温かな気配りがほしいと思う2016/06/13 22:51:51

街中も公共の空間であるが
しっかし、なんだかねえ。
公共の場、見知らぬ人がたまたま何かの偶然で同じ場と空間をともにするというのは、とても疲れるしストレスもたまる。

けさ出勤途中のひとこま。
妻と一緒に幸い席に座ることができたのだが、あとから乗ってきた若い男性が、ずっとスマホに集中してばかりいる。途中駅で多くのお客さんが降りようとするのだが、そのスマホをもった青年は後ろから降りるお客さんの人波に逆らうように動こうとしない。しびれを切らしたお客さんがあとから降りるのを、迷惑そうににらみつけていた。

わたしもスマホを使っていたこともあるから、スマホに集中していた青年の気持ちはわからないではない。じゃまだと不愉快な思いをしたのかもしれない。だがそれは降りようとするお客さんにとっても同じである。多くのお客さんは、われ先にとまではいわないにしても早く降りたいのだ。そこにスマホをもって立ちふさがっている人がいたら、迷惑だしじゃまだと思うのは当然だ。くだんのそのスマホに熱中している男性が周りの人をにらむのは筋違いお門違いではないだろうか。

スマホ依存という言葉が言われて久しいし、スマホをもって長時間立っていることで猫背になったり肩こりになったりと、けっしてスマホを使うのはからだにいいことばかりではない。
それ以上に、スマホに集中しているために周りに対する配慮や気配りに目がいかず、たとえばゲームや音楽やウェブをみている途中で乗降車するお客さんと遭遇してしまい、せっかくの楽しいときを邪魔されたと感じ思う。
つまりこういうことか。
見知らぬ人たちと同じ空間にいて、スマホで音楽を聴いたりゲームや映像に集中するのは自分の領域を保ちたいという欲求だ。しかし電車やバスの車内に乗降してくる人と接することで、彼らが自分の領域に侵入してくるじゃまな存在だと考えるから、くだんのスマホ青年も迷惑そうににらみつけていたのだ。
けれどもそれを自分勝手な行為だと思うのはおかしなことだろうか。

ほかにもまだまだある。
ヘルプカード、マタニティーマークをつけた女性やご高齢者が乗降してきたときに、だれも目を向けない。スマホに目線を落としてばかりいる。
ドアのそばに立ったまま、背中を向けたりこちら向きであったりしても、かたくなに譲らず、「ここから動かないぞ」と言わんばかりのお客さん。

たしかに電車やバスに限らず、公共の空間というやつはストレスがたまる。
けれどみんなそれを顔に出さないようにがまんしているのだ。
とても疲れるしストレスもたまる、公共空間という場だが、だからこそ、ちょっとのあいだでいいから、スマホやタブレットをやめるとか、周囲に目を向けてみるとか、温かな気配りがほしいと思う。