないと2016/08/10 22:22:40

毎日毎日、鉄板の上で焼かれているような、いやになっちゃうよーーーー。

そんな歌があったなと思い出しながら、妻と一緒に、近い将来聴導犬と一緒に過ごす日々を考えたり、ペット用品をああでもないこうでもないと探したりしている。

そんなひとときが幸せ。