どちらかだけと決めつけずに2014/04/26 20:27:59

手話を身につけたことでわたしの生活はずっと楽しくなった。
妻と日本手話やアメリカ手話(妻はまだうまくはないけれど)での会話が楽しい。それは話し言葉や音声を否定するのではなく、手話と話し言葉や音声会話の両方で会話ができるから、広がりのある会話ができる。

そういう意味で、この記事から、赤外線補聴システムだけがすべてであると受け取られかねない、手話を否定してしまいかねない方向になる懸念を感じたのだ。
いまは分かりやすいものが受け入れられやすい。どうしても分かりにくいものは拒否されやすい。
そうではなく、分かりにくいものをどうやって伝えていくか。

正直本音を言うと、こういった記事を書くのが聴者、聴こえる人ばかり。佐村河内の例を見るまでもなく聴覚障がいは分かりにくいから難しいのは無理もないけれど、書き手の中に聴こえない人がいたら、より広く伝えられるのになと、手話通訳士先生と何度も議論したことを覚えている。

わたしも聴こえないけれどきれいに話せる。そのためにわたしが聴こえないことが伝わらないジレンマを抱えているが、手話と出会ってから、自分に自信が持てるようになった。
音声言語を獲得するしないにかかわらず、子どもたちが将来自信をもって生きていくには、周囲の理解とサポートが絶対に必要だ。
手話、音声言語、どちらかだけと決めつけずに。