時間は有限2012/01/10 23:59:06

仕事の後の夜、手話学習へ。
手話がわからない聴者と一緒にいるときはどうしても音声日本語と書き言葉中心になってしまうが、何度も書いたようにわたしは音声日本語の会話と同じレベルで、手話も大事にしたいと思っている。言い換えれば、話せる書けるという意味での日本語を使うことと、聴こえないことで手話を使うということで、聴こえないということが伝わらないみえないのはおかしいということでもある。

ホントに手話を使っているとホッとする。

さて、今年も各地で成人式がひらかれた。まるで恒例行事であるかのように今年も酒を飲んだり警官と衝突したり成人式の祝賀会で騒いだりと、ニュースにもでた。わたし自身はくだらないつまらないからと、成人式に参加しなかった。けれど騒いだり暴れたりしたという話を聞いた記憶がない。いつごろからそんなニュースが出るようになったのか。

以前にも書いたのだけれど、だんだん社会人生活も終わりが見え始めてきた。まだ定年を考える必要はないけれども、アタマの隅に置いておくべきだろう。そのころは21世紀もようやく4分の1にさしかかるだろう。
若い人は「いまがよければ」と思う一方で、先々の未来には不安を隠せないらしい。そりゃそうだ。

ふと地下鉄や街を歩いていると、子どもの姿がいやに少なく、代わりにといってはなんだが高齢者が多いと感じる。赤字国債やら年金やら、とてもバラ色の未来とは思えない。政治家は口ばかりで実行力が少なく、互いの足を引っ張ったり目先のことしか考えていなかったり。
未来世代である子どもがわたしの年齢になったころ、この国はどういう姿になっているのか。

若い若いと思っていても現実に年をとるしからだも衰えてくる。時間は有限だ。
若い人たちも、いずれは年をとっていく。
だからこそ暴れたり騒いだりしてもいい。一時の恥くらいならまあ許されるけれど、いつまでもそんなことじゃだめだ。時間には限りがあるということを知っておくべきだ。

わたしも、いま生かされていて時間が与えられていて、やりたいこと取り組まなければならないことがある。有限のなかで生きたあかしを残していきたい。クリスチャンであり聴者と同じく話せてしかもろう。手話ができて演じ表現することが好きだ。この恵みにこたえていきたい。