師走2011/12/01 23:20:19

今日から師走。月日のたつのはほんとうに早い。

午後にミーティングがあったが、ほとんど聞き取れず、何を言っているのかわからないまま。わたしがもう補聴器だけでは聴者の話を聞きとるだけの聴力が落ちているということ。電話でもはじめの3分間くらいはどうにかついていけるけれど、だんだん聴こえなくなってきて最後は「うんうん」と相づちを打っているだけ。これでは会話になっていない。

さっそく今日、先日買ってきたオークランド・レイダーズの2012年カレンダーを壁に張った。アメリカ製だからもちろん祝日などはアメリカ国内のそれが書き込まれ、NFLやレイダーズにまつわる出来事やクイズも書かれている。

そんなこんなで年末までのおよそ一カ月間がはじまった。

泣いても笑っても2011年は過ぎていく。どうせ過ぎるなら楽しい、よかったと思える月日にしたいね。

異種の組み合わせ2011/12/02 23:24:50

缶ドリンクはいま、「ミックス」がトレンドらしい。コーヒーは甘さが強いものがおおかったのが、「甘さ控えめ」から「微糖」が多くなった。ところがそのコーヒーでは抹茶とミックスさせた商品が出ている。
わたしも試しに飲んでみた。普通、抹茶とコーヒーという別々の取り合わせ、異種を組み合わせるのは違和感があるものだが、どうしてどういして、けっこう売れているらしい。

こういった異なるものの組み合わせは、これまでの缶コーヒーのイメージからすれば邪道に感じる人もいるかもしれない。けれども消費者の好みが多様化し、購買層も高齢化や少子化などで変化していくことを考えたら、邪道にみえるものであっても消費者の中で受け入れられるものであれば、それを認めてもいいのではないだろうか。
異なるものの組み合わせもけっこういいかもしれない。

今年最後の「朗読のレッスン」2011/12/02 23:24:50

先日のミーティングで、聴者の話がほとんど聞こえず何を言っているのかわからないまま、という経験をした。とっくに補聴器を外すとほとんど聴こえないのはわかっていたが、いつも最後にやるミニ発表会は聴者との群読であり、聴こえないことが致命的になる。ひやひやしつつ、もし出番を間違えたら教えてくださいと、一緒の仲間にお願いしていたけれど、事なきをえてホッとする。
読むほうは雰囲気や場面と登場人物を使い分けて自然に演じることができた。もっと間をとって読めばよかったかな。

2012年も朗読を続ける。9月にはまた舞台があるし、もちろん手話つきでやるつもりだ。

その朗読のあとに新宿の中華レストランで慰労と交流を兼ねた忘年会があり、ノンアルコールビールを2本あけた。さらに手話サークルへ移動して遅れて手話学習に参加、そのあとまた交流会に顔を出してまたまたノンアルコールビールをあける。

朗読の仲間とはあまり会話がうまくすすまなかったけれどしかたない。その場その場を楽しめばいいからね。

今年最後の朗読2011/12/03 23:39:21

今年最後の朗読のレッスンがあった。
ミニ発表会はまぁまぁのでき。楽しめたからよしとしよう。だんだん聞こえが落ちているのがわかるから、聴者と一緒の群読は読むタイミングがわかりにくくてたいへんだけれど、楽しむことが大事。

ありがとう、相模原ライズ!2011/12/04 23:38:33

いろいろ書きたいテーマ話題があるのだが、今日はフットボールを中心に。

オンワード・オークス、オンワードスカイラークス・オークスというアメリカンフットボールのチームを覚えている方はいらっしゃるだろうか。1980年創部、オンワード樫山を母体とする実業団チームだった。2001年にすかいらーくのチーム、すかいらーくスカイラークスと合併、その後オンワード・オークスと名称が変わったが、2008年シーズンまで、社会人アメリカンフットボールリーグ、Xリーグで活動していた。2003年には学生と日本一を争うライスボウルに初出場、06年にライスボウルで法政大学を下し、初の日本一に輝いた。08年、支援企業のオンワードホールディングスが、業績悪化のため撤退、チーム支援とチーム活動を停止すると発表。09年、オンワードの選手が中心となって新チーム「相模原ライズ」を結成。09年X3リーグ、10年X2リーグを全勝で勝ち進み、今年晴れてX1リーグに戻ってきた。
相模原ライズは株式会社ノジマをネーミングライツスポンサーに、ノジマ相模原ライズとして活動した。

今日はそのX1リーグファイナルステージ、対富士通フロンティアーズ戦を、礼拝後に横浜スタジアムへ行ってきた。横浜スタジアムでフットボールを観戦するのは6~7年ぶりかな。スタジアムに入った瞬間、昨年のオークランドでの観戦を思い出す、青空が目に入った。やっぱりフットボールは青空の下がいい。

試合結果は3-38で富士通が勝ち、今日午前にあったオービック・シーガルズ対鹿島ディアーズの勝者、オービックとライスボウル出場をかけて対戦する。

今日の試合はなんといっても前半の42ヤードフィールドゴールの3点しか得点がなかったこと。前半終了直前、3-14とされたが富士通エンドゾーン前まで進んで、4thダウン、4回目の攻撃権があった。相模原はここで攻撃の代わりにキックを選択、入ればまだ後半につなげられたのだが、これを失敗してしまい、結局試合のモメンタムをつかむどころか、ひとつも点を挙げられずに終わってしまった。結果論だが、あえて4回目の攻撃、ギャンブルプレーを選択していたらどうだったか。
それと、攻撃がうまくかみあわなかった。クオーターバックを固定せずに交代で起用したのもどうだっただろう。わたしの目には前半途中で出場した10番のほうがリズムよく攻撃をすすめていたように見えた。それだけに惜しまれるさい配だ。守備がずるずるひきずられるように富士通のオフェンスを守りきれなかったのも痛かった。に

ともかく、フットボールが好きで好きで、プロではなく社会人として仕事のかたわら練習を重ねてきた。会社の支援がなくなったあとも選手が集まってチームをつくり、ここまでやってきたことを誰が否定できるだろう。
「3年で日本一」の目標はかなわなかったけれど、ここまでやってこれたことを誇りに思っていい。
来年またチャンスがある。堂々と胸を張って2012年シーズンにむかってほしい。

ありがとう、相模原ライズ!

街は復興しつつあるように見えるけど2011/12/05 22:06:50

新浦安駅前のエレベーター
昨日の横浜スタジアムへ行く前に、新浦安駅近辺を歩いてみた。
あの震災直後、コンクリートが割れて浮き上がっていた駅前のエレベーターはスロープがついていた。

枯れ葉が落ちていて、一見復興しているように見えるけど、まだまだところどころに割れ目があるなど、復興には遠い。
今日も東北や茨城などで地震があった。週刊誌を信じるわけではないが、千葉県沖など、巨大地震が来るともいわれ、けっして安心はできない。

おびえたり恐怖にかられたりパニックに陥ったりする必要はないが、冷静沈着な行動をこころがけたい。

目標があることがうれしい2011/12/06 00:08:56

けさは朝6時起床。弁当と朝ごはんを一緒につくって早めに自宅を出る。午後から雨という予報はわかっていたのにかさを忘れてしまった。

夜に日本手話を学ぶ。読み取りが難しかったけれど、だからといってあきらめるつもりはない。何度も何度も読み取りを重ねていきたい。

朗読と同じくして学び始めたのが9年前か。舞台をやると思わなかっただけに、目標があることがうれしい。
日本手話を覚えていってもっとろう者とコミュニケーションできるようになりたい。舞台に立ち、手話と声とからだを生かして表現していきたい。ただその一点が手話を学ぶモチベーションになっている。

意識して手話を使っていかなくては2011/12/07 22:01:29

職場や教会など、手話のわからない聴者が多いところは、言葉は悪いけれどしかたない、と思う。けれど、サークルやろう者、難聴者、手話のわかる聴者がいるところでは積極的に手話を使っていかなくては。

仕事のあと手話サークルへ移動。話題満載で、海外旅行、フットボール、外国での食事、などなど尽きない。
その後場所を変えてレストランで、聴こえないということについて、ろうでもあり中途難聴でもあり、聴者でもあるわたしのややこしさ、などこれまた楽しい話ができた。

聴こえないわたしには、たとえばスプーンを食器にぶつけるときや冷蔵庫のドアを閉める音、歩く足音、といった生活音がわからない。聴者からみるとうるさい、やかましい、と思われるらしい。それを教えてくれるとありがたいのだが、言い方や感情によってはトラブルになることもある。

要するに、お互いの文化や生活の違いを理解していくということ。聴者からみたろう者・難聴者と、ろう者・難聴者からみた聴者。双方が自分を正当化するのではなく、双方が認め合えるようになれば、ずっとお互い居心地よく生きていられる。

手話脳をつくる。いいかれば積極的に手話を使うことができる場では、手話で表すことに意識と手を集中させることが大事。
ろうでもあり中途難聴でもあり、聴者でもあるわたし、補聴器をはずすとまったく聴こえない、無音のなかにいるわたしは、身につけた音声日本語と手話の両方で生きていくしかない。
だからこそ手話脳を育てていかなくては。

「どこかにありそお」2011/12/08 00:15:16

昨日、手話サークルのあとにサークルの方と場所を移していろんな話題を話したことはここで書いた。
そのなかで生活音をめぐり誤解やトラブルが起きやすいなど、聴者とろう者・難聴者のあいだに言葉も含めた相互理解の壁があることを挙げた。
その会話で思い出したのが以下のサイト。

言葉の壁を恋愛の壁にしない方法
http://allabout.co.jp/gm/gc/221422/

この記事をお書きになられた筆者は「言葉の壁はある。それを低くする方法もあるのだ」と書いていらっしゃる。壁をひとことでいうと、「どこかにありそお」。
「ど」 (努力 Effort) 「こ」 (根気) Patience 「か」=かんしゃ(感謝) Appreciation 「に」=にんしき(認識) Recognition 「あ」=あゆみより(歩み寄り) Compromise 「り」=りかい(理解) Understanding 「そ」=そんちょう(尊重) Respect 「お」=おもいやり(思いやり) Consideration

細かいことはこのサイトをお読みいただくことにして、わたしなりに考えてみる。
サイトで取り上げたのは国際結婚だ。つまり言葉の壁。だがそれはそのまま、ろう者や難聴者と聴者のあいだにもあてはまるのではないだろうか。いや、同じ日本語を使う者同士だからこそ考えていくべきことではないか。

たとえば、補聴器で聴者の声を聞き取るのはほんとうにしんどい。それを「根気よく」と言われてもと思う。じゃ、それ以外のところで手話で会話をしてひとつでも読み取ることができたら、とてもうれしい。聴者がたどたどしくても手話で話してくれたら、思いきり感謝を伝えたい。お互いの壁があることを前提にすること。なくならないけれど低くすることはできるのだから。聴こえない者と聴こえる者が歩み寄って一方的に責められ責めることなしに接すること。補聴器があっても聴こえないんだ、聴者だから聴こえないことはわかりにくいんだ、というお互いの理解。無意識でドアの開け閉めやスプーンをすくう音が大きいのが聴こえない人の生活文化。反対に聴者にも聴者の生活文化がある。それらを頭ごなしに否定しないこと。要するにおもいやりだね。

とずいぶんわかったようなことを書いてしまったけれど、わたしはこれまでずっと聴者のなかで育ってきたぶん、聴こえないということについて周囲から不理解や差別を受けてきたし、説明したり伝えたりすることの壁や困難に直面してきた。
手話を身につけても、まだ壁はある。けれど「どこかにありそお」を忘れずに、できるところでやっていきたいものだ。

ただただ「すごい!」2011/12/09 23:41:02

エピソード5『帝国の逆襲』から 「スター・エグゼグター」艦橋にはりついた「ミレニアム・ファルコン」
仕事の後に秋葉原へ足を延ばして、あるショップへ入ってみた。このお店のイベントで、映画『スターウォーズ』に出てくる宇宙船や戦闘機のモデルやジオラマが展示されているのだという。

一見してすぐに映画のシーンが思い出されただけではなく、あまりの精密さとリアルさに、ただただ驚くばかりだ。展示されているものをもしルーカス・フィルムのスタッフが見たらなんというだろう。

わたしも昔、少しだけプラモデルをやったことがあるけれど、とてもこんなのはできない。
いやあ、ホントに驚かされた。