確かに忘れやすいのかもしれない2013/03/11 23:38:49

昨日も書いたように、忘れてはいけない日のひとつ、3月11日。
震災発生時刻に黙とうをしようと思ったけれど仕事でかなわず。気づいたら時刻をとうに過ぎていた。

作家の伊集院静さんが今日の日刊スポーツ紙面でこんなことを言っていた。

あの震災を直接経験していない、90%の日本人にとっては「忘れるな」といっても忘れてしまいたいものだろう。忘れるなということは押しつけにつながる。
むしろ忘れやすいのが人間なのだから、忘れやすいということからいかに忘れないようにするか、ということが問われる。

東京に住んでいるわたしも福島や宮城や岩手の人たちのために何かをしたいと思い、宮城のササニシキを購入したり福島の木材でつくったはしを使ったりしている。けれどあの震災を経験した人たちにとっては忘れるどころではない、大きな傷をもたらした。
そんな状況で、遠くに住んでいるわたしたちが「忘れるな」というのは思い上がりなのかもしれない。あんたら、何を経験してきたんだとでもどやされるかもしれない。

しかしだからこそ、遠くにいる人たちのことを思う。
原発事故で故郷から離れなくてはならない、家族が散り散りにならざるを得ない、家族を失った人たちの悲しみ苦しみ。
忘れないことができなくても、悲しみ苦しみを想像することはできるのではないか。もし自分だったらどうだろう、と。

正直たいへんだけど2013/03/12 23:34:32

挙式に向けて準備や相談打ち合わせやら大変忙しい。

今回の挙式と披露宴では、10人ほどの難聴者が参列してくださる。
彼らが挙式や披露宴で孤独に陥ることのないように、楽しめるようにと情報保障も含めて検討したり手話通訳などをお願いしたりしている。

はじめは手話通訳、手書きで書いた文字をスクリーンに映す、司会者の音声を磁気ループを通して補聴器に伝える磁気ループ、という4つの方法を考えた。
挙式は1時間ですむからまだいいとして、披露宴は2時間以上もかかる。手書きによる文字上映は書くほうも労力が折れるしたいへんだ。
というわけで、パソコンによる文字投影を考えることにした。そのほうが司会者の台本などを前もってパソコンにいれておくことで負担も少ない。

今回の挙式と披露宴の目的は、聴こえない人と聴こえる人が一緒に集まるということで、聴こえる人たちに聴こえない人たちを知ってもらうということがある。
手話だけが情報やコミュニケーション手段ではないということを知ってもらいたいのだ。

正直たいへんだけど、やってみることでわたしにとっても周囲にとっても得るものがとても大きいと思う。

今回のことは経験になると思う2013/03/13 22:43:24

あと1カ月と10日あまり後に迫ってきた。
手話やパソコン筆記など、招待客のための情報保障を、都内の手話通訳士等派遣センターと交渉したりしている。
たしかに主賓はわたしたちふたりなのだが、招待するわけだから、招待客が居心地良く楽しんでもらえるように工夫や配慮をすることも、わたしたちの務め、はっきりいえば責任だと思っている。
けっこう気を使うから疲れるけれど、いつか実現させたい「誰もが楽しめる朗読舞台」のためにも、今回のことは経験になると思う。

夜、手話サークルのコミュニケーションクラス。
だがわたしひとりしかいない。手話サークルの手話通訳士が来てくださり、手話つき朗読について説明して、実際にわたしの演技と手話表現を見ていただいた。おおむね大丈夫、通じるだろう、とおっしゃってくださり、うれしい。
このサークルでもいつか、みなさんの前で手話つき朗読手話つき演劇をお見せしたいとお話ししたら「検討してみる。やってみるといいよ」と励ましをいただいた。

みていないようでいて、どこかで見ている人はいるのだから。

ローマ教皇2013/03/14 22:23:52

わたしも婚約者もクリスチャンではあるけれども、プロテスタントだから直接の関係も影響もあまりない。
だがきょう未明、カトリックおよそ12億の信徒を指導するローマ教皇に、先月退任を発表したベネディクト16世の後任にフランシスコ1世が選出された。 

フランシスコ1世は本名、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。イエズス会の司祭でブエノスアイレスの大司教だという。イタリア北部ピエモンテ州からアルゼンチンに移民した両親のもとに1936年12月に生まれた。つまりフランシスコ1世が、欧州以外から初めて選ばれた教皇である。

と書いたけど過去にも欧州以外の教皇はいた。
日本カトリック中央協議会の歴代教皇リスト(http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/pope/popelist.htm)によると265代いる教皇のなかに、グレゴリオ3世というのがいる(第90代、在位731年3月18日~741年11月28日)。
このグレゴリオ3世は欧州出身ではなく、いまのシリア出身だ。
8世紀だから現代とはもちろん異なるわけだが、それにしてもとほうもない歴史と時間を思う。

昨年末のある新聞記事に、アルゼンチンの経済悪化を伝える記事があった。
フランシスコ1世はアルゼンチンで過ごしているとき、一般市民とともにバスに乗り、運転手つきの車には乗らなかったという。貧困問題に取り組んでいたそうだから、市民の感覚を肌で理解していた人なのだろう。

同性愛やレイプなどのスキャンダル、時代にそぐわないと批判されている組織制度や妊娠中絶を認めるか否かといった教理。
カトリックが抱える問題はたくさんある。
プロテスタントにとっても無縁とは言い切れない。

フランシスコという名前から、自然への慈愛を伝えた聖人フランシスコを思い出す。
わたしたちキリスト者一人ひとり、あらためて時代と向き合い、教派の違いを超えてこの世でいかに福音を伝えていくか。
ともに問われていると思う。

手直しあり補加筆ありカットあり2013/03/15 23:14:13

手話つき朗読『塩狩峠』の練習と手話表現のチェックをしていただいた。

基本的にそんなに大きく変えたわけではないけれども、たとえば「体に伝わっていた機関車の振動がぷっつりと途絶えた」というくだり。
以前コスモス朗読会でやったときは「体に伝わる」という表現を入れたのだが、日本手話としてというより手話としておかしい、と、からだに伝わるという表現を入れず、手話では「機関車+振動+なくなる」とシンプルにまとめた。

「どんなことがあっても乗客「を救い出さなければならない」。
「救う」という表現が難しい。守る」とするか、「支える」とするか。通訳者でも異論があるかもしれないけれど、「支える」としてみた。

明日は朗読のレッスンのミニ発表会。

男と女の結びつきは2013/03/16 22:51:15

今回のテキストはいろいろな意味でとてもすばらしいテキストだった。
感謝、である。
2012年度最後の『朗読のレッスン』。今日はそのミニ発表会があった。
今期のテキストは澤田ふじ子著「花籠に月を入れて」『これからの橋 月』 (中公文庫所収)。

作品中に永正15年に書かれたという、室町時代の歌謡集成『閑吟集』が出てくる。

  花籠に 月を入れて 漏らさじ これを 雲らさじと もつが大事な

『閑吟集』 310番だという。

ある解説書によると、花籠は女性、月は男性をさすという。
澤田さんは「花籠に月を入れて」のなかで登場人物、塩川荘太郎にこう語らせている。

「男と女の結びつきは、お盆に張った水を、二人で一生持ち運ぶようなもの。わずかなことでこぼれてしまいます。花籠と月は比喩、男女の仲や結婚の心構えについて言っているのだと、わたしは解しました」

あとひと月あまりで結婚を迎えるわたしたちふたり。
ちょっとした行き違いや感情のもつれやささいなことから、お互いにもつれてしまい、別れることにもなりかねない。
お互いがクリスチャンであるという共通の土台と、わたしはろう者、婚約者は聴者であるという違い。
一生、お盆に張った水を運ぶことができるように、日々たえまなく努力と歩みを積み重ねていきたい。

音響と情報保障のチェック2013/03/17 22:51:15

ほんとうにあっというまだ。弥生3月に入ったと思ったらもう月の半分を過ぎた。
ホテルで挙式関連の2度目の打ち合わせに行ってきた。

聴覚障がい者がいないのであれば必要がないことだが、今回、わたしはもちろん、参列してくださる方には聴こえない方が複数いらっしゃる。仮に一人だとしてもわたしは考えただろう。聴こえない人たちも聴こえる人たちも手話が分かる人もわからない人も楽しめる挙式披露宴にしたい、と。

当初わたしは聴こえない人たちのために会の進行や会の内容を伝える方法を、手話、要約手書き筆記、OHP、磁気ループという「4本の矢」で考えていた。
けれど結婚式も披露宴も、ある程度時間があるものであり、とくに披露宴は2時間30分の長丁場だ。
司会者の台本やアナウンスなど、手書き要約筆記を昔小学校で見たオーバーヘッドプロジェクター(以下OHP)で投影するのは筆記してくださる方にとっても労力の負担がきわめて大きい。台本をパソコンで投影したほうがずっと負担が減る。
というわけで、手書きの文字投影をやめて手話、OHP、磁気ループに絞ることにした。

婚約者の教会知人友人にも、わたしの教会知人にも、わたしのような聴こえない人はいない。いないどころか聴覚障がい者と接したこともないだろう。
今回の取り組みはそういった人たちに聴覚障がい者を知ってもらうこと。聴覚障がい者にとってのコミュニケーションが手話だけではなく、いろんな方法を組み合わせていかなければならないこと。手話、OHP、磁気ループを実際に見てもらう知ってもらうこと。

当事者であるわたしだけではない。参列してくださる聴こえない人たちが、ひとりでも楽しめなかったりつまらなかったり苦痛に感じるようなことはしたくない避けたい。ここちよくお帰りいただくこと。

いつかかなえたい、誰もが楽しめる朗読舞台のためにも、この取り組みを成功させたい。

さとり世代?2013/03/18 22:34:00

こんな大自然だって実際に見ないとその美しさはわからない
今日の新聞朝刊に「さとり世代」という新たな若者たちを取り上げた記事があった。

さとり世代とはなにか? こういうものらしい。

<物心付いた頃から不景気で、浪費を悪と考え、実にまったりとした、穏やかな暮らしを望む草食系世代>
<経済成長や科学技術の進歩よりも、伝統文化の価値を重視するなどの傾向がみられる>
という。特徴として

車に乗らない/ブランド服も欲しくない/スポーツをしない/酒を飲まない/旅行をしない/恋愛に淡泊……というのだそうだ。

うーん。たしかに彼らと同じくわたしも、車に乗らない/ブランド服も欲しくない/酒を飲まないということはあるけど、それは車がなくても移動に困らない都会に住んでいるうえに、税金が高いからというのもある。お酒は体質が合わない、アレルギーだから。ブランド服は興味がないというよりそもそも似合わないから。

その新聞記事には中年世代の声だろうか、「覇気がない」だの「ぼくらには考えられない」だの、否定的な意見があった。

正直いうとなんだか物足りない。
さとり世代の彼らに言わせると「海外に行かなくてもネットで海外のことはわかる」というようだけど、ちょっとまってほしい。
たしかに居ながらにして自分を発信できて顔を会わせなくてもつながりがもてて、情報も一瞬で手に入る。それは便利なことだけれど、はたしてそれが本当につながっていることなのか、得た情報が正しいかどうかはともかく、リアルなものなのか? 疑問に思わないのだろうか?
たとえばおいしいカレーライスやラーメンがあるとしても実際にそこに行かなければ味わうこともできない。海外の出来事もウェブやネットでわかるけれど、そこに住んでいる人たちの息吹や肉声や生きている営みまではわからない。そこに行ってみないことには、肌身で実感できないのではないだろうか?

まあ、いつの時代も年配者にとっては若者たちは理解しにくいし、理解しにくいからこそ批判の対象となったりやゆされたりする。今年大学を卒業した世代は「ゆとり世代」最後の人たちといわれるけど、わたしたちも社会に出たころは「バブル世代」と言われたものだ。だから今日の朝刊記事もそんなにまゆをひそめていうほどのことではないのかもしれない。

けれども。
ひとつだけ言えるのは、そういう若者たちを生んだのは、年配者、大人たちの責任だ。
何でも手に入ってもうこれ以上ほしくない、というさとり世代の声は、なんでも手に入るような社会や経済やシステムをつくった大人たちへの批判であるとも思える。

だからこそ若者たちには、悟りきったような顔をしないで、いまひとつ、社会や自分の身の回りのできごとに興味関心を抱いてほしい。おかしいと思うこと、なるほどと思えることでもいい。どんどん他者と接してほしい。
箱庭や純粋培養されたような生活では、年をとったときに、こころが豊かな生活を送ることはできないのではないだろうか。

さとり世代、ゆとり世代、バブル世代、みゆき族、太陽族……。世の中はえてしてこういうふうに若い人たちや新しいものにたいして名をつけたりレッテルを張りたがる。
いままでがそうだったように、若者の中にもさとりではなく、人生や将来やこの地球という星に起きるいろんな出来事に関心を持っている、情熱ある若者がいるはず。レッテルを張ったところで意味がない。そんなのは大人たちの浅はかな知恵というものだ。

減災」をあきらめないこと2013/03/19 20:39:23

南海トラフ地震、被害220兆円想定 3・11の10倍
http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201303180271.html

太平洋沖に延びる南海トラフでの巨大地震対策を検討する国の有識者会議は18日、マグニチュード(M)9・1の地震が起きると、最悪クラスで220兆3千億円の経済被害が出るとの想定を発表した。

正直、この数字だけをみるとあまりにも巨額すぎてピンとこない。
1000年に一度起きるか起きないかという巨大地震だけれど、2年前もだれが想定しただろう。ある学者は「日本は阪神大震災以後、地震活動が活発な時期に入った」という。

わたしが住むマンションでも今週土曜日、防災避難訓練がある。
この写真にあるヘルメットをかぶって訓練に参加しようかと思うが、ヘルメットだけではなく隣近所との連帯がなくてはならない。
結婚したら妻と一緒に動くか、仮にばらばらになったとしても共通の避難場所を決めるとか連絡網を作るとか、対策を練らなくてはならない。

記事にあるように、いつおきてもおかしくない。
だからこそできることを少しずつでもいいから取り組んでいかなくては。

まったく難儀なことだ2013/03/20 23:04:26

桜が例年より早く咲きはじめたらしい。
開花はうれしいけれど、弁当業者などは仕出しの注文に追われてたいへんだとか。

一方で中国から飛来してくる黄砂などもやっかいだ。周囲の花粉症患者にきくと、今年は花粉、PM2.5、黄砂などでうんざりだと言われた。

花粉を出さない杉を植え始めたというが、これらが生長するころ、わたしはたぶんこの世にはいないだろう。

まったく難儀な今年の春だ。