あたりまえのようでいてあたりまえではない2015/07/01 21:52:55

今日から7月。本当に早いもの。あと5カ月とも言えるしまだ5カ月とも。どちらと感じるかで人それぞれ、違ってくるのでしょうが。

さて今日、ニュースから考えさせられました。
ひとつは新幹線で起きた、車内焼身自殺事件。二つ目は箱根山の小規模噴火。最後に自民党の議員やある小説家が口にした、報道規制、新聞をつぶせといった発言。今日もまた別の自民党議員から同じような発言が繰り返されたという報道がありました。

順が逆ですが、最後の発言から感じること。
自分の思うようにならない、自分の意見を押し通そうと、他メディアをつぶせというのは、思っていても口にすべきではありません。小説家にしても、言いたいことを言うのは自由ですが、だからといって自分と異なる立場のメディアを攻撃するのは、子どもじみた発言としか理解されないでしょう。わたしも子どものときにはそういったやり返せというような言葉を言ったこともありますが、いい年にもなったらそうした言葉を口にすべきかどうか判断できるというもの。小説家も政治家も言葉で書き語ることのできる職業なのですから、自分の言動に責任を持っていただきたいものです。公の場で言いたいことを言うことと、口にすべきかどうかをわきまえられない判断できないというのは、年齢にふさわしい人物とは思えません。

新幹線での事件ははじめ聞いたときは一瞬なんのことだか分からず、状況が分かってきてからは驚くばかりでした。
何度も新幹線に乗ったことがあります。10年前、ドイツ・ドレスデンからオランダ・アムステルダムへのICEというヨーロッパを結ぶ高速鉄道に乗ったことがありますが、手荷物検査を受けた記憶はありません。もちろん同時多発テロの前であったことを割り引いても、あくまでも利用者の善意が前提にあったことだろうと思います。ひるがえって日本ですが、これもこれまでこういった事件が起きなかったのは、利用者がマナーを守り気持ちよく乗れるように協力してきたからでもあります。いわば性善説でした。
ところがこんな事件が起きて、すぐにも手荷物検査をやれ、という声が勇ましくなってくると、今度は利便性が犠牲になりかねません。一日42万人という利用者がいる現在、それは非現実的でしょう。
次にあげた箱根山の噴火とともに感じるのは、わたしたちの世界は生活は、実はコインの裏表のようなもので、いかに微妙なバランスの上にあるのだということです。とりわけ火山や活断層とともに生きている日本という国に住んでいること。大量輸送は便利の一方で、事故にもろいということを感じさせます。

箱根山は富士山から25kmの距離にあるのだそうです。離れているように見えますが、専門家によれば地下のマントルなどでつながっているというのです。有史以前の箱根山は、いまの富士山以上の高さだったと言われています。そのため両者を「兄弟山」のようなものという学者もいるそうです。
箱根山が噴火したら富士山にも何らかの影響が出るかもしれないし、その逆もありえます。
となると、東京も被害が及ぶかもしれません。

わたしたちの生活、いまという時間はあたりまえのようでいてあたりまえではないのだと強く気づかされました。
だからこそ生きているひとときを大事にしていかなくては。そばにいてくれる家族を大事にしなくては。生死もまたコインの裏表、と似たものなのでしょう。
とすれば、家族を守るのはわたししかいません。

このたびの事件で犠牲になった方、けがをされた方々の上に、主の慰めといやしが豊かにありますように。ご遺族ご家族に慰めがありますように。

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