「やってみなはれ」2015/03/25 23:39:13

千代田区の手話サークル『千代田一麦会』。
先月「来月後半に手話指導をお願いできる?」ときかれて、てっきり初級だろうと思っていたら「中級だよ」という。一瞬かたまったけど、今日、はじめての中級指導を終えた。

何人かは会ったり話したりしている人がいるけど、ほとんどは初対面。知らない人から教わるのも緊張するしこちらもやはり緊張する。まずはじめに自己紹介をする。参加者のお名前を確認して、<いっぱい><入る>の表現。音声言語では「入る」「いっぱい」としか表現できないが、手話では同じ「入る」「いっぱい」でも物なのか状態なのかで違ってくる。その多様な表現を学ぼう。おふろに入る=湯船につかるさま。一億円が入る=袋に入ったたくさんのお金をもらう。たくさんのお金が入った袋をもらうイメージ。おなかがいっぱいで食べられない=満腹でおなかがふくらむ。ディズニーランドは人でいっぱい=混雑している、というように。それも顔に表情を込めて表すとより生き生きとした手話表現になる。

次に会話。
具合がよくないという母と心配する娘の会話。
位置関係を考えて、娘と母だけではなく、母が通院している病院、医師、看護師がどこにいるのか。手話は視覚言語である。単に病院や医師をあらわしても自分との関係がないと読み取れない。立体的な感覚でつかむといい。会話なら、これも顔の表情を込めるとより生き生きしたものになる。

「やってみなはれ」がわたしの信条である。
座学で講師からいくら単語を教わってみても、テキストやDVDを見ても、実際に手を動かしていかないと身につかない。間違えてもいい、失敗してもいい。まずやってみよう。そうしてうまくなっていく。

ずいぶんとエラそうなことを書いてきたけど、10年ほどまえの中途難聴者手話講習会受講生当時は、とても手を動かすなんてレベルじゃなく、腕組みをしてうんうんとみているだけだった。
それがどうだ。手話ソングだの手話つき朗読だの手話落語だのといろいろやっているのだから。人間、人生も先もわからないものだ。
ともあれ、初めて人に教えてみて難しさと楽しさ両方を感じた。
わたしも生涯ずっと手話とかかわり、舞台で演じたり歌ったり学び続けたりしていきたい。
クラスで教えたことで、以前にもまして手話を覚えよう手話で表現しようという思いが深まり強くなった。朗読や落語、虹の手に生かしていきたい。
きっと今晩の教室は大きななにかをもたらしてくれると信じている。