「生きていてよかった」と思える社会であるかどうか2016/03/01 22:15:44

あたりまえにできる幸せ
平日の夜。週末限定ではなく、平日の夕食づくりを楽にさせてあげたいと、家にあった野菜セットにお肉と蒸し麺を買ってきて焼きそばをつくった。
焼きそばで炒めた肉と野菜はあす以降の弁当になるだろう。

認知症男性JR事故死
「家族に責任なし」監督義務を限定
http://mainichi.jp/articles/20160302/k00/00m/040/081000c

認知症の男性が家族の介護中に徘徊して列車にはねられ亡くなった事故で、鉄道会社から、介護家族に損害賠償を求められた訴訟で、最高裁第3小法廷は、家族に賠償を命じた2審判決を破棄して鉄道会社側の請求を棄却した。

高齢者と同居している家族や高齢者施設にとっては「適切な介護をしている場合は賠償を免れる」ケースが増えるかもしれない。
が、逆に鉄道会社にとってみれば、人身事故での損害賠償を求めても賠償を免れることになり、リスクが生じる。それは鉄道会社の株主にとっては会社側へ訴訟を起こすということにもつながるかもしれないことでもある。

問題は、介護家族や施設、鉄道会社のどちらが悪いか責任を問われるかではなく、今後増えることが間違いない要介護高齢者、介護家族を社会がどう支えていくかだとわたしは思う。

2025年には認知症患者は700万人にもなるという予測が出ている。2012年で約462万人というから、ざっと見積もって1・5倍。
https://info.ninchisho.net/mci/k10

高齢者とは逆の、乳幼児をみてみると、たしかに休日にはよくみかけるが、これも電車など人の集まるところでは「泣き声がうるさい」などと冷たい目で見られたり迷惑がられたりという声がある。

寝ても覚めても
「何なんだよ日本」=冨重圭以子
http://mainichi.jp/articles/20160301/dde/012/070/004000c

「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログの書き込みが国会でも議論になった。
安倍は「一億総活躍社会」と耳に聞こえのいい、勇ましいことを言っているが、現実はとてもそんな甘いものじゃない。保育園には入れない待機児童は一向に減らないし保育園を増やすにしても、住宅に近いところにつくろうとすると「子どもの声がうるさい」という抗議や苦情がある。

新国立「木製イスなら追加で20億円」遠藤五輪担当相
http://www.asahi.com/articles/ASJ2V3SQFJ2VULFA00B.html

新国立、追加費用数十億円か 自民「客席いすは木製に」
http://www.asahi.com/articles/ASJ2T5PYQJ2TULFA020.html

そんななかで、新国立競技場につける木製イスのために20億円も使うとかいう話を聞かされたら、「オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ」というこのブログ主の書き込みにも共感したくなる。

今日の裁判は、「徘徊して事故を起こしたから損害賠償を払え」とか「子どもが泣くからうるさい」ではなく、認知症になったとしても子どもが生まれても、「生きていてよかった」と思える社会であるかどうか。本当の意味での豊かさと人間らしさとはなにか、を問うているのではないだろうか。

安倍をはじめいまの政治家のこころには、はたしてこの問いやさきの「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログの叫びは届いているだろうか。本当にわかっているだろうか。