理想論かも知れない。しかし理想を失えば2015/11/20 23:52:03

今日の朝刊と夕刊に、まもなく1週間になるフランスでの同時多発テロで妻を亡くしたアントワーヌ・レリスAntoine Leirisさんがインターネット上につづった文章が世界中に広がって共感を呼んでいるという記事があった。

http://www.franceinfo.fr/actu/faits-divers/article/antoine-leiris-les-terroristes-n-auront-pas-ce-qu-ils-cherchent-se-tiendra-debout-745965

フェイスブックから拡散されたらしく、ネット上ではいくつもみることができる。

今晩の手話学習会後に手話通訳士と話したことだけれど、とても共感と感動を覚えた。
レリスさんの文に、こんなくだりがある。

 君たち(筆者注 テロを起こしたISイスラミック・ステート)は死んだ魂だ。君たちは神の名で無分別に殺りくを行った。もし、その神がわれわれ人間を自らの姿に似せてつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた一つ一つの弾丸が、神の心に打ち込まれていることだろう。

彼はこうも続ける。

 だから、けっして君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にするということを望んだ。だが、君たちの負けだ。(私というプレーヤーは)まだここにいる。

わたしははっきりと明言しておくけれども、テロを起こしたISに対しても宗教信仰を隠れみのに自分たちを正当化する過激派集団やカルト宗教に対しても、キリスト教福音派や聖霊派のなかの一部極端な過激な、聖書の私的解釈や捻じ曲げた解釈を持ち出す人たちに対して、彼らと同じように怒りや無知や反知性で向き合うことは、私たちのレベルというか位置を自らおとしめるものだと。

「それみたことか」と難民を排除しようとか日本でも共謀罪をつくろうとか、政治家はこの期に乗じて自分たちのやりたいことを推し進めようとしている。それに安易に乗っかってはならない。むしろ彼らがやろうとしていることを注意深く見つめ、かえって彼らが、わたしたちに隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを押しつけようとしていないか、この目で注意していかなくてはならない。

わたしもレリスさんに共感する。
テロに武力で応じることは、神に銃弾を撃ち込むことの連鎖であると。自分たちのレベルをわざわざおとしめて、なにがおもしろいのか。

理想かもしれない。しかし理想を失えば、あっというまに人間は野獣へと落ちていく。
わたしはそんな人間にはなりたくない。