生きていく上での強さを養うこと2015/09/07 21:41:50

朝から一日、雨が続いた。台風17号、18号であすあさってが大変な天気になるかもしれない。

まもなくNFLの2015ー16シーズン、が始まる。
スポーツは勝者と敗者がくっきり分かれる、厳しい世界である。NFLともなるとプロスポーツだから、勝者には惜しみない賞賛、敗者には見向きもされない。

しばらく前、小学校の運動会の徒競走レースで順位を決めずに並んでゴールをしましょう、という意見が出た。ゴールで遅れてしまう選手が可愛そうだ、というのと、運動会では勝者と敗者を決める必要がないのだ、というのが理由らしい。

でも、と思う。
わたしのころはそんな意見はひとつも出たことがない。
5年生のころだったか、運動会で校舎の周りを3周するレースがあった。
足が遅いわたしは、当然ビリっけつ。レースが終了する前にたったひとり校舎の周りを走ってトラックに入ったとき、観衆から大きな拍手をもらったことがある。恥ずかしいやらちょっぴり誇らしいやらで、フクザツな気持ちだったが、けっしていやだとは思っていない。

スポーツだからどうしても優劣勝敗はある。なかったらそれこそおかしいし、スポーツではない。
ランニングや卓球は個人またはダブルスや団体リレーのようにチームでやるものもあるけれど、高校野球やフットボールのように団体競技はある意味、個人競技以上に勝ち負けにこだわるし、チームが力を合わせて勝つという目的に向かってまとまっていかなければならない。ひとりでもチームの方針や試合中のプレーで勝手なことをしたら勝利に結びつかない。プロであればなおさら。

けれどいつまでも永久に勝ち続けられるわけにはいかない。プロでもアマチュアでも同じである。
いつかは負ける日が来る。
勝ったときこそ、負けたチームや負けた選手を思いやる。自分たちもいつかは負けるときが来る。そのときに負けを受け入れられるだけの気持ちをもつためには、勝ったときにこそ思い上がらない、謙虚になるということが大事なのではないだろうか。

話を戻すけれど、ちょっと前に議論になった、レースで順位を決めずに並んでゴールをしましょう、というのは、平等をうたっているようでいてその実、勝ち負け以上の、生きていく上での強さを養うことにはならないのではないだろうか。
勝ち負けをこえた、相手や自分との戦いこそが、試合の結果よりも大事なことだ。
並んでゴールしたところで、いったい何の意味があるのだろう。

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