この世は「すばらしい世界」であるのか?2012/09/06 23:35:59

もう時期的には夏物が終わるのだが、紳士服店にはまだわずかながら残っているものがあった。
今月末の朗読舞台と来年に着ることを考えてスーツを購入した。

障害抱えるBBCの「お姉さん」、パラリンピックに期待
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201209050486.html

この世に生きているのは障がい者だけではないし、障がいのない人ばかりでもない。
記事にあるような片腕の女性、腕の傷口をみるとたしかに驚き、ひいてしまうかもしれないが、彼女が腕がないこともまた現実であり、彼女は腕がなくても人間としてなんら変わってはいない。

何が言いたいのかというと、テレビドラマや映画のなかで障がいのある人が描かれるとき、お涙ちょうだいの決まり切ったパターンのドラマか、はたまた障がいのない人が障がい者を演じることが多い。現実の世界には障がい者がいて、車いすの人、補聴器の人、白つえを頼りに歩いている人、内臓などに障がいがある人、性とこころが一致しない人、さまざまな人がいるのに、だ。テレビや映画のなかではこういった人が出てこないことが多い。補聴器をつけた人さえ、まったく出てこない。まるで映像やテレビのなかには障がい者が存在しないかのように。

韓国では目の見えないテレビキャスターがいる、と聞いたことがある。数年前のことだ。
アメリカでもメジャーリーグベースボールのオープン戦、プレシーズンゲームを目の見えない人が試合実況をすると聞いた。
今回のパラリンピックでは目の見えない人がヨット競技に出場しているという。からだで風の向きや勢いを感じ取り、艇の仲間に伝えるのだそうだ。

たしかにプロスポーツマンやオリンピックのアスリートのような、まるでスーパーマンのような能力には遠いかもしれない。しかし、今回のパラリンピックに出場している、ある車いすの選手は自分たちを「スマートな能力」と語っている。つまり身体障がいがあっても残された能力で補っているのだ。

このBBCの女性キャスターのように障がいのある人がお涙ではなく、ひとりの人間として、メディアや映像や演劇やスポーツや芸術の世界で活躍できる社会。
それこそがほんとうの意味で「すばらしい世界」である。