女子が輝いた大会2012/08/11 21:13:53

世間は夏休みで帰省している方も多いことと思う。わたしは舞台が終わるまでは予定を入れていない。
今月も朗読のレッスンがないので、久々にどっと疲れが出て、終日寝ていた。

なでしこのほうがいいよ。男子は3位決定戦で韓国に負けた。なさけない。
試合が進むにつれてチームとしてのまとまりも高まったそうだが、きくところでは当初は浮ついたような雰囲気だったらしい。ミーティング中でも私語が出ていたときく。

ここ一番というときに、最高の力が出るものなのだろうね。
負けたとはいえなでしこはアメリカを抑えていた。見ても分かるようにあれだけ体格差がある相手によく健闘したものだ。

以前にも書いたけどなでしこは当初エコノミークラスだったシートが今回の帰国便ではビジネスクラスに格上げされた。当然である。結果と言う前に、あれだけ感動を与えてくれたのだから感謝の気持ちで、シートを格上げすべきだと思う。

女子バレーも銅メダルを獲得した。こちらもおめでとう!
間もなく終わる17日間の大会は、後世女子が輝いた大会でもあったと記憶されるのではないだろうか。

3人いれば分担しあえる2012/08/12 00:18:09

納涼会がきっかけで、昔むかし、30年前に買ったモーリスのギターを引っぱり出してガチャガチャと弾き始めた。海援隊は昔はモーリスのギターを使っていたという。たいして弾けないくせに、いっちょまえにあこがれていたのだ。

そんななか、たまにだが海援隊の知られざる名曲、「そんぐ・ふぉあ・ゆう」や「風景詩」などを弾いている。

もし手に入るのなら、「誰もいないからそこを歩く」3人歌唱バージョンと「人生へのメッセージ」の楽譜がほしいね。
もともと、「誰もいないからそこを歩く」は1980年12月23日に発売された同名タイトルアルバムが最初だが、ここでは中牟田俊男さんのソロだ。3人歌唱バージョンというのは、1983年11月25日に発売された『LAST LIVE』で武田鉄矢さん、中牟田俊男さん、千葉和臣さんが3人で歌っている。こちらのほうが好きなのだ。
「人生へのメッセージ」は1979年12月1日発売のアルバム『倭人傳』で武田鉄矢さんがソロで歌い、1980年5月1日発売の『一場春夢』ライブコンサートアルバム(海援隊最初の日本武道館コンサート)でも歌われたが、わたしが持っている海援隊の楽譜集には「人生へのメッセージ」は『倭人傳』バージョン、「誰もいないからそこを歩く」も同名タイトルのアルバムバージョンしかないのだ。

「そんぐ・ふぉあ・ゆう」「誰もいないからそこを歩く」はやり方次第では手話を交えてできないこともない。
たとえば3人がボーカル、手話、ギターを担当して交互に歌うとか、1番2番3番を分担しあうとか。
ギター&ボーカルが2人では手話とギターで合わせにくい。3人いれば分担しあえるので、この2曲はとてもいいと思うのだが。

「誰もいないからそこを歩く」3人歌唱バージョンと「人生へのメッセージ」の楽譜。もしあったら手に入れて覚えたい。

そもそも現在は武田鉄矢さんどころか海援隊だけの楽譜集は出版も販売もないのだ。フォークソングブックに「贈る言葉」「思えば遠くへ来たもんだ」が収録されているだけ。たくさんの名曲があるのに。とてもさびしいね。

ほとんど聴こえないのだが、ギターの音がずれているとかひずんでいるとか、静かなところでならチューニングマシンと突き合わせながらだがどうにかわかる。
少しずつ慣れてきたかな。

ビデオで録画してみた2012/08/13 23:55:02

昨年までは7年ほど前に購入したDVDビデオカメラで動きを確認していたのだが、画質が粗かったり、字幕付きDVDをつくるときに画像をコピーしにくかったりするなど、いくつか不便が生じてきたので、この朗読舞台の前に思い切って、最新のハイビジョンビデオカメラを購入した。
データ記録は内蔵のハードディスクとコンパクトデジタルカメラにも使えるSDカードの両方で記録できる。

今日、はじめてこのカメラを使って動きを録画してみた。
画質がとてもよく、クリアな映像だ。
もちろん本番舞台もこのカメラで撮影して、字幕をつけたDVDをつくることになる。

台本は、とてもいとおしい2012/08/14 23:19:14

まだこのくらいは序の口。もっと汚くならないと。
さっそく、昨日録画したビデオ画像を手話通訳士先生と一緒にみながら、台本や原詩と突き合わせて、手話表現を改めたり直したり加えたり、意見を出し合ってみた。新たな細かい直しももちろんある。

取り組みを始めた5月ごろはまだ真っ白に近かったのが、赤だの青だの黒だの、ボールペンでいくつも書き込み、さらには水性マーカーペンで、強調したいところや気をつけたいところなど色をつけていって、今日は修正テープで台本を直したり補加筆が加えられたりしていった。

はたからみると何が何だか分からないかもしれないが、びっしり書き込まれ読みにくく汚くなった台本は、とてもいとおしい。

それだけ集中して取り組んだということだ。

『夜と霧』2012/08/15 23:04:54

いま、手話サークルを終えてからNHK・Eテレ「100分de名著」という番組を見ている。今月のテキストは、ヴィクトル・フランクル著『夜と霧』だ。

何度も読んだことがあるこの『夜と霧』。
フランクルは強制収容所という極限の状況下でも冷静に自分を他者をみつめ、心理分析を重ねた。

『夜と霧』で、人生に何も期待できないようにみえるなかでも、3つの価値がある、と彼は書いている。
① 創造価値 ②体験価値 ③態度価値だ。

自宅に帰る前の手話サークルで、おととし、2010年9月25日のコスモス朗読会で演じた『ゆずり葉』のDVDをはじめてみなさんにお見せした。
そのあとにいろんなご意見をいただいた。「ろう者に手話をみてもらったらもっとよかったのではないか」「文章を手話で語るというのは難しい」「声と手話の両方で演じるのはたいへんだね」「演劇的な感じがする」などなど。
わたしは普通に話せるからどうしても聴者と見られやすい。だがほとんど聴こえないろうに近い。そのからだでなにができるか? 手話で語る舞台をつくっていきたい。大きなことではないかもしれないが、ろう者にも中途難聴者にも手話の分かる聴者にも手話の分からない聴者にも楽しんでもらえる舞台をやりたい。それがわたしに与えられた創造なのではないか? 創造価値とは、ひとつにはそういうものだ。

そしてそれを見てもらえることでいろんなご意見や考えを聞くことができる。賛成も反対もあるだろう。手話サークルの途中で水道橋から遠くに夕焼けをみた。これも美しいと感じてこころが揺り動かされた経験だ。手話サークルに来なかったら感じることがなかったかもしれない。ひとつの体験価値だ。

聴こえないということ、この舞台は大きな評価につながるものではないかもしれない。認められるものでもないかもしれない。けれども先日の朗読のクラスでも、講師先生が「あなたのやっていることは大きな意味があるのだから」とおっしゃってくださった。手話サークルでも理解されないかもしれないが、取り組み続けていくことでいつか大きな実を結ぶかもしれない。その取り組み続けていく態度。姿勢。大事なことである。態度価値は、どんな小さなようにみえるものでも、真剣に前向きに向き合っていくこと。

いつかはわたしも生を終える。
そのとき、ああ、やってよかったなと思える人生でありたい。たとえ勲章や社会的評価につながらなかったとしても、やり続けていくこと。

お互いにつながりあっているということ2012/08/16 23:20:19

五輪が終わってまもないが、メダルを獲得した選手たちはそれぞれマスコミの取材をうけたり母校や地域へのお礼など、精力的な活動を続けている。
そんななかでとても感動したのは、福原愛選手、平野早矢香選手、石川佳純選手の卓球銀メダリストが日本外国特派員協会の取材に応じた記事だ。

http://www.blogos.com/article/44905/

海千山千の外国人記者らを前にした会見で、福原さんは「昔からメディアに注目されてきましたが、いつも優しいわけではなかったと思います。どのようにメディアに対応されてきたのでしょうか?」という問いに、こう答えた。「メディアの方はわたしとファンをつないでくれる大切なお友だちというふうに考えている」と。それをきいてほかの2人も福原選手を「すごいなあ」(石川)「メディアの方も卓球に興味を持って取り組んでくれたおかげで、わたしたちもみんなに応援してもらって、いい思いをさせてもらったなって思っています」(平野)と語った。福原さんのコメントに会見場内は拍手で包まれたという。

メディアへの対応と言ってもいろいろさまざま。
自分の主義主張を伝えんがために利用しようとする人もいるし、今日新聞夕刊に掲載された、尖閣諸島に上陸して逮捕された中国人活動家は怒鳴り叫ぶような表情をしていた。音声がないけれども彼らが主義主張を伝えようとしているのがわかる。政治家もそういう立場でメディアを利用しようとする。

彼らとスポーツ選手とでは違う部分もあるが、福原さんをみていて感じたのは、自分たちが見られていることと、見られている「向こう側」にいる人たちをしっかり意識しているということだ。自分にとって利用価値があるないというのではなく、応援してくれる人支えてくれる人たちがいるから、そしてメディアの報道によって自分たちも、応援してくれる人支えてくれる人たちもお互いにつながりあっているのだという気持ちだろう。

メディアの向こう側にいる、たくさんの人たちを意識していくということは実はほんとうにたいへんなことだ。みんながみんな応援してくれるとは限らない。なかにはアンチもいるだろうし、興味本位という人もいるだろう。
けれどもそれらも含めて、いま自分たちがこうして活動していられるのはなぜか、どうしてかということを忘れないでいる。

3歳からやってきていてほんとうに大変なことがあったと思う。
でも福原さんがいたから卓球が広がり、多くの人が活躍を期待したり応援したり、自分たちもラケットを握ったりしてきた。
その功績とともに、メディアを敵視していない、むしろ「お友だち」という言葉に込められた思いを、わたしたちも大切にしていきたい。

もうひとつ。
福原さんは「毎日少しずつ努力することは、いつか大きな形になる」とも発言した。
この言葉もとても胸を打たれた。

気負わず自然な自分を出すこと2012/08/17 22:08:56

朗読というジャンルで「語る」取り組みをしていると、同じ「語る」という芸の達人の言葉が胸にずんずん響いてくる。
この15日の毎日新聞夕刊「新幸福論」は、漫才師の西川のりおさんのインタビュー記事だった。

テレビ番組で政治家と対談した内容をまとめた本を出版されたことを切り口に、その本への反響、また対談しての政治家の印象、政治家と漫才師という、一見共通項がないようでいて実は「世の人々を幸せにするのが仕事」と、西川さんは語っている。
西川さんは1951年生まれ。芸歴も人生上のキャリアも、とても深いものをお持ちだ。その西川さんにして、印象的な政治家は? という問いに「それぞれ個性的で一家言ある方が多かったのですが、主張がぶれず、一本筋が通っていると感じさせる政治家は少数でした」という。
言ってはなんだけれどわたしもこの見方意見に同感だ。
政党の区別なしに、ほんとうに芯が通っていると感じさせる人は少なくなった。ぶれても主張を変えても、気にしないのか平気なのか、ともかく絶対に譲れないという確固たる信念を持っている人が少ないように思う。

話を西川さんに戻したい。
西川さんがお笑いを志したのは、少年時代に民社党衆議院議員、春日一幸さんの立会演説会で感動したのが原点だという。話がうまく、みんな聴き入ってお母さんも涙をこぼしていたのだそうだ。

はじめに書いた「世の人々を幸せにするのが仕事」のあとに、西川さんは「どちらも自分を犠牲にして、目の前の人たちに自らの思いを語り、感動させる。(春日一幸さんの演説を聴いて)ぼくも自分の言葉で、多くのお客さんを感動させたい、と思うようになったのだと。
昔は「笑わせなくては」とあせっていたけれども、たどりついたのは「気負わず自然な自分を出すことだ」と。

この「気負わず自然な自分を出すこと」がわたしの目標だとあらためて思う。
感動するかしないかはお客さんが決めること感じること。感動の押し売り押しつけになってはいけない。
むしろ舞台上で、ありのまま気負わずにいることで、何かが伝わるのではないだろうか、と思う。

徐々にすすんでいる2012/08/18 23:51:14

今日、午後から手話通訳士先生をお招きして、朗読の手話チェックや修正のほか、BGMの選択をみていただいた。

クラシックを使うことにして3枚のアルバムを聴いていただいたなかからヨハン・セバスチャン・バッハの「G線上のアリア」に決めた。

明日は礼拝後に納涼会のマイクなどの調べのために三田、東京都身体障害者福祉会館へ行くなどしたい。

こうやって徐々に取り組みがすすんでいることをこころから感謝している。

朗読のご指導の後にラーメンをお出ししてビールを飲みながらNHKテレビの『思い出のメロディー』という番組を一緒に観た。
舟木一夫さん、小林旭さん、五木ひろしさん、石川さゆりさんといったメンバーベテランのほか、懐かしい荻野目洋子さん、沖縄から夏川りみさんの歌中継もあったし、故尾崎紀世彦さんの友人だった尾藤イサオさんも。
なんといっても毎朝出勤前に観ている『梅ちゃん先生』の主役、堀北真希さん、海援隊を観ることができてうれしい。
いつか海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」をやってみたいと、この曲が収められたCDを手話通訳士先生にお貸しした。
年末にでも手話ソングでやれたらいいね。

いい曲は何年たっても色あせない2012/08/19 18:31:17

昨日自宅で見た、第44回「思い出のメロディー」。
懐かしい歌あり、知らない歌ありだったけれど、3時間余り、とても楽しめた。

第44回「思い出のメロディー」 曲目リスト
http://www.nhk.or.jp/omoide/list/index.html

デューク・エイセスの「雪山讃歌」(1963)、舟木一夫「高校三年生」(63)、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」(85)、海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」(78)。「また逢う日まで」はわたしが小学校に上がるか上がらないかのころだけれどいまでも覚えているし歌える。

歌詞と曲がうまくかみあっていて、何を言いたいのか訴えたいのか伝えたいのかストレートにわかる。いつも思うことだけど、いまの歌は何を言いたいのかわからない。年齢を重ねてリズムやメロディーラインについていきにくいせいもあるけど、わかりにくかったらだめ。覚えてもらえなかったら長く歌われない。

AKBやアイドルソングを頭から否定するのではない。
長く歌われていく、いのちある歌こそが思い出となって歌われ続けていくのだろう。

ピンチはチャンス2012/08/20 23:05:58

今日仕事が終わってからメールがひとつはいってきた。
何かと思って読んだら、なんと納涼会でギター伴奏をしてくださる方が事故にあい、静養が必要とのこと。伴奏はもちろんできなくなった。

さあ、一大事である。
とりあえず近日中に手話サークルの仲間と相談して、当日どうするか決めることになるだろう。

メールのあとで手話サークルの役員と、納涼会の打ち合わせに参加してきた。
聞いた話では、納涼会に来て下さる手話パフォーマンスグループの方々も、納涼会の最後まで一緒にいてくださるという。そしてわたしの手話ソングは納涼会の最後のプログラムに組み入れられたという。つまり、「トリ」をやることになった。

おいおい、と驚きつつ内心、やってみせようじゃないかと気合いが入っている。
難聴者協会事務局にも来月の朗読舞台の案内はがきを送った。
どれだけ来て下さるか分からないけれども。

トラブルで伴奏がだめになったからといって、一緒にやるはずだった仲間に対して、どうこうという気持ちはない。
ましてやめるとか企画から下りるとかいった気はないよ。
自分から言い出したのだから、なにがなんでも成功させてみせる。

ピンチはチャンスでもある。