いまこうして生きていること生かされていること2012/05/03 14:47:47

話はさかのぼって2日前。
昨年から歯科治療を受けている。歯並びをよくしたいのと、いつも悩まされている肩こりを解決するために口の中に入れるマウスガードをつくりたいが、そのまえに虫歯などを治しておきたいからだ。2日前には歯の神経を抜く治療を1時間かけてうけた。やれるときにきちんと治しておかないと後になって困るのは、ほかでもなくわたしである。

で、歯医者に行くとき、いつも昔のころを思い出してしまう。
幼稚園から小学校のころ、なにがいやって、風邪をひいて医者に行くとおしりから注射される。いまは安全性から、おしりに注射されることはないそうだが、歯医者と並んでとてもいやだったものだ。
歯医者に行く。呼ばれて治療いすに座る。水がはいったアルトマイだかなんだか金属のコップがあって、そばには小さなろうそくがともっている。歯を治療するための器具を温めるなどのためだ。そして上を見るとチェーンにつるされた鋭い針などが光っている。
これだけでもう逃げ出したい思いだった。

時間の針をさかのぼって、人類が手を使って生活するようになったころに戻ろう。
病気はそのころから存在していたらしい。虫歯のほかにも頭がい骨に穴をあけるなどといった治療(とても現代医療からみれば「治療」とはいえないものだろうが)が行われていたと、本で読んだことがある。
もちろんそれらをうけることで死ぬ確率は高かったに違いない。ましてテレビで見たことがあるが、エジプトやインカのミイラなどというのはどんなにたいへんな苦しみ痛みがあったことだろう。ポーランドのクラクフを訪れて領主の墓のそばを歩いたこと、オランダでレンブラントの墓がある教会を歩いたこと。そのころ生きていた人たちにとって、病気と生きることのふたつは、どれほど過酷でたいへんなことだったか。

医療制度などといった視点からではなく、純粋に現代医療の技術という視点からみると、歯の神経を抜く治療ではあっても、麻酔を受ける痛みもそれほど強くはない。
だがこのとても進んだ医療も、それが技術として確立するまでにどれだけの犠牲があったのだろう。

ふりかえってみるとわたしたちがこうしていま生きられるのは、生きることができているのは、先人の絶え間ない努力と犠牲、より良い未来をつくっていこうという意志の積み重ねの上に立っているのではないか。

いまこうして生かされている生きていることは、あたりまえのことではないのだ、とあらためてつくづく思わされている。