わたしにとってのタモリさんといえば ― 2014/04/02 23:00:13
あまり知られていないようだけれど、タモリさんというとわたしはバラエティー番組や音楽番組の司会者というより、BCLや海外ラジオ無線に詳しい、という印象が強い。
まだ耳が聴こえていたころ、そう、小学校4年生から中学校のころ、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)で「BCLワールドタムタム」という番組があった。同じラジオたんぱで放送されていた「子門と照子のQSOジョッキー」というアマチュア無線家向け番組とともにわたしにとっては、海外無線や海外ラジオを知る機会となっていた。いまはもう年に一度行くか行かないかになってしまった秋葉原だけれど、小学校のころに訪れた秋葉原は、AKB48やアニメでもヲタクでもなくましてパソコンでもなく、アマチュア無線やBCLラジオという、世界を知るという大人の仲間入りへの入り口だった。父に連れられて、「角田無線X-1」というラジオショップで、ナショナル(現パナソニック)の9万円もするBCLラジオを前に、ほしいなあとせがんだことも今では懐かしい。
タモリさんに話を戻す。
ほとんど番組内容は忘れてしまったのだけれど、彼は番組の中で海外短波ラジオ局の放送開始シグナルや放送局名、国名などを紹介しながら海外短波ラジオの魅力を語ってくれたものだ。
世代やファンにとっては思い入れも思い出もさまざまだろうけれど、わたしにとってはタモリさんというと、どうしてもBCLブームと切り離すことはできない。
ともあれ、30年以上、たいへんおつかれさまでした。
まだ耳が聴こえていたころ、そう、小学校4年生から中学校のころ、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)で「BCLワールドタムタム」という番組があった。同じラジオたんぱで放送されていた「子門と照子のQSOジョッキー」というアマチュア無線家向け番組とともにわたしにとっては、海外無線や海外ラジオを知る機会となっていた。いまはもう年に一度行くか行かないかになってしまった秋葉原だけれど、小学校のころに訪れた秋葉原は、AKB48やアニメでもヲタクでもなくましてパソコンでもなく、アマチュア無線やBCLラジオという、世界を知るという大人の仲間入りへの入り口だった。父に連れられて、「角田無線X-1」というラジオショップで、ナショナル(現パナソニック)の9万円もするBCLラジオを前に、ほしいなあとせがんだことも今では懐かしい。
タモリさんに話を戻す。
ほとんど番組内容は忘れてしまったのだけれど、彼は番組の中で海外短波ラジオ局の放送開始シグナルや放送局名、国名などを紹介しながら海外短波ラジオの魅力を語ってくれたものだ。
世代やファンにとっては思い入れも思い出もさまざまだろうけれど、わたしにとってはタモリさんというと、どうしてもBCLブームと切り離すことはできない。
ともあれ、30年以上、たいへんおつかれさまでした。
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