ささやかであっても世に役立ちたいと思う。2014/06/11 23:38:18

仕事の後、手話サークルへ足をのばしてきた。
いつものコミュニケーションクラスではなく、今日は初めての人が来たとかで、初級レベルを教えてほしいと言われた。サークルで人に教えるのはこれが3回目くらいかな。

人に教えるというより、自分のレベルを上げたいというのが本当の気持ちだけれど、初級レベルであってもそういうかたちで「なにかやってほしい」と言われるのはうれしい。どんなかたちであれ貢献しているという思いがさらにわたしの歩みを前向きにさせてくれる。

日曜日に話が出た、手話ソングとボランティアの件。
お招きした方が勤務している施設から「いらしてください」というご返事があり、手話のご指導については知り合いの手話通訳士らに相談をしているところだ。

練習やどの曲をやるかなどは来月からの正式なスタートをへてからのことになるだろう。
妻がいうのだが、せっかくこうしてつながりができて覚えたものを生かしたいという動きがうまれたのだから、まず年末のボランティアが実現できるようにしたいものだ。わたしもギターのレベルをもっと上げて、みなさんにお聞かせできるようになりたい。
いくつになっても、世の中に貢献したい、ささやかであっても世に役立ちたいと思う。

妻や日曜日に来てくださったみなさんも同じ思いだろう。

一歩ひいてゆっくり2014/06/12 23:46:40

雨が降るかなと思ったのだけれど幸い、一滴も降ることがなく、夜にいつもと同じくギターレッスンに行ってきた。

『思えば遠くへ来たもんだ』を妻のボーカル、講師先生のベースとギター、わたしのアコースティックギターで練習。写真にあるようにプリアンプをつけてミキサーにつないではっきり聞こえ、前回よりもさらにいい感じで練習できた。

練習の合間に、新しい曲や納涼会でやりたい曲など、いくつか先生にお話ししてみた。『知床旅情』など、ご年配の方でも知っている曲をまず覚えたい。さきは長いのだからあせらずに。

ミキサーを使って、補聴器だけよりははっきり聞こえるのはいいことだが、聴こえるためについテンポを速くしてしまったりわたしだけが独走することのないように。みんなは聴者だからなおのことわたしが勝手に走り出したら、リズムも何もあったものじゃない。

一歩ひいてゆっくり。
ともあれ、2月からの練習がこういうかたちになってきたことをうれしく思う。

サッカーとアメリカンフットボールの交流2014/06/13 23:36:24

日本時間で今日から、ワールドカップサッカーブラジル大会が始まった。開幕戦のブラジル-クロアチア戦。ワールドカップ反対デモや暴動が伝えられるなかでの試合だったが、やっぱりサッカー王国だけあって盛り上がるだろうなあ。

一方でわたしのお気に入りスポーツ、こちらもFootball、アメリカンフットボールも9月からの公式戦を前に、NFL各チームはそれぞれ練習に入っている。来月からはいよいよサマーキャンプ、選手のふるい落としが待っている。

時差を考えれば、出場各国代表チームはブラジル入りする前に練習試合や調整をアメリカで行うのがほとんど。
強豪国の一つ、ポルトガルも例外ではなく、ワールドカップ前にNFLニューヨーク・ジェッツの練習場を借りて練習を行った。
そのいっぽうでふだん接点がないサッカーとアメリカンフットボールの交流を兼ねて、ボールの投げ方を教わったり、フィールドゴールのまねごと、フットボールをけってみたりと、ポルトガル代表チームは短い時間ながら貴重な経験をしたようだ。
http://www.nfljapan.com/streaming/20140611-5036.html

案の定、というか、フットボールを投げるのは世界的サッカー選手でも四苦八苦したようで、グリップ、握り方から投げ方から、しろうとそのものの選手もいた。ボールを頭の後ろから投げるのではなく頭の横、それもかなり開けて投げていた。あの投げ方だと、ディフェンス選手のラッシュを食った時にファンブルする可能性が高いだろう。ロナウドがボールを投げたシーンもあるけれど、投げた腕がまっすぐ前を向いていないなど、こちらもやっぱりしろうと同然。 
フィールドゴールをまねたキック。サッカーとフットボールではけり方が違う。縦に回転をかけるのではなく、ボールを斜めにけるのが正しいようだが、サッカーとは違うけり方に慣れていないようだ。ボールホールダーも、腰を曲げずひざを落とさず、腰高になっていておっかなびっくりという感じ。
それでも簡単ながらパスキャッチはできたようで、ひょっとしたらポルトガルもアメリカンフットボールをやったらおもしろいかもしれない。

わたしはやっぱりサッカーはあまり興味がわかない。まあ代表クラスの試合なら観たいなと思う程度だ。そのへんは悪いけどサッカーブームに乗っかるつもりもない。

7月までのサッカーの熱狂が終わったら、いよいよFootballのシーズンが目前だ。

ミキサーが届いた2014/06/14 23:02:38

注文していた、音楽用ミキサー・ベリンガーXENYX502と、アコースティック用ギタープリアンプが届いた。
やっとこれで自宅でもギターレッスン時と同じように練習できる。ミキサーにヘッドホンではなく磁気ループをつなげば、誘導コイルがついている補聴器を通して音楽を聴くことができる。ミキサーは5台の楽器をつなげられるので、わたしだけではなく妻のアコースティックギターの音も聞こえるだろう。

武器というには大げさだけどろう者でも楽器ができるための力になってくれるだろう。
楽しみだね。

カレーと手話つき朗読と2014/06/15 21:53:45

昨日夜、今日自宅に来られる手話通訳士先生と一緒に食しようと、カレーライスをつくった。例によってインド風と和風のミックスだ。

妻には少し手伝ってもらっただけ。昨日帰ってきた妻にみてもらったら「星3つ」。まあ悪くないね。

その手話通訳士先生をお招きして、7月からの朗読のレッスンの仲間たちとの会を前に三浦綾子さんの『氷点』にとりかかった。
2時間足らずで手話表現はできたけれども、しかしこれで完成、ではない。
まだまだ先は長いのだからゆっくりじっくり取り組むこと。

人生と時間をいとおしむ2014/06/16 22:52:49

わたしたち夫婦は結婚してまだ2年もたっていない。そのあいだ、いろいろあったけれど、どうにかこうにかこれまでやってこれたのは、お互いを認め合ってきたからだ。お互いにかけがえのない存在だと思っているから、聴こえる妻とろう者の夫、お互いなしにはこれからの人生を生きることはできないと思っているからだ。

だのに、昨今の世相をみると、どうにもこうにもやりきれない出来事があまりにも多い。
5歳の子どもを餓死させた父親。女子高校生に手をかけた中年男性(わたしたちとそんなに変わりない年齢だ)。そして今日は子どもと母親が無理心中というニュースも入ってきた。あまりにもいのちが軽くみられている。
妻もわたしも、とてもやりきれなく苦しい思いを味わった今日一日だった。

夜はアメリカ手話教室。
いつものようにテキストをひらいて、いろんな単語を学び、テキストにあった会話文を、役割を変えて表現したり。
日本の手話では「Dog」は両手平を頭の上に置いて、犬の耳の形で表すが、アメリカ手話では中指と親指をこすり合わせる。指を鳴らして呼ぶところからきている。「Cat」は人さし指と親指をほおにあててつまむ。ひげの形をあらわしているらしい。

こういうように手話を学ぶことができるのは、幸せなことだ。生きているからこそ得られる喜びでもある。
生は一度しかない。だからこそ、いまある生の時間を精いっぱい生きたいと思わずにはいられない。
適齢期を超えて結婚したわたしたちだからこそ、結婚と人生というものがとてもいとおしく感じられてならないのだ。

メモ帳はもういらない?2014/06/17 23:06:38

「NUboard(ヌーボード)」
聴こえない人、わたしだけかもしれないけれど、やたらたくさん持っているのが、メモ帳。
結婚して妻にあきれられたのが「たくさんあるんだから、新しいのは買わなくていいよ」というきついひとことだった。

そんなおり、都内の東急ハンズでみつけたのが、新書版サイズのノートタイプホワイトボード。商品名は「NUboard(ヌーボード)」。これならメモ帳はもういらない……かも?

普通のホワイトボード同様に書いたり消したりできるとともに、ボードの保護用の透明なPETシートを5枚添付している。写真でもわたしが書いた文字の下に妻が絵を描いてくれた。筆談の時に脱字誤字があったときに上から訂正を兼ねて書くことができる。資料をはさむこともできるし、たとえば保存できない時にスマホに撮影しておいて、あとでスマホからプリントアウトする、といった方法もあるだろう。

しかし。
妻からたぶんつっこまれるんだろうなあ。
忘れたときに「また新しいホワイトボードを買ってきて!!」と。

いまの日本の政治家はどれだけ思いをいたしているだろう。2014/06/18 22:39:41

現実と映画やゲームを混同するほど、わたしはバーチャル世界に没入したり実感のない生活を送ったりしているものではない。だがイラクやシリアなどで平気で人が死んでいくというニュースを聞くと、ふと思ってしまう。
彼らテロリストや銃を手にした人間は、ひとのいのちを奪う殺めるということに、なんらためらいもなく引き金を引いているのだろうか、と。

わたしは安倍内閣が進めている集団的自衛権も憲法改正も、はっきりと反対している。
亡くなった祖父もわたしのおじも、ともに旧軍経験者だったが、幸いか、戦場に送られた経験がなかったそうだ。
戦争というのは、ゲームや映画で見るのとはまったく違うということだけはわたしでもわかる。殺されるか殺すか、という極限状態だ。そのなかで生き残るというのは生半可なことではない。

政治家や司令官、トップレベルの人間は実際に戦場に立つことはない。命令を下す、それが遂行されているという報告を受ければいいのだから。だが自ら血を流すことは絶対にないし、流そうとも思わないだろう。
逆に最前線に立たされた者だけが、言語に絶する苦悩と向き合い、傷ついていく。

要するに戦争というのは人間が人間でなくなっていくものだ。
その重みに向き合わなくてはならないことに、いまの日本の政治家はどれだけ思いをいたしているだろう。日本を取り戻す、などと情緒的観念的なことだけでは、後世に大きな禍根を残すことだけはまちがいない。

怒りがわいてきた2014/06/19 23:08:17

女性都議に「産めないのか」 自民?議員席からヤジ
http://digital.asahi.com/articles/ASG6L74N8G6LUTIL03T.html

女性都議へヤジ、抗議1千件 自民、発言者特定せぬ意向
http://digital.asahi.com/articles/ASG6M5HK9G6MUTIL031.html?_requesturl=articles%2FASG6M5HK9G6MUTIL031.htmlamp

けさの朝刊でこの記事を知ったとき、一瞬わが目を疑った。そして冗談でも言っていいことと悪いこと、口にすべきではないことがあるはずなのに、分かっていないという怒りがわいてきた。

出産も結婚も、プライベートであり、産む産まないは個人が決めることである。わたしの周りでも結婚したけれどいろいろな事情で出産をあきらめたとか子どもをもたないと決めたカップルもいる。
公の場で、しかも女性に対してやじを飛ばす。議場に笑いが起こった、という。記事では都知事も笑ったそうだ。品性というか人間性を疑うとしか言いようがない。

わたしの耳に置き換えてみよう。
中学時代、合唱の時間が苦痛だった。音程が合わないと、わたしの口元に耳を近づけてきたやつがいたし、「おまえは音程が悪いから口パクでいろ」とも言われた。
それと同じような屈辱を、この女性議員は味わったに違いない。男性であるわたしだが、妻がいる。もし妻が同じようなことを言われたら、怒りがわきおこるだろう。
自民党はどうやらうやむやにして幕引きを図りたいらしいが、ゆるされることではない。冗談でもうやむやにするなと言いたい。
仮にも議員であり、選挙で市民からの負託を受けたのだから責任は大きい。
公の場でこういうことを言ったとしたら、論外である。
うやむやになどせず、しっかり責任を明確にするのが、当然だ。

この問題の今後をわたしもしっかり見つめていきたい。

とてもいいミキサー ベリンガー社・XENYX502。2014/06/20 22:28:23

先日購入した、アコースティックギターをつなげられるミキサー、ベリンガー社のXENYX502。
さっそく使ってみようと先日コードをつないだのだけど、ウンともスンとも音がしない。
おかしいなあと思いつつ、ギター講師に接続と使い方を教わった。

音がしなかったのは、ミキサーとアコースティック用ギタープリアンプをつなぐ延長コードがステレオタイプのジャックだったから。モノラルジャックならよかったのに。もったいない買い物をしたけれど、コードはまだ使い道があるからいずれどこかで役に立つだろう。

自宅に戻って使ってみたら、ミキサーの隣に写っている、白いタイループと組み合わせて、補聴器でよく聴こえた。
使い勝手はとてもいいね。
いずれマイクを買い求めて接続してみたいなと思う。