70年目の「ヒロシマ」と100年目の「甲子園」2015/08/06 23:30:24

70回目の「ヒロシマ」。
これまで3回、かの地を訪れたことがある。修学旅行と家族旅行、そして独身時代。

今日もギターレッスン。講師先生が『心の瞳』残りパートにTAB譜とコード譜を入れてくださる。だいぶ曲の流れがつかめた。まだまだ覚えなくてはならないことがたくさんあるけれど、ここまでのあいだでも講師先生から厳しいダメ出しを何度ももらいながらくらいついてきたのだ。どんなことになろうともあきらめたくない。なにより自分からやりたい覚えたいと言い出して始めたものを、途中で投げ出すのは嫌いだ。

100年目の「甲子園」が始まった。
出場回数36回を誇る、わたしの故郷、南北海道代表の北海高校は鹿児島代表の鹿児島実業と1回戦で対戦、4-18で負けた。でも負けたことより、一生懸命プレーしたことのほうが大事。
さらに感動したのは、元巨人・福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治さんが始球式を務めたこと。
早稲田実ではエース兼主力打者として活躍。1年生だった第38回大会(1956年)から4季連続で甲子園に出場。2年生の時には春の第29回選抜大会で優勝投手となり、夏の第39回大会では無安打無得点試合も達成した。
高校時代の活躍もさることながら、プロ経験者が甲子園で、しかも始球式を務めるのは王さんが史上初。
75歳の王さんが左腕で投げた一投は外角ストライクでキャッチャーミットにおさまった。わずか6秒足らずの始球式を見て、言い表せない感動をおぼえた。なにせ王さんといえばわたしにとってあこがれなんてものじゃない、記憶にも記録にも残るすばらしいプレーヤーだから。
100年目と書いたが大会は今年で97回を数える。3年のずれはもちろん、太平洋戦争による中断があったからだ。戦争がなかったら、野球をやりたかっただろう、元球児のこともわすれてはいけない。

昨日も書いたことだけど、70年前のこの日は、とても「ギターを学びたい」なんて言える社会状況ではなかった。やりたいと言えてやれる。このこと以上の幸いはない。亡くなった方はやりたいといったとしてもできないやれない。その分も、わたしたちはやれる環境にあることの幸せをこころに刻もう。プロアマチュア問わず、スポーツ、文化芸術活動に取り組めるのは、平和だからこそ。そのことを幸せと思わなくてはならない。

『心の瞳』は納涼会にまにあうかまにあわないかは、いま時点では問題にしていない。
それよりも、やれることをしっかりやって、覚えて弾けるようになること。それが何よりも大事なのだから。
朗読も、まだまだ修正が必要だけれど、だいぶかたちになってきた。