葵の印籠ではない2016/03/30 23:28:08

老人がヘルプマークの人に席を譲れと大騒ぎ!?弱者を守る日本でありたい。知っておきたいヘルプマークの意味
http://spotlight-media.jp/article/262807046808949562

「ヘルプマーク」に込められた意味は 東京発、全国に拡大へ
http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/28/do-you-know-help-mark-tokyo_n_9555386.html?utm_hp_ref=japan-society

もともとのツィッターの書き込みはここにも記されている話。
今月26日に書き込まれたものらしい。

「電車内で老人から『席を譲れ』といわれた」。投稿主は難病のある女性で、ヘルプカードを携帯しているが、カードを見せて趣旨を説明したけれど「知らないけれど席を譲れ」と言われた、という。さらにこの話には余談があって、会話を聞いていた高齢女性らが「わたしらは年寄りだから新しいものはわからないのよ」、という一人の話に「ねー!」と一斉に相槌を打ったという。

ここからみなさんはどんなことをお感じになられるだろうか。

わたしもここで何度か書いたように、ヘルプカードをかばんにつけている。そして席を譲られたことがあるし、同じように見た目ではわからない妊婦さんに席を譲ったこともある。彼女が「大丈夫ですよ」と断ったけれど「妊婦さんの方がもっとたいへんだから」と言ってわたしは座らなかった。

内閣府 障害を理由とする差別の解消の推進
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html
公益財団法人日本ケアフィット機構
http://www.carefit.org/sabekai/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=cp01

まもなく、来月1日から障害者差別解消法が施行される。

いうまでもなく障がいを理由とした差別はあってはならない。
雇用はもちろん、交通機関のアクセスや情報アクセシビリティー、教育などあらゆる面における差別をなくそうということである。

たしかに障がい者といってもさまざま。
わたしのような聴覚障がい者、内部障がいなど見た目にはそれとは気づかれにくい障がいや、見た目ですぐにわかる障がいもある。
差別はこころのありようでもあるから、すぐになくなるものではない、という意見や声もわかる。
しかし、なくならないといって、あるいは交通機関のアクセスや情報アクセシビリティー、教育などにお金がかかるからといって対応しないということは障がい者に対する不利益であり、それはめぐりめぐって社会への不利益でもある。

このツィッターの書き込みで感じることは、まだまだヘルプカードに対する認知度が低いということだ。そして席を譲られた経験があるわたしも、一方で目の前でカードを見たにもかかわらず譲られなかったこともある。日本人はシャイというか、積極的に声をあげることに慣れてない人が多いし、ヘルプカードやマタニティーマークを見ても、断られたらどうしようとか出しゃばって怒られたら困るとかいった心理がはたらいてなかなか口に出せない人もいるかもしれない。

冷静に客観的に考えてみる。
いったいこういうカードをつけるというのはどういう意味があるのだろう。
そしてカードは「弱者だから」という立場を押しつける強要するものなのだろうか?
そうではないはずだ。
見た目では分かりにくいからこそ、気づいてほしいという意図目的と、社会にはそういう弱者がいて、支えあっていくことが大事だということの啓発が込められている。

よく言われるのだけど、ヘルプカードやマタニティーマークを「弱者の印籠」というような、まるで弱者が『水戸黄門』で最後に出る、葵の印籠のごとく、自分の権威づけのためにつけているのではないかという声を聞く。
たしかにそう見られることもわからないではないけど、それは違う。
あくまでも見た目では判別しにくいからこそわたしたちを知ってほしいということなのだ。「そこどけそこのけ」、オラオラ、というつもりも目的もない。

しかし。
このツィッターの書き込みのような、「老人がヘルプマークの人に席を譲れ」というようなギスギスした社会は、いったいなぜうまれたのだろう。
社会に出てまもなくのころ、わたしは高齢化社会の到来を見越して、もっと高齢者が増える時代に入ったら、高齢者間同士で席を譲れ、いや譲らない、といったけんかやトラブルが起きるのではないか、という暗い予測を抱いていた。

ちょっとでいいから、「お席をどうぞ」というやさしさがあるだけで、電車や人の集まるところの空気はもっと変わると思うのだが。