日本基督教団北光教会2012/01/01 23:43:20

北光教会礼拝堂
3年ぶりだろうか。高校時代から大学卒業までのあいだをおくった教会にて2012年最初の礼拝をまもってきた。

残念なことに礼拝開始時間より遅れたため、手話通訳が間に合わなかったけれど、礼拝後に説教プリントをいただいた。会員の顔ぶれは知っている方もいれば知らない方もいて、また大学生ら若い人もいたのがうれしい。東京でわたしが通っている教会は若い人がいないし、手話通訳もいないので何となくさびしいが。

かつてご指導をいただいた牧師と少し近況をお知らせするなど、短い時間だが交わりをいただいた。

写真は、北光教会礼拝堂内部。
お話をうかがうと、十字架の位置を真正面から、左側に移して会衆が座る席も十字架に向かい合うように位置を変えた。そのため、会衆席が横いっぱいに広がり、講壇、説教壇に会衆の視線が集中する感じになった。昔は説教壇と司会者の壇が十字架をはさむようになっていたが、司会者も牧会者も同じ壇に立つことで会衆の視線が散漫にならない、集中して礼拝に臨めるようになった。

思い出がたくさんある、北光教会。
またいつか帰ったときにじっくり礼拝をまもりたい。

思いやりと優しさ2012/01/02 12:21:17

今日夜のフライトで故郷を離れる。明日も予定があるが、実質明日からが2012年のスタートだ。

さて、以前にも書いたことだが、マタニティーマークが全国で広がっている。
札幌にももちろん電車内や地下鉄駅構内でみることができる。
マタニティーマークにはこんな文が添えられている。

   やさしさのご協力をお願いします

   妊娠中、とくに初期は、赤ちゃんの成長はもちろん、お母
  さんの健康を維持するための、とても大切な期間です。
   
   しかし、外見からは、妊娠であるかどうか判断しにくかっ
  たり、「つらい症状」が、ある場合もあります。

   もしも、このマークを付けているお母さんを見かけたら、皆
  さんの思いやりあるお気遣いをお願いいたします。

 男性であるわたしには、正直に言うと女性のからだはわからないし、妊娠もおなかに重石をもつなどして疑似体験こそできても、そのつらさはわからない。ちょうどいくら補聴器をつけても聴こえない、ろうであるということが聴者には理解しにくいのと同じように。

 だからこそ、見た目だけではない、つらく苦しい人々への思いやりと優しさが望まれている。東京で見るマタニティーマークのポスターには、札幌で見るようなわかりやすい説明がない。なるほど。これはわかりやすいね。

 今回羽田でも千歳でも、赤ちゃんを抱いている若いお父さんを何人も見かけた。わたしが子どものころには考えられなかった光景だ。育児に積極的なお父さん、イクメンなどというのだそうだが、一歩進めて妊娠中の女性にも気遣いができる、そんな社会になってほしい。
 東京でも電車内でマタニティーマークをつけている女性の前で平気でシートに座っている男性や若者をみる。おいおい。あんたらだって女性のからだのなかで大きくなったんだぞ。

 人口減と少子化。これは個人の力ではどうすることもできない。けれど個人の力でできることはある。弱者へのあたりまえに普通に、思いやりと優しさをもった社会になっていくこと。

「お正月」に入ったビッグニュース2012/01/03 23:21:42

第65回アメリカンフットボール日本選手権・ライスボウル  ゲームプログラムとドレスデン・モナークスのキャップ
日付が変わったが、現地時間1月1日、勝てばプレーオフ進出の可能性があったわがオークランド・レイダーズは、最終戦の対サンディエゴ・チャージャーズ戦で26対38の敗戦に終わり、同じ8勝8敗ながら対戦成績などの規定により、プレーオフには進出できなかった。チームの公式サイトでも触れられているが、守備がうまく機能しなかった。大量失点を与えては勝てない。チームは2012年夏までの長いオフに入る。

今日はフットボールファンにとっての「お正月」。
東京ドームで第65回アメリカンフットボール日本選手権・ライスボウルがひらかれ、社会人代表のオービック・シーガルズが学生代表の関西学院大学ファイターズを38-28でくだした。オービックはライスボウル連覇。2年連続史上最多5度目の日本一になった。

試合は関西学院が第1Qに先制TDをあげてリード。第2QにもTDを奪い、14-3で学生がリードする展開。第3QもFGなどで関学がリードを広げる。だがオービックの守備が機能し始め、第4Q、関学攻撃の投げたボールを奪うビックプレーを2つもみせ、反対に関学は追いつめられていく。試合はオービックが5つのタッチダウンをあげて38-28で勝った。

ところでアメリカンフットボールはアメリカ国内やカナダだけであると思われているだろう。だが昨年オーストリアで開催されたワールドカップを見てもお分かりのように、ヨーロッパでも盛んに行われている。
オービック・シーガルズが今年5月に、ドイツはザクセン州ドレスデンに本拠がある、ドレスデン・モナークスと対戦するという発表があった。わたしが知る限り、日本の社会人単独チームで海外遠征は聞いたことがない。さっそくドレスデン・モナークスの公式サイトに発表があった。
ドレスデン・モナークスはモナークス(シニア)、ユーゲント(ジュニア)、フラッグ(フラッグ・フットボール)、ピーウィー(児童レベル)などのチームがある。1993年創立、GFL(ジャーマン・フットボール・リーグ German Football League)中堅ながら強豪だという。2011年の成績は6勝8敗。

Monarchs empfangen die Obic Seagulls aus der X League
http://www.dresden-monarchs.de/101_news/detail.php?id=6511

5月にチーム初の海外遠征-ドレスデン モナークス(ドイツ)と親善強化試合
http://www.seagulls.jp/news/2012/01/5_1.html

実はドレスデンは一度だけ訪れたことがあり、シーズンオフながら、ドレスデン・モナークスの球団事務所をおうかがいしてジャージとキャップを購入したことがある。試合を見たことがないけれど、ひいきチームでもある。
どちらを応援したらよいか、いまから悩まされている。

今年も文語体聖書の通読に取り組む2012/01/04 23:02:29

昨年から、文語体聖書の通読を続けているが、今年もさっそく旧約聖書は創世記から。新約はマタイ傳3章から、それぞれ読み始めた。

高校1年で教会に通い始めたから、今年で30年になる。
文語体はたしかに読みづらい部分があるし、差別語とみられる言葉遣いがあるなど、現代の目でみると違和感は隠せない。しかし、昔の人がどう聖書と接してきたか。簡単にはいかないけれども、自分の信仰を深めていく意味でも、文語体聖書を読んでいくことは、きっと何かしらの実りがあるのではないだろうか。

年末年始の休みが終わってぼちぼち、行き交う人も増えてきた。
まだ始まったばかりの2012年。
しっかり一日一日を大切に生きていきたい。

生きること 与えられたものに精いっぱいおこたえしていきたい2012/01/05 23:20:06

今日、仕事終わり間近になって、いつも利用している電車で人身事故があり、一時運行を見合わせているというニュースがあった。その後運行を再開して無事、自宅に戻れたとはいえ、新年早々にこんなニュースを聞き、こころが重くなった。

わたしもうつ病だったころに、人生をリセットしたいと思ったことは一度や二度ではない。リセット、というけれどそうしてはたしてどうなるのだろう。いま考えると、リセットというきれいごとで、自分の未来や自分の存在価値を捨てているのだ、とも思える。

いまもつらいことがないわけではない。むしろだんだん年を重ねて、健康など気をつけなければならないことが増えてきた。社会人人生も数えてみればあと何年だろう。同世代のなかにはすでにこの世にはいない人もポツリポツリと出てきた。

だけど、と思う。
昨日聖書通読から、「しっかり一日一日を大切に生きていきたい」と書いたわけだが、つらいことの向こうというかそのさきにきっといいことがある。楽観主義ではなく、また適当なあてのないことを言っているのでもない。
ほんとうにキリストがわたしを救ってくださった。このわたしに、もうほとんど音が聴こえない耳と、聴者と同じくらいきれいに話せる口と、手話を与えてくださったのなら、きっとそばにいてくださり、わたしを導いてくださる。いまはつらいけれど、その向こう、いつかこの世を去るときに「それでいいんだよ」と思えるように。

上を向いて上昇することばかり考えるのではなく、名誉だとか有名になることだとかを求めるのでもなく。
もうほとんど音が聴こえない耳と、聴者と同じくらいきれいに話せる口と、手話を与えてくださったのなら、それを生かして何かを伝えていこう。自分のためというよりは、ろう者難聴者、聴者関係なしに、みんなに楽しんでもらえるように。
下降思考というのかな。みんなのそばにいてくださる。それがキリストの歩まれた姿なのだろう。
そこまでいかなくても、わたしはわたしのままで、与えられたものに精いっぱいおこたえしていきたい。

そうやってあちこちの世界を行ったりきたりするのも2012/01/06 23:44:05

日中はほとんどと言っていい、会話のない一日だったが以前にも書いた大久保の「カフェ&mimi」の今年最初の営業日だと知り、終わってから訪れて短い時間ながら、さきに来店していたろう者や聴者で手話のわかる人たちと会話を楽しんできた。

聴者ばかりのなかにいると、無言で身振り手振りで会話をされてもホントは困るんだよね。
けれどもこの世界は聴者がいてろう者がいて手話のわからない世界があってわかる世界もある。まったく話しかけようとしない人もいれば、接し方さえ知らない人もいる。いろんな人がいていい。
聴者ばかりのなかでは会話が極端に少なくてストレスを感じるけれど、終わったらこちらのスイッチを切り替えて手話モードに。

そうやってあちこちの世界を行ったりきたりするのもまぁ、しんどいなりに楽しい。

明日からの連休は、できるだけ手話だけで過ごしたい。

「ホーム」2012/01/07 22:08:53

なべ料理 食べきれないに決まっているでしょ。
今年最初の、難聴者協会の手話サークルに行ってきた。年始ということで、七福神を参拝してきたらしいけれど、クリスチャンであるわたしは神社参拝はできない、無理である。参拝を終えたみなさんが集まる、都内の居酒屋へ合流した。

やっぱり落ちつくねぇ。
昨日も書いたように、いろいろな人がいて社会があるわけだから、手話の通じない世界、聴者ばかりの世界と、そのなかで生きざるを得ない生きづらさがある。
けれど、聴こえないわたしにとっては、やっぱり手話の世界が一番居心地よく、生きていて楽しい場である。
わたしにとっての「ホーム」は手話のある世界だ。

目の前に出されたなべ料理。はじめはこれを「あんたひとりで食べて!」と冗談を言われてビックリしたねぇ。食べきれないに決まっているでしょ。
おしゃべりを重ねていくうちにあっというまに食べ尽くした。
楽しくあっというまに過ぎた、4時間。

NFLプレーオフ ワイルドカード2012/01/08 21:12:29

東京での礼拝に出るのは今日がはじめて。いろいろな思いを込めながら祈り、讃美歌を歌い、メッセージを聴いた。
終わってから、大久保の喫茶店「mimi」へ行ってきて、久しぶりにお会いした方、初めての方ともちろん手話で会話を交わす。楽しいひとときだった。

実は今日はNFLプレーオフ1回戦、AFC(アメリカンフットボール・カンファレンス)ワイルドカードのシンシナティ・ベンガルズ対ヒューストン・テキサンズ戦を、ギリギリまで観ていた。
ワイルドカードとは、地区優勝チーム以外のなかで勝率が高いチーム同士の対戦。乱暴に平たく言ってしまうと、おまけでプレーオフに出られるようなものだ。NFLのプレーオフはスーパーボウルを除き、勝率が高いチームの本拠が開催権をもつ。だからカリフォルニアのような温暖な土地のチームが本拠の場合は、ピッツバーグやシンシナティ、クリーブランドなど寒冷地のチームには暑さが大敵だし、当然その逆もある。アメリカを旅すると、同じ国なのにどうしてこうも違うのだろうと、気温や湿度などの違いに戸惑う。とんでもない広さだからね。だがドーム球場となると話はまた変わってくる。風雨や雪に悩まされない代わりに、芝生やドーム内の音の反響といった敵(観客の声援はものすごい!)と戦わなければならないからだ。

話を戻すと、今日のカードは先発QBは両チームともにルーキーだった。NFLプレーオフで対戦同士がルーキーQBを起用したのは史上初。シンシナティのアンディ・ダルトン、ヒューストンのTJ・イェーツだ。だが負けたらそれで終わり、次はない。そのプレッシャーが敵地で露呈したか、3つもインタセプトを与えたアンディ・ダルトン。試合結果はヒューストンが10-31で勝ち、1月16日、メリーランド州ボルティモアでボルティモア・レイブンズと対戦する。

もう一試合はNFC(ナショナルフットボール・カンファレンス)のワイルドカード、デトロイト・ライオンズ対ニューオーリンズ・セインツ。2年前のスーパーボウルチャンピオンのニューオーリンズがQBドリュー・ブリーズ(パス466ヤード、3TD)などで28-45と大勝した。こちらも1月15日、サンフランシスコでサンフランシスコ・49ersと対戦が決まっている。

これくらいならなんとか飲めた2012/01/09 22:47:33

連休最終日。

銀座から有楽町を歩いて、フラッと入ったお店でノンアルコールビールを注文した。
茨城産だというそのノンアルコールビールはアルコール度数が0.9%。
一見黒ビール風だけれど、時間をかけて飲むことができた。

カレーライスとあわせておいしかったね。

また飲みたいと思う。

時間は有限2012/01/10 23:59:06

仕事の後の夜、手話学習へ。
手話がわからない聴者と一緒にいるときはどうしても音声日本語と書き言葉中心になってしまうが、何度も書いたようにわたしは音声日本語の会話と同じレベルで、手話も大事にしたいと思っている。言い換えれば、話せる書けるという意味での日本語を使うことと、聴こえないことで手話を使うということで、聴こえないということが伝わらないみえないのはおかしいということでもある。

ホントに手話を使っているとホッとする。

さて、今年も各地で成人式がひらかれた。まるで恒例行事であるかのように今年も酒を飲んだり警官と衝突したり成人式の祝賀会で騒いだりと、ニュースにもでた。わたし自身はくだらないつまらないからと、成人式に参加しなかった。けれど騒いだり暴れたりしたという話を聞いた記憶がない。いつごろからそんなニュースが出るようになったのか。

以前にも書いたのだけれど、だんだん社会人生活も終わりが見え始めてきた。まだ定年を考える必要はないけれども、アタマの隅に置いておくべきだろう。そのころは21世紀もようやく4分の1にさしかかるだろう。
若い人は「いまがよければ」と思う一方で、先々の未来には不安を隠せないらしい。そりゃそうだ。

ふと地下鉄や街を歩いていると、子どもの姿がいやに少なく、代わりにといってはなんだが高齢者が多いと感じる。赤字国債やら年金やら、とてもバラ色の未来とは思えない。政治家は口ばかりで実行力が少なく、互いの足を引っ張ったり目先のことしか考えていなかったり。
未来世代である子どもがわたしの年齢になったころ、この国はどういう姿になっているのか。

若い若いと思っていても現実に年をとるしからだも衰えてくる。時間は有限だ。
若い人たちも、いずれは年をとっていく。
だからこそ暴れたり騒いだりしてもいい。一時の恥くらいならまあ許されるけれど、いつまでもそんなことじゃだめだ。時間には限りがあるということを知っておくべきだ。

わたしも、いま生かされていて時間が与えられていて、やりたいこと取り組まなければならないことがある。有限のなかで生きたあかしを残していきたい。クリスチャンであり聴者と同じく話せてしかもろう。手話ができて演じ表現することが好きだ。この恵みにこたえていきたい。