いまの社会は音声言語、声が前提になっている2015/04/25 21:50:23

公職選挙法。
公職(国会議員、地方公共団体の議会の議員・首長)に関する定数と選挙方法に関して規定する日本の法律。
だが、いろいろ制約が多く、「べからず法」などとやゆされることもある。
たとえば、告示後は名前入りのビラを有権者に配れないこともそのひとつ。
ビラ解禁は1975年。2007年には首長選まで、ビラ解禁になったが、地方議員選はまだ解禁されていない。面と向かって渡せるのがいいのだろうが、地方議員選挙でビラ配りが禁止されている理由は、はっきりしないらしい。

ところが、ここで問題がひとつ。
有権者を前に、立候補者が政策や自分の思いを訴えるにあたって、音声言語、ひらたくいってしまうと声でしかできないことになってしまう。
その影響は、たとえば障がい者が議員になりたいと立候補した場合にもあらわれる。
2009年の都議選で、ある障がい者が立候補した。彼は脳性まひのため音声言語と手足が不自由。そのため、自分が発した言葉を支援者に復唱してもらう。その繰り返しが、障がいのない人と同じ時間で伝えられる内容が、障がいのない人に比べて半分以下ということになる。そしてビラを配れないということはそのまま、政策や思いを伝えたい彼にとっての不利益になる。

彼は脳性まひだったが、もしわたしたちと同じ聴覚障がい者が立候補したらどうなるだろう。
おそらく演説をするとなると音声でしかゆるされないだろう。手話通訳者が手話で通訳をする方法は可能だろうが、本人による手話は認められない可能性が高い。となると、有権者との対話は、筆談ボードしかないだろう。
聴こえない人にとっては手話も大事な言語なのに、手話が認められず、手話で訴えることができない、音声言語でしか訴えられないとしたら、それはそのまま、聴こえない人の不利益になる。立候補者、有権者ともに聴こえない人にとっては大きな不利益だ。

こうしてみられるように、公職選挙法ひとつをとってみても、いまの社会は音声言語、声中心、ひいては声が出せて話せる、音声の障がいのない人を前提につくられているということが言える。

手話を言語とする、という趣旨内容の手話言語法が全国各地の自治体でひろがっているが、肝心の国レベルではまだまだだ。
とても矛盾の多い世の中である。