今日という一日2011/11/09 22:49:46

今日はわたしの誕生日。何人かの友人知己からお祝いのメールをいただいた。だけどこのトシにもなって祝ってもらうというのは正直、恥ずかしい。

だがあらためて今日という日を思う。

あの大震災からまもなく8カ月になるわけだが、先日手話サークルの旅行で被災地を回って感じたのは、「今日」という日は本来だったら大震災で亡くなった方々も生きたかったはずだ。生きたかったのにいまこの世にいない。
わたしがこうしていろいろ生かされているということは、やっぱり意味があるということなのだ。そして生きたかった人たちのぶんもわたしは生きていかなくてはならない。

今日は教会の聖書を学び祈る会があった。祈りの題は「召天者のために」だった。
わたしもいずれはあちらの世界にいくのだが、名もない、世界に誇るような実績もないまま、この世を去るのかどうかはわからない。だがはっきりしていることは歴史に名が残らないとしても、いまこの歴史のなかで生きているということだ。

何度も書いたり引用したりした、元プロフットボール選手、ゲール・セイヤーズの『I am Third』(邦題『スーパー★ランナー』)から。

 今日一日を何に使ったか。
 失うのではなく、何かを得るために。
 悪しきではなく、良きことに。
 失敗ではなく、成功を得るために。
 今日のために、命をかけたことを忘れぬために。

コメント

_ 釈千手 ― 2011/11/11 18:56:50

おくればせながらおめでとうございます。
お気持ちはよくわかりますが、誕生日を迎えて「恥ずかしい」なんておっしゃらないでくださいね!
45才、58才、63才、77才、82才…何才の誕生日であっても生んで育ててくださった両親と神さまに感謝する特別な日であって欲しいと思います。

_ スマイル ― 2011/11/11 23:16:31

釈先生


 コメントと、お祝いをくださりありがとうございます。

 う~ん。
 たしかにいまの両親がいなかったらわたしはこの世にいなかったわけで。感謝しなくてはいけませんね。

 ありがとうございました。

 スマイル

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