聴く力2013/10/11 19:43:11

1 子どもが何か話そうとしたときは、まずしっかり顔を見る

2 話の合間に「ああそうなの」「なるほどなるほど」などうなずきながら聞く

3 ときどき「それでそれで」「そのあとどうなったの?」などと問いかける

これはわたしが卒業した小学校の校長が最近書いた文章からの引用の一部である。

まず、1は相手に関心を向けていることを示している。誰でも覚えがあるだろう。人が話をしているのにわきを向いていたり上の空のような顔をしていたら怒ったことはないだろうか。2は相手の話を理解していることを伝えるということでもある。自分なりに咀嚼しかみくだいているということだ。ただし「うんうん」などワンパターンのうなずきではうそ臭く思われてしまう。変化球というか、言い方を変えてみることで話が弾み、話すほうも「もっと話そう」という気持ちになる。3は2の延長でもあり、相手から結論を導き出すことにもなる。相手が話に詰まったとき、うまく結論や筋道を引き出せないとき、ちょっとしたクッションを出す。結論や筋道を引き出すきっかけになるかもしれない。

手話でもそうだ。
妻に教えた単語のひとつが「なるほど」だ。あごに親指をあてて親指を軸に人差し指を回すように動かす。だがこれだけでは話が弾まない。
いろいろ変えてみて話がすすんでいく。

しかし大事なのはテクニックではない。1にあるようにしっかり相手の顔を見ること。あなたに関心がありますよ、ということを伝える。これがないといくら言葉数多くしても、コミュニケーションにならない。

無関心こそは愛の反対である2013/10/12 21:32:21

東日本大震災から、2年と6カ月が過ぎた。
連休をどう過ごそうか、妻と夏からいろいろ相談を重ねて、またちょっとした意見の食い違いもあったが、いま宮城県仙台市に来ている。日本基督教団東北教区センター<エマオ>が取り組んでいる、被災者支援ボランティアのためだ。

けさ6時に起きて昨日購入したおにぎりやサンドイッチをおなかに収めてすぐ、仙台市錦町にあるエマオに移動。簡単なボランティア活動の説明を受けて車で移動した。はじめに訪れたのは、若林区荒浜地区。あの日9メートルの巨大な津波が押し寄せ、186人のいのちが失われた。
農林水産省の農地復興事業のため大型トラックが行き交うほかは、草と荒浜地区に建つ小学校の校舎だけ。荒浜地区の海水浴場はいまも遊泳禁止になっているという。

車でエマオの倉庫があるビニールハウスへ向かい、自転車でボランティア活動の目的地、Sさん宅に到着。Sさんは81歳のご高齢だが両耳に補聴器をつけているほかは、まったく壮健そのものに感じられる。
 
午前中のボランティア内容は畑に種をまき、ミニビニールハウスをかぶせる作業。昼食の後、土を掘り起こして縦2㍍、深さ50㌢、横5㍍に土を馴らす作業だった。
雨が降り出して作業を終え、自転車から車を乗り継いで錦町に戻り、ほかの作業をしていたボランティアワーカーやエマオのスタッフらと、交流と反省の会を計2時間、夕食を1時間ほどもった。

いろんな話が出た。
宮城県の地名には「白石」「伊達」というように北海道の地名と同じものがある。つまり北海道と宮城のつながりはそれだけ深いものがある。
ボランティアは、支援してやろうという上から目線でやっているのではない。あわれみの気持ちで来ているのでもない。ボランティア活動を通して、自分の生きる意味や、想像もつかない巨大震災にどう向き合うか、被災者とともに生きるとは、といったことを考えさせられ、さらにはそれまで出会ったこともないワーカーと深いかかわりをつくるなど、大きな成長を遂げていく。

話を荒浜地区に戻す。
大きな仏像とともに、犠牲になった186名の氏名と享年が記された慰霊碑があった。
そのなかには男女さまざま。90歳の人もいれば、わたしと同世代、40歳という人、4歳という人もいた。
生きていれば、いろんな夢があっただろう。結婚もしたかっただろうし勉強もしたかっただろう。生きていたらいろんな体験ができ、希望も喜びも楽しみもあったはずだ。
しかしあの日、一瞬にして生を断ち切られてしまった。

わたしたちができること。
被災者のために、そばにいること、と軽々しくは言えない。
けれどこれだけは言えるかもしれない。
生きたくても生きられない人がいた。その人たちに恥ずかしくない人生を生きようとする義務が、わたしたちにはある。いのちを断ち切られた人たちのぶんも、いまからでも遅くない、精いっぱい日々できることをやり遂げよう。

もうひとつ。
Sさんとの会話で、津波で墓が流された。骨が入ったつぼは残ったけれど、墓がないからご先祖様に申し訳ない、と言っている、と。
わたしたちは一人のいのちが失われると目を向けるが、多くの人となるとなかなか想像力を働かせにくい。
そして墓がないという人々の悲しみや、震災を思わせるものがなくなるとサァーッと興味も関心ももたなくなり目を向けようとはしない。
それではいくらお金をかけようがハコモノを建てようが、復興にはほど遠い。
ネットやテレビであの日の出来事を知ることはできる。だがそこに生きていた人、生きている人の声はわたしたちには届かない。
ひとりでも多くの人が、いまからでも被災者のもとに来て話を聞いたりじかにこの目でみてほしい。

無関心こそは愛の反対である。

とても心に刻まれた説教2013/10/13 22:32:33

仙台2日目。
今日は朝礼拝を日本基督教団北三番丁教会でまもった。説教をしてくださったのは、エマオ主事の山元克之牧師。

イザヤ書5章1~7節、マルコによる福音書12章1~12節をテキストに「人生の主人」と題して語ってくださった。

人生の主人とはだれか。そのことを知らなかったり、間違ったりしている人がとても多い、というイントロダクションで話をはじめられた。

先生はこう語ってくださった。
「わたしたちのまわりには、たくさんの神さまの恵みがあふれています。助けがあります。それをわたしたちは恵みと思わず、助けと思わず過ごしていることがないだろうか」「自分が自分の主人になろうとすることがすべての問題の根本です」

半日がたったいまも、とてもこころに強く刻まれている。まさに聖霊に満たされているというか、力ある説教だ。
自分が自分が、という思い。いま生きていること、生かされていることをあたりまえと思ってしまうごう慢さ。
そうではなく、神さまがわたしたちの人生の主人公であり、わたしたちは神さまがつくられたこの地球という星の農夫だ。
だからこそ、自分の思い通りになるのではなく他者のために生きるようでありたい、と思う。

遠く離れているけれど2013/10/14 15:27:55

いま新幹線車中からこれを書いている。まもなく宇都宮着らしい。

最終日はあまり時間がないなか、仙台市内を少し歩き、広瀬川をみてきた。美しい山々、緑に囲まれた公園のそばを流れる広瀬川。外国人らを含むいくつかのグループが川べりや公園でキャンプをしていた。バーベキューのにおいと煙がする。

妻との小旅行は実り豊かな内容だった。2年前に訪れたときは時間がなかったが、ふたりでボランティア活動、教会の礼拝などに参加して人々と交わり、わずかではあるけれど、いまの仙台のありのままをみてきた。

まだまだ復興には遠い。いやこれからがたいへんなときだろう。
北海道出身のわたしもそうだが、東北の人たちも、がまん強く、泣き言を言わない。それは美しい半面、耐えられる限度を超えるまではがまんするということでもある。

がまん強さとともに、踏まれても屈しない麦のようなしなやかさももって。

あらためて震災で犠牲になった方々のために、被災して仮設住宅住まいや、たいへんな苦労の中にいる人々のために祈りをささげたい。

わたしたちは遠く離れていても、常に東北の人たちとともにいます。

食を支える基本中の基本2013/10/15 23:14:04

朝方はまったく雨が降る感じさえしなかったのが、仕事を終えて用事のため銀座に向かった18時15分ごろ、急に雨脚がひどくなってきた。明日の始発の直前まで、在来線や私鉄などは運行を取りやめるか運休するか決めるだろう。旅客機は四国、中国、沖縄、九州を除き国内線で欠航が相次ぐようだし、国際線も午前中に羽田や成田を出発する便に遅延や欠航の予定だ。
この10年~20年で最大だといわれる台風26号は明日朝、関東に接近するという。

仙台でのボランティア体験は、都会ではまずできない貴重な経験だった。
わたしの実家ではもともと、ササニシキを食していた。結婚する前から自炊の時にはできるかぎりササニシキを使っていた。冷害に弱いなどいろいろあって、スーパーでもなかなか見ることができない。
エマオで、おいしくて体に優しい安心なお米を皆さんに食べてほしい、というねらいで、地元の農家が生産しているお米の販売ちらしと、試食用にお米3合(300円)を買ってきた。

生産者のお名前は笠松洋市さん、農家歴40年だ。
品種は「ひとめぼれ」。
肝心のお値段は、5㌔で1800円、10㌔3500円、20㌔6800円、30㌔9500円。東京ではまずこんな価格では買えないだろう。ほかにも白菜、大根、キャベツ、トマト、小松菜、じゃがいもなどを生産しているという。
仙台朝市の「ReRoots農林ボランティアハウス」(仙台市若林区荒浜今泉59-3)で毎週土曜日9~16時に出店しているそうだ。

食はわたしたちの生活を支えてくれる基本中の基本だ。
それをつくってくれる農家や生産者の思いを忘れないように。

ホームページは
http://kasamatsu.konjiki.jp/

たいへんな朝2013/10/16 23:04:04

この10年で最大ともいわれた台風26号。
まったくとんでもない一日だった。

朝6時30分過ぎに目が覚めたときはすでに、窓ガラスは曇っていた。早めに食事を済ませて駅へ向かったのだが、ホームは乗客であふれかえり、いまにもホームから落ちそうなほど。一本電車をやり過ごしてようやく乗れたはいいが、妻はともかくわたしは、いつも降りる駅では身動きがとれずに降りそこない、しかたなく次の駅で下車して、徒歩で会社に着いた。それでも30分の遅刻はまだいいほうで、2時間遅れてきた人もいたのだから、まさにたいへんな朝だった。

夕方から天気は徐々に回復したようだけど、わたしの故郷北海道はこれからがたいへんな天気らしい。

明日は気温が下がるという。

すてきなメッセージ2013/10/17 22:24:27

わたしが幼稚園から小学校に上がるころ、フジテレビ放送の『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組があった。 『帰ってきたウルトラマン』の主題歌シングルレコードなどとともに、この番組の曲を収録したアルバムを買ったのを覚えている。いまでも覚えている曲のひとつが「ピンクのバニー」(作詞:山元護久、作曲:服部克久)。ネットで歌詞をみつけて懐かしくなった。
もうひとつ、そのアルバムに入っていたと記憶しているのが、「手のひらに太陽を」。

この歌の作者、やなせたかしさんが13日午前3時8分、心不全のため、東京都内の病院で死去した。94歳だった。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1015/TKY201310150151.html

まだ聴こえていたわたしの耳には、この「手のひらを太陽に」の、弾むようなメロディーラインと男性少年合唱団の歌声、すべて生きとし生きているものは友だちなんだ、というメッセージが強く残っている。

そういえば、あんぱんまんも、自分を犠牲にして自分のからだであるあんぱんを人に食べさせるというキャラクターだった。ここにもキリスト教信仰の一端が表れているように思える。

かっこいいヒーローではないね。スペシウム光線もアイスラッガーも、パンチもキックもない。ないけれど一方的に攻撃せずに、自分を与える。

いろんなマンガや活動を通して人々に笑いと喜びを伝えてくださった。
長い間、ほんとうにおつかれさまでした。

天に召されたやなせさんに、主の恵みと祝福が豊かにありますように。

人間の力ではどうすることもできない2013/10/18 23:04:26

一週間前、わたしたちは震災復興支援ボランティアのため、仙台に入って、得難い貴重な経験をしてきた。
それから何日もたっていないのに、まさか伊豆大島や神奈川などがひどい災害に見舞われるとは思ってもいなかった。わたしたちでそうなのだから被災地に住む人々にとってはなおさらだ。

そして今度は27号が接近しているという。コースや勢力によっては、26号を超えるかもしれない。

今世紀末にはもっと強力な台風がやってくる可能性がある、と科学者が警告しているが、しかしいったいどうなってしまったのだろう。自然の脅威は人間の力ではどうすることもできない。

伊豆大島はじめ、災害に見舞われたみなさまに一日も早く復興が訪れますように、悲しみの中にいる人たちにいやしと慰めがありますように。

応援したくなる球団2013/10/19 23:49:30

先日仙台市内を歩いていて、よく目に入ったのは、東北楽天イーグルスのグッズを着たり身に着けたりしている人が多かったことだ。
その楽天イーグルス。今日のクライマックスシリーズ、対千葉ロッテ・マリーンズ戦で日本シリーズ出場に王手をかけた。

正直に告白すると、北海道生まれのわたしは日本ハム・ファイターズを応援している。グッズなどはひとつもないけどね。
しかし仙台を訪れてから、イーグルスもいいなと、応援している。どちらかといえば強豪チームに対するアンチという意味合いもある。

ともあれ、日本ハムであろうが楽天であろうが、地元に根づいている球団には好感が持てる。

がんばれ楽天イーグルス!

冬用のスーツを購入した2013/10/20 21:43:05

自宅を出て教会に向かうと、雨風がとても強い。通りには折れたかさが捨てられているありさま。
今週水曜から木曜日にまた悪天候になるのではないかと伝えられているが、さてどうなるか。

妻と、教会から銀座で待ち合わせをして、秋から春まで着られるスーツを見に行ってきた。
2着で3万円という価格はまあ、悪くはない。
わたしはあまり派手なデザインは好みではなく、できれば無地でストライプなどのないものがほしいのだが、妻は「地味すぎる」と言って、ガンとわたしの意見を認めてくれない。
2つのお店をまわり、初めに見たお店に戻っていくつかあたると、なかなかいいと思えたものがあったので2着を購入した。うち1着は地味めのデザイン。

そんなこんなだが、昨日つくったカレーをあらためて一緒に食べたりしながら過ごした。
明日からはまた忙しい日になるだろう。