「どこかにありそお」2011/12/08 00:15:16

昨日、手話サークルのあとにサークルの方と場所を移していろんな話題を話したことはここで書いた。
そのなかで生活音をめぐり誤解やトラブルが起きやすいなど、聴者とろう者・難聴者のあいだに言葉も含めた相互理解の壁があることを挙げた。
その会話で思い出したのが以下のサイト。

言葉の壁を恋愛の壁にしない方法
http://allabout.co.jp/gm/gc/221422/

この記事をお書きになられた筆者は「言葉の壁はある。それを低くする方法もあるのだ」と書いていらっしゃる。壁をひとことでいうと、「どこかにありそお」。
「ど」 (努力 Effort) 「こ」 (根気) Patience 「か」=かんしゃ(感謝) Appreciation 「に」=にんしき(認識) Recognition 「あ」=あゆみより(歩み寄り) Compromise 「り」=りかい(理解) Understanding 「そ」=そんちょう(尊重) Respect 「お」=おもいやり(思いやり) Consideration

細かいことはこのサイトをお読みいただくことにして、わたしなりに考えてみる。
サイトで取り上げたのは国際結婚だ。つまり言葉の壁。だがそれはそのまま、ろう者や難聴者と聴者のあいだにもあてはまるのではないだろうか。いや、同じ日本語を使う者同士だからこそ考えていくべきことではないか。

たとえば、補聴器で聴者の声を聞き取るのはほんとうにしんどい。それを「根気よく」と言われてもと思う。じゃ、それ以外のところで手話で会話をしてひとつでも読み取ることができたら、とてもうれしい。聴者がたどたどしくても手話で話してくれたら、思いきり感謝を伝えたい。お互いの壁があることを前提にすること。なくならないけれど低くすることはできるのだから。聴こえない者と聴こえる者が歩み寄って一方的に責められ責めることなしに接すること。補聴器があっても聴こえないんだ、聴者だから聴こえないことはわかりにくいんだ、というお互いの理解。無意識でドアの開け閉めやスプーンをすくう音が大きいのが聴こえない人の生活文化。反対に聴者にも聴者の生活文化がある。それらを頭ごなしに否定しないこと。要するにおもいやりだね。

とずいぶんわかったようなことを書いてしまったけれど、わたしはこれまでずっと聴者のなかで育ってきたぶん、聴こえないということについて周囲から不理解や差別を受けてきたし、説明したり伝えたりすることの壁や困難に直面してきた。
手話を身につけても、まだ壁はある。けれど「どこかにありそお」を忘れずに、できるところでやっていきたいものだ。

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