生きること 与えられたものに精いっぱいおこたえしていきたい2012/01/05 23:20:06

今日、仕事終わり間近になって、いつも利用している電車で人身事故があり、一時運行を見合わせているというニュースがあった。その後運行を再開して無事、自宅に戻れたとはいえ、新年早々にこんなニュースを聞き、こころが重くなった。

わたしもうつ病だったころに、人生をリセットしたいと思ったことは一度や二度ではない。リセット、というけれどそうしてはたしてどうなるのだろう。いま考えると、リセットというきれいごとで、自分の未来や自分の存在価値を捨てているのだ、とも思える。

いまもつらいことがないわけではない。むしろだんだん年を重ねて、健康など気をつけなければならないことが増えてきた。社会人人生も数えてみればあと何年だろう。同世代のなかにはすでにこの世にはいない人もポツリポツリと出てきた。

だけど、と思う。
昨日聖書通読から、「しっかり一日一日を大切に生きていきたい」と書いたわけだが、つらいことの向こうというかそのさきにきっといいことがある。楽観主義ではなく、また適当なあてのないことを言っているのでもない。
ほんとうにキリストがわたしを救ってくださった。このわたしに、もうほとんど音が聴こえない耳と、聴者と同じくらいきれいに話せる口と、手話を与えてくださったのなら、きっとそばにいてくださり、わたしを導いてくださる。いまはつらいけれど、その向こう、いつかこの世を去るときに「それでいいんだよ」と思えるように。

上を向いて上昇することばかり考えるのではなく、名誉だとか有名になることだとかを求めるのでもなく。
もうほとんど音が聴こえない耳と、聴者と同じくらいきれいに話せる口と、手話を与えてくださったのなら、それを生かして何かを伝えていこう。自分のためというよりは、ろう者難聴者、聴者関係なしに、みんなに楽しんでもらえるように。
下降思考というのかな。みんなのそばにいてくださる。それがキリストの歩まれた姿なのだろう。
そこまでいかなくても、わたしはわたしのままで、与えられたものに精いっぱいおこたえしていきたい。