志も何もない 想像力の欠如2014/10/09 23:46:33

世界を震撼させている、イスラム国という国際テロ集団。一応国家という名を使ってはいるが、まったく無実の外国人ジャーナリストを処刑するなど、暴力は目に余る。彼らはイスラム教を信じて、欧米人と見たら殺せと主張している。
そのイスラム国には欧米やアジアアフリカからも、イスラム教の過激思想に染まった人たちが入り込みテロ訓練を受けている。いずれ彼らは母国に帰ってテロを起こすのではないか、と危惧不安が生まれている。

そのイスラム国に、日本の若者が参加しようとしていたというニュースは驚かされた。
これまで伝えられている報道を整理すると、北海道の大学に通っている大学院生だが、東京にある古書店で「勤務地 シリア」などと書かれた張り紙を見て、イスラム国にルートがあるという元大学教授を通じてシリアへ密入国、イスラム国に加わろうとしていたほか、火薬や武器に関する書物を持っている、イスラム教に関する書籍を持っていたという報道もある。

この大学院生に同行取材しようとしていたジャーナリストは彼の印象について「イスラム教に詳しいわけでも思想があるわけでもなく、ただの軍事オタク」と言っていた。
当の本人は就職活動がうまくいかない、日本の状況に嫌気がさしていた、人を殺してみたい、などと言っているという。

またぞろ出てきた、「人を殺してみたい」という発言。
ひとのいのちを奪う殺めるということのリアリズムが感じられない。人を殺すということがどれほど恐ろしいことなのかわかっていない。単に日本では実感できない、体験できない厳しい世界をのぞいてみたいというだけの軽い甘い欲求で、自分のやろうとしていること考えていることがどれほど恐ろしいことか、周囲に迷惑を与えることかわかっていないのだろう。

現実をみてみると日本は、テロの脅威にはさらされていないし、宗教による抑圧も暴力もない。平和に見える。
そのことが、連日大きく報道されている中東やイスラムの世界とひきくらべて、日本にはない、ある種の刺激を感じて、行ってみたい見てみたいと思ったのだろう。そこに行けば、もっと違ったなにかがあるのではないか、と。ジャーナリストが取材したいというのとはちょっと違う。

どう考えてもわたしはイスラム国に賛成も理解もできない。わたしがキリスト教だから、宗教の違いが理由ではない。イスラム教は本来、テロや人を殺したり抑圧したりする宗教ではない。キリスト教にしても仏教にしてもそうだ。でなかったら、なぜ2000年も続いているのだろう。

いまの日本の若者、とひとくくりにしてしまうのもどうかと思うが、確かにネット世界でいろいろ情報を得たり見たりできる反面、じっくり考えてみるとか、どういうことなのかとか、深いところまで見る深慮に欠けているのではないか。想像してみることが少ないのではないか。

彼を非難するのはたやすいのだけど、やっぱり印象としては底が浅い、現実感のなさと自己中心さしか感じられない。
若いうちはまあ未熟な部分ゆえに背伸びしたいというものだ。わたしだって若いころはそうだった。
だがそれともちょっと違う、なんというのだろう。想像力の乏しさ幼さを感じさせられる、今回の事件だ。