踏まれてもたくましい芽を出す麦のように。2015/04/02 23:23:41

昨日、同性愛カップル条例について書いたのち、あらためて感じる。
どういうことかというと、ガチガチに人を束縛するような、伝統的な考えを押しつけるだけでは息苦しさと生きづらさが増すばかりだ。コンクリートのような硬さばかりでは、想定外や予想もしていなかったアクシデント出来事が起きたときに耐え切れなくなって折れてしまう。
多様な人がいて多様な生き方がある。多様さを受け入れることは柔軟さだとも言える。
わたしは新約聖書の一粒の麦たとえが好きなのだが、考えてみれば麦は踏まれても踏まれてもまっすぐに伸びようとする。『はだしのゲン』でもこんな言葉があったように記憶している。

          おまえも 麦のようになれ
          踏まれても踏まれても
          たくましい芽を出す麦になれ

ガチガチに硬くなるのではなく、踏まれてもたくましい芽を出す麦のように。

今晩はギター、『心の瞳』。
イントロから歌はじめの部分に入った。同じフレーズが続くからあわてないようにしっかり弾きたい。
このペースなら来月か再来月ごろには終わるかもしれない。
あきらめずに踏まれてもたくましい芽で演奏ができるように。きっとそうなれると信じている。