厳しくするのはかえって差別や偏見につながる2014/02/22 23:41:48

昔、父が持っていた「サンスイ」という日本メーカーのオーディオステレオセット(古い言葉だなあ)で『スターウォーズ』や『スーパーマン』などのオリジナルサウンドトラックをよく聴いたものだ。といってもそのころはまだ補聴器がなくてもなんとか聴こえていたが離れてソファに座ってはやっぱり聴こえず、実際はスピーカーに耳を近づけて聴いていた。
いまは、というと補聴器なしでは全然、まったく聴こえない。つけても全く分からない聴こえないときのほうが多い。さきの『スターウォーズ』や『スーパーマン』といった、耳に残っている音楽ならわかるしついていけるけれど、新しい歌も音楽も、補聴器があってもまず、だめだ。

なんでこんな昔話を書いたかというと、例の「現代のベートーベン」佐村河内氏の問題が発覚してから、聴覚障害の検査をもっと厳格に厳しくしなくてはならないという発言を厚生労働大臣が口にするなどの報道が出てきたからだ。

わたしの体験からいうと、ヘッドホンを耳につけていくら聴覚検査をやっても、耳鳴りが検査と同時に起きて(自分で起こしているわけではない、耳鳴りが自分の意志や心理とは関係なしに起きるからやっかいなのだ)ヘッドホンに伝わってくる音と耳鳴りが混在して音が判別できなくなることもある。それだけ、聴覚障がいというのは判定が難しい。もちろんデータ上の数字をもとに計算式があって、わたしはもうほとんど補聴器なしでは聴こえないレベルだとわかっている。

あるレベルに達しない聴こえない人を手帳の対象外とする、現在の障がい者認定制度も問題だと思う。

こういう事件が起きて、聴覚障がい者に対する視線の厳しさを感じることもある。
差別したり厳しくしたりするのではなく、わたしたちの置かれている問題や状況に理解と関心を寄せてほしいと思う。厳しくするのはかえって差別や偏見につながると、わたしは反対であり声を大にして言いたい。