やはり疑問に感じる2012/01/11 23:59:45

新年早々の今月4日、JR東日本に田町-品川間に山手線新駅を設置する構想がある、という報道が出た。
田町-品川間の約20㌶もある車両基地跡地を再開発して新駅を設置し、あわせて外資系企業を誘致する、とも。
わたしもよく品川駅、田町駅両方を利用することが多く、新聞報道やテレビのニュースワイドショーで取り上げられてからもいろいろ話題になっているらしい。

しかし、よく考えてみると、疑問を感じざるを得ない。
まず震災だ。
オオカミ少年になってはいけないが、震災からまだ一年もたっていない。依然地震が相次ぎ、正月早々、震度4の地震もあった。東京首都圏直下型や南海、東南海地震もいわれており、首都圏の地震に対する備えのほうが優先されるべきではないか。

次に、これからの日本社会を見つめてみる。
人口減少時代に入ったことはもう日の目を見るより明らか。新駅に限らず、交通機関や電力などインフラを動かすための人員が必要になるが、それだけの労働力が見込めるのか。外資系企業を誘致する、オフィスビルを建設するという話もあるようだけれど、人が集まるところにはそれらを支えるために必要な人もシステムも必要だ。だが将来、それに見合った人員が確保できるのか? これ以上人が集中する必要があるのだろうか?

JR東日本のサイトを見るかぎりでは、この計画についての発表は見あたらない。
だが、伝えられている内容と現実を見つめてみると、やはり疑問に感じるのはわたしだけだろうか?

どこかで聞いたセリフ2012/01/12 22:41:04

わたしも人間だから、過ちを犯して詰問されたとき答えに窮することもある。そして口に出るのは「記憶にない」。なにかで失敗をしたとき、こころのなかであってもつい、誰かのせいにしたくなる。

今日の新聞とテレビで、ずっと遠く昔に聞いたことがあるセリフがよみがえってきた。
「記憶にない」……「妻がやった」……。

ひとつは、11日に東京地裁であった、民主党元代表・小沢一郎氏に対する被告人質問で、小沢氏が元秘書に渡した4億円の現金について問われ、「記憶にない」と答えたこと。新聞では「具体的に記憶していないが」などと答えている。
もうひとつは経済産業省の元審議官が半導体大手企業の株を株取引前に購入した、インサイダー取引容疑で逮捕されたというもの。こちらはテレビで「株の売買は妻が行ったものだ」と主張しているという。

検察官でも裁判官でもないわたしに、人を裁くとか批判するなどという資格も立場もない。
だが、ずっと昔、どこかで似たようなセリフを聞いたことがある。そのときはとても大きな社会問題視され、セリフを口にした人に対して批判が起きた。そのことをいまでも思い出す。

公的な立場にある人ほど、口にした発言のひとつひとつに対する責任の重さはいうまでもない。

どこかで聞いたこのセリフ。わたしも口にしたことがないわけではない。
時間が有限であり、偉い人にもそうではない人にも、いつかは死ななければならない、生きているという意味では平等である。有名な人もそうではない人も神さまの前では生きてきた歩みに対する責任が問われると聖書は語る。ならば、おのずから意識していかなくてはと思う。

ラーメン風スープ2012/01/13 22:22:46

弁当は焼き鳥とからあげ。キュウリの漬物をそえて、みそ汁も考えたのだけれど、ラーメン風はるさめのスープを買ってきた。

はっきり言って「奇跡」だ2012/01/14 22:00:28

本当は自分が思うより重いほうがいいのだ
今年最初のスポーツは、卓球ではなく、ボウリング。
 
あるクリスチャン仲間のミニオフ会があり、ホントに数年ぶりにボウリング場に行ってきた。
2ゲームをやっただけだが、なんと自己最多の162というスコアを記録した。

1ゲーム目、13ポンドのボールを使ってみた。マイボールではなくハウスボールで、しかも曲がりにくいことは初めからわかっていた。最初の1投目でわきがひらいているのに気づいてすぐに修正、4連続スペアをとったけれどゲームスコアは99。
2ゲーム目は、ひとつ重い14ポンドに換えてみた。ボウリングの投球動作はいわば振り子のようなもの。ボールを投げるといってもフットボールの投球フォームとは異なる。軽いボールだとかえってフォームがばらついたりボールが軽いためからだがひっぱられてしまったりする。さらには軽いボールは指の穴が小さかったり、穴の間隔が狭かったりと手に合わない。つい軽いボールを選びがちだが、本当は自分が思うより1、2ポンド重めのほうがいいのだ。重いボールだから自然とフォームが安定してくる。
結果、1連続を含む4つのストライクを出して、スコアは162と出た。はっきり言って「ウソだろ」としか思えない。いままでならせいぜいが100前後をうろちょろしていたから、こんな数字が出るとは思っていなかった。

そのあとの交流会で、みなさん筆談をしてくださったり、簡単な手話単語や表現を教えたりしながら交流を深めることができた。

押しつけや強要はいやだけれど、聴者が聴きたい知りたいと、たとえ興味からであっても聞いてくれるのならわたしは手話を教えたいと思うし、それがきっかけで新たな理解が深まればいいね。

ともあれ信じられないスコアにびっくりした、ボウリングである。

3時間以上眠ってしまった2012/01/15 21:20:17

先週、風邪をひいてしまい、週末の金曜日に薬をもらってきた。
とても眠気が強い薬で、体調が戻ったのはいいのだが眠気のために、喫茶店で3時間以上眠ってしまった。

しょうがの入ったチャイを喫茶店で飲んできた。
徐々にからだを戻していきたい。今週土曜日からまた、朗読のクラスが始まる。

今年は1912年4月14日、大西洋上で豪華客船「タイタニック号」が氷山と衝突、沈没した事故から100年目にあたる。
イタリア西岸の地中海で13日夜、クルーズ中の大型客船「コスタ・コンコルディア」(乗客・乗員約4200人)が座礁した。15階建てのビルに相当する大きさだったそうだが、日本人43人を含む乗客が救助されたいっぽう、冷たい海に飛び込んで心臓まひを起こして亡くなった方もいたほか、20人がまだ行方不明だそうだ。報道では行方不明者は40人とも伝えられている。
事故当時について「タイタニック号を思い出した」「タイタニック号に乗っているような気分だった」という乗客の声が新聞に載っていた。

いくら技術が発達進歩しても、絶対安心とはいえない。
それが旅というものなのだろう。

年明け最初の自炊2012/01/16 22:30:46

豚肉と白菜、もやしなどが入った野菜炒
かなり体調は戻ってきて、今日は豚肉と白菜、もやしなどが入った野菜炒めセットを使っていためてみた。
キッコーマンの「うちのごはん」という、総菜の素がうちにもあった(笑)。で、けさの弁当に使った残りの豚肉とあわせて、スープを添えてみた。

食べ終わってからうどんなどを買ってきた。今度の週末にもみそ焼きうどんに挑戦してみようと思っている。

今日のビッグニュースは、やはりプロフットボールのプレーオフ。
現地時間14日(日)、ウィンスコンシン州グリーンベイでひらかれたNFCナショナルフットボール・カンファレンスのディビジョナルプレーオフで、レギュラーシーズン15勝1敗の、グリーンベイ・パッカーズが9勝7敗のニューヨーク・ジャイアンツに20-37で負ける波乱があった。NFL公式サイトでも「BIG UPSET」とタイトルがついたほどで、予想外の結果となった。

今年は首の負傷のため一度もヘルメットをかぶっていない、インディアナポリス・コルツのQB、ペイトン・マイングの実弟であるイーライ・マニング。ニューヨーク・ジャイアンツのQBは33回試投、21回成功、330ヤード、1インタセプトと、兄のぶんも、と大活躍した。
昨年の第45回スーパーボウルのMVPである、グリーンベイ・パッカーズのQBアーロン・ロジャースは46回パス試投26回成功だが獲得ヤードは264ヤード。2つのタッチダウンをあげたが1インタセプト、1ファンブルロストを記録した。レシーバーとの息が合っていなかったか、レシーバーの落球もあり、不運だったかもしれない。

試合は前半で20-10とニューヨークがリードする展開。後半に入って第3クオーターにグリーンベイがFGで3点を返すが、第4クオーターにニューヨークもFGを入れる。そのあとのシリーズでニューヨークがファンブル、落としたボールを捕球して返し、グリーンベイ陣4ヤードまで進み、次のプレーでタッチダウンを挙げた。グリーンベイもTDを返すが、ニューヨークがダメ押しのTDを挙げて決着をつけた。

これだから勝負はわからない。
いくらレギュラーシーズンが好成績でも、一発勝負のプレーオフはあてにならない。
第2クオーターに得たターンオーバーのチャンスを生かして得点を挙げるなど、4つのターンオーバーを挙げてグリーンベイの得点を20点に抑えたのが大きかった。

来週はいよいよアメリカン、ナショナル両カンファレンスの決勝。

ウィリアムズにもうひとりの「セナ」が2012/01/17 23:16:36

といってもアイルトンではない。

1994年5月1日、アイルトンがサンマリノGPで事故死したのはF1ウィリアムズ・ルノーの車だったが、アイルトンのおいである、ブルーノ・セナが2012年にウィリアムズのドライバーとして参加する、という。しかもエンジンも同じくルノーだ。来月9日からスペイン・へレスで始まる冬季マシンテストにも参加すると、ウィリアムズチームの公式サイトが発表している。

Williams F1 Confirms Bruno Senna for 2012
http://www.williamsf1.com/news/view/2042

実はこの話、一週間ほど前にチラッと聞いていたのだが、正式発表があるまで待っていた。

メジャーリーグのカル・リプケン親子、ケン・グリフィー親子、フットボールのアーチー(父)、ペイトン・イーライ兄弟(息子)、トニーとアンソニーのドーセット親子、ドンとマットのハッセルベッグ親子、スティーブとステファンのウィズニュースキー親子、クレイ・マシューズ親子(なんと3代、さらにはおじもプレーしていた!)、などといったように親子で名を残した選手もたくさんいる。
F1ではケケとニコのロズベルグ親子、マリオとマイケルのアンドレッティ親子が知られているが、アンドレッティの息子のほうはパッとしない成績だったように記憶している。
アイルトンには実子がなく、ブルーノはアイルトンのおいにあたるが、それでも「セナ」というネームから活躍を期待する声がある半面、本人にとっては総合優勝3度、通算41勝などの記録を残したおじさんと比較されるのはたいへんなプレッシャーだろう。ましてアイルトンの最後のチームに属するということだけでも、かなりの重荷と感じるかもしれない。

記事中でブルーノは、「アイルトンと一緒にチームメートだった人もいるし、そのチームのために働くというのはとてもおもしろいだろう」と語る一方、「ウィリアムズチームのドライバーになるために、わたしの祖国が支援してくれたことの代わりに、多くの好成績を挙げたい」とも語っている。
アイルトンやブルーノの祖国、ブラジルだけではなく多くのファンが、ブルーノを支えてくれたことに感謝をもちながらシーズンを迎えるのだろう。
プレッシャーは生半可なものではないだろうけれど、天国からアイルトンも応援していると思う。

世代の違いはあるけれど2012/01/18 21:46:15

毎週水曜日は手話サークル。ここでわたしは、コミュニケーションクラスに参加している。自分から手を動かさないと話が始まらない。能動的かつ主体的に手を動かすのに最適、というわけだ。
今日のクラスでは「手話で語ろう、生まれてから印象に残った出来事」というテーマだった。

70歳を超えた高齢の方から、20代までバラバラ。さすがに女性参加者はへたをして自分の年齢が知られるのを気にしてか、手があまりあがらなかった。
わたしはまず、1965年のビートルズ初来日初公演、次に1969年のアポロ11号、ここで「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」という名言をヒントにして、ほとんどの人がわかったようだ。最後に札幌五輪(1972)を紹介した。

無名のわたしもいずれは過去のなかに消えていってしまうのだろう。
だからこそ何かしら生きたあかし、生きた意味を残したい。手話も日々の生活も。日々がとてもいとおしく貴重なものだと感じられている、今日このごろである。

字幕がなくなると困る2012/01/19 22:32:19

そういえば、と思いあたったのは、テレビ放送やDVD、スクリーンで映画を観るとき、字幕ではなく吹き替え版が多くなったなということだ。ここ4~5年、いやもっと前からのことかもしれないけれど。

「スター・ウォーズ」が日本で劇場公開されたのは1978年のことだが、そのころは劇場公開後3年間はテレビで放送しない、という不文律があったと聞いたことがある。だが最近は3年どころか、1年たってテレビ放送されるのがあたりまえになってしまった。DVD化されるのも早くて半年後というケースもある。

わたしがまだ補聴器なしでも聴こえていたころは、テレビで放送される洋画にはきまって吹き替えがあった。たとえばクリント・イーストウッドさんなら山田康雄さん、エディー・マーフィーさんなら富山敬さん、というように。
わたしがいまでも印象強く残っているのは、「チャーリーズ・エンジェル」(1976-82)のジョン・ボスレー役のデビッド・ドイルさんの吹き替えだった富田耕生さん。ややだみ声っぽい高い声が好きだった。ほかにも「バイオニック・ジェミー」(1977年1~10月、1978年3月~8月)でジェミー・ソマーズを演じたリンゼイ・ワグナーさんの吹き替え(田島令子さん)、スティーブ・オースティン役のリー・メジャーズは広川太一郎さんが吹き替えを担当された。そして科学啓蒙番組「コスモス」(1980年11月)でカール・セーガン博士の声を担当した横内正さんも忘れられない。先日放送が終了した「水戸黄門」を彼の代表作に挙げる人もいるだろうが、わたしにはカール・セーガン博士の声を知的な落ちついた穏やかな声の吹き替えで演じたほうが印象深い。いまこうして朗読をやっているのは、彼ら、声だけで表現するという世界に魅力を感じたから、ともいえる。

ここまでは、聴こえていたころの話。
いまではもう、補聴器で聞き取るのにさえ苦労しているのだから、映画を楽しむならやっぱり字幕があったほうがいい。
なぜ字幕が少なくなっているかというと、映像の切り替わるテンポが速くなって字幕が見づらくなったという映画関係者の話があるほか、めがねをかけて見づらくなった、子育てや家事の合間にみる「ながら視聴」ができなくなった、という視聴者の意見もあるそうだ。

でもやっぱり音声では楽しめない人たちもいる。少数者かもしれないが、映画という文化を楽しめるためにはやっぱり字幕もあってほしい。というかなくてはならないものだ。世界的には字幕をつけるという国は日本くらいで、ほとんどは字幕がないのだそうだが。
できればスクリーンでもテレビやDVDでも、字幕を残してほしい。これは聴こえない者の一方的なわがままだろうか?

取り組みを一時だけのものにせず、恒常的永続的に続けていくために2012/01/20 23:11:02

高校時代に教会の週報点訳で少しかじったことがあるが、学んではじめて、困難にある人のことをより深く知ることができる。

点字作成 バリア知る
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20120120-OYT8T00202.htm?from=yolsp

こうした取り組みを一時だけのものにせず、恒常的永続的に続けていくことが、障がいのある人と障がいのない人がともに生きる社会づくりにつながっていく。
惜しむらくは、こういった学習を教えられる専門教員が少ないこと。たぶん教員養成の大学でも少ないのではないかな。

しかし、逆手にとって、当事者である障がい者を招くという手がある。実際に障がいのある人の声を聴くことが、上っ面な、表面だけのかじった知識より、より深く本当の姿を知ることができる。